無いのではなく見えない
壁は4面とも石造り。丸腰ではどうにもならない。
ハルの溜息が高い天井に響いた。
「あ〜先輩のせいで市長の護衛に捕まっちゃったじゃないですかっ!!」
2人が騒いでいた頃、ピータータウンの市長はグリーンスモークに寄るため移動していた。
ちょうど護衛が不審な動きをしているハルとヘイを見つけ、問答無用で牢屋に閉じ込めたのだ。
「最悪〜...。あの機械共融通が利かないったらありゃしないですよ」
「機械の街に人がいたらそりゃ捕まるだろ。この街で人間は奴隷だ。今迄地下の廃屋で過ごせていたのも運が良かっただけなのかもな」
「ヘマした張本人が何で淡々と語ってるんですか」
ハルは不満を心の中で呟く。ボブカットの綺麗な髪を揺らして彼女は体育座りをした。
「不貞腐れているのか」
雑魚寝をして楽観的なヘイに、彼女は少し本気の殺意が湧いた。
「寒いんすよ。奴らコートも全部取っていきましたからね。ホットパンツとハイソックスだと足が冷えるんです」
「なるほど。俺は生地のいいズボンだから温かいわけか」
兎に角気の利かないこの男。最早ハルをからかっているだけのようにも見える。
「もういいです。で、どうすんすか?」
「安心しろ。所詮機械が人間の知恵に勝てる筈がない」
彼は何か秘策を持っているようだ。それにしても、その言葉はハルの胸に深く突き刺さった。
(それって...時に人は限度を知らない狡猾なことができるってことっすよね...)
彼女は綿の生地から足の裏へ伝わる冷たさを感じながら、ほんの少しだけ、人間を憂いてみたりした。
...
......
.........
切り株のような肌色の床にロッキングチェア。こざっぱりとした部屋にクレアは案内された。
「アーサー。クレアちゃんが来てくれたよ」
ゆらりと揺れるロッキングチェアにグリが話しかけるも、返事はしんとした静寂だ。
「ごめん。彼、シャイなの」
「あはは、どうも。クレアで...す...」
ロッキングチェアを覗き込んだクレアが見たものは骨。
骨である。
何千年も経っている筈なのに汚れひとつなく、すぐさっき肉がずり落ちたといった具合だ。
膝にはブランケット。椅子の背には蔓が巻いている。
クレアは驚いて声が詰まり、その場で固まった。
「...アーサーは...私の夫だったんだ。...君を呼んだのはちょっと昔のことを話したくなってね。付き合ってくれるかい」
グリはアルコールと何らかの液体が混ざった酒を出し、木の器に注ぐ。
「私でよければ、1000年分の昔話を聞きます」
クレアはそれを受け取り、出窓の縁に腰をかけた。
「ふふっ」とグリは失笑してクレアを見つめ直す。そしてこう続けた。
「何千歳なんて嘘。私が知ってることは、私の前を歩いてる人が知ってたことだよ。そうやってできた知識の糸が、歴史を紡いでいくの」
なるほどとクレアは相槌をうち、少し経ってからイヴ向けの冗談にまんまと騙されたことに恥じらいを覚えた。
背の低い窓の外からは、森の隙間から月が現れ、夜の闇を照らしていた。
木々の揺れは彼女らの会話の隙間を取り持ってくれる。
そしてグリは器に入った酒をぐいっと喉に流し込むと、口を開いた。
遥か昔、魔女は薬草を村人に提供したり、民間療法の知恵を授けたりと、人々から慕われていた。
宗教裁判でその数は激減したものの、少し前まで密かに魔女は暮らしていた。
だが、第三次世界大戦以降、知識人は疎まれてきた。
何故なら、間接的とはいえ、戦争のトリガーを作るのは知識人だったからだ。
文明発達の行き過ぎを懸念する者が増えたのだ。
そんな中、魔女は森の奥へと逃げ、男との交際を禁じた。
争いとはいつも男が先頭に踏ん反りかえって行われてきたこと。
魔女は代々、捨てられた女の子を1人拾って教育していく。それが習わしであった。
「...それを...破ったんですか...?」
「...そう。アーサーも青を追い求める1人だったの...」
「え?」
クレアは外の闇をじっと見つめるグリの瞳を凝視した。
「彼は...こう考えた」
青がないんじゃない。
青が見えないんだ。
と...