鳩のモザイク画
青のない世界。赤のある世界。
絵の具を溢したかのような濃い朱色が空を覆い、それを反射しているかのような赤潮の海が地平線に向かって広がっている。
世界は静寂に支配され、何も知らない太陽だけがひょっこりと顔を出す。
XX年。地球は赤くなった。
海の生物は赤潮によってほぼ全滅し、眼を焼くような赤い光は人々に、朝の活動を制限させた。
「地球は青かった」
誰かが放ったこの一言は、お伽話の一節であろうとまで言われるようになった。
「クレア様はどちらへ」
「お父様の遺品を整理したいと、お部屋にいらっしゃいます」
ヴィクトリア調の豪華な邸には、淡色をベースとした暖かい部屋になっていた。広間では、メイドが2人立ち話をしている。
「お手伝いをしたほうが?」
茶髪の若いメイドが熟年のメイドに聞く。
「いえ、1人で整理したいとクレア様が。思うところもあるのでしょう」
「えぇ、お父様をお慕いされていましたし、お父様は立派な方でした」
「私たちは御夕飯の準備をしておきましょう」
「はい」
若いメイドと小皺の目立つメイドは立ち話も程々にして、そそくさと炊事に向かった。2階の書斎には、この邸の主が物思いに耽けながら父親の遺品を整理していた。
3方面の本棚が木製の机を囲って、父親が博識だったことを物語っている。
一つひとつの本は分厚く、隅のほうには薄く埃が被っていた。
クレアが、アラベスク模様に彫刻された机の引き出しを開けると、縦30センチ、横50センチほどのモザイク画が現れた。
頭は白く、身体が灰色の鳩が、削られた鉱石を埋め合わせて作られており、光に当てると表面の透明な塗料によって光りを発した。
(懐かしいな...)
何かを思い出したのか、彼女はその絵を持って暫く動きを止めた。
「クレア様」
遠慮気味なノックと共に、メイドの声が扉の向こうからする。
「御夕飯の準備ができました。スープが冷めないうちに」
「うん」
クレアは返事をして一階に向かった。
「クレア様、それは?」
机に座ったクレアに、メイドが尋ねた。彼は、自分の手に持っているモザイク画を見て瞠若した。
「こら、食事を始める前に慮外ですよ」
熟年メイドが叱りつける。
「いや、いいんだ。知らない間に持ってきてしまったらしい。これは、父上が持っていた未完成のモザイク画だ」
「未完成?しかし、一見完成されているようにも思えますクレア様」
「いや、よく見て」
クレアが促すと、メイド達は目を見開いてモザイク画の鳩を見る。
彼が指で鳩の腹をトントンと叩くと、埋め込まれた鉱石が取れていった。
「あっ」
メイドは慌てて落ちた鉱石を拾う。
「大丈夫。これは仮の鉱石さ。腹の部分だけ取れるようになっている」
「仮の鉱石ですか?」
「あぁ。元々父上はここに別の鉱石を嵌めようとしていた。それはこの世にもう存在しないと言われている鉱石だ」
「それは、一体」
メイドが生唾を飲んで聞く。
「ラピスラズリ。最も美しい青のひとつ」
メイドは驚いた表情を見せた。それも無理はない。何故ならこの世界には、青の鉱石だけでなく、青という色がないのだから。
「クレア様...あの、私めは青色というものを見たことがありません。付かぬ事をお伺いしますが、お父様は青色を見たことがあるのですか?」
クレアは少し間をあけてこう言った。
「いいや、父上が絶滅した青について調べていたのは2人も知っていただろ?」
「はい。蔵書は殆どがその類の本で」
「でも、結局見つからなかった」
3人の間に気まずい沈黙が漂う。
クレアはこの空気を断つために、スープを見て、冷めてしまったね。と言った。
「あ、申し訳ございません!すぐに温めます!」
「よろしく」
彼女は笑顔を見せて、先に前菜を頬張った。メイドは別のスープを取りに、慌てて厨房へ向かう。
机の上にあるスープは、まだ湯気が薄っすらと立っていた。
側頭部に垂れる赤毛を指で持ち上げ、野菜にかからないようにする。
(青が無ければ青を認識することもできないのに...父上はどうやって青を見つけようとしたんだろう...)
彼女の胸中に、父が探した「青」を見てみたいという欲望が膨れていった。