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 馬車に乗っていた面々は石造りの巨大な城壁を遠くに見渡す位置で降ろされた。近くには屋根つきの大きな馬車が数台待機しているひさしがあり、そこで乗り込む者もいれば歩いていく者もいる。

 ここは最も外側の木造城門をくぐった場所である。見張りの兵士が四人、門の内と外に立っている。門は土造防塁とそれを挟むように作られた木造の柵へと続いていた。防塁の長さはとてつもなく、湾曲していることあって終わりが見えない。


「そこ、邪魔ナ」


 ぼうと周囲を観察していたムウは、ナーに注意され脇に避けた。すぐ横をせかせかと荷物を持った男達が通り過ぎていく。

 門のすぐ脇にある建物では、鎧を着た兵士達が椅子に座り談笑しているのが開け放たれた鎧戸から見え、その他にも木にぶら下げた的に向かってナイフを投げている兵士、ひさしの下で寝ている兵士、仲間内で遊戯に行じている兵士などがいた。

 厩舎がある広場のようになっている城門から先に行くと、徐々に生活臭がし始める。井戸があり、道の両脇には商店が並び出す。往来を呼び込みの声が飛び交い、同時に罵声も耳に入ってきた。行き交う人々は数を増していき、ムウはナーの背中を見失わないようついていく。

 通りを歩いているのは様々な人種であった。種の見本市であり、統一感などまるでない。しかし殆どに共通しているのは尾である。毛の濃い薄い、口の高低、手足の長短様々なれど、大抵尾が生えている。唯一それが出ていなかったのは兵士達であった。


「軍に入ると頭の上にある耳や尾は切られるナ」


 不思議そうに兵士の姿を目で追いかけているムウにナーが言った。


「尾は邪魔だし掴まれるし、穴空け加工が手間だし」

「耳は?」

「横にあるならともかく、上にあると兜を被った時、耐えがたい痛さナ。短い間なら我慢できるけど、兵士は何時間も被りっぱなしとかあるからナ」

「お前は切っていないのだな」


 ナーの頭の上では、柔らかそうな毛の生えた耳が忙しなく動いている。今は先端がちょっとだけ垂れていた。


「私は兵士じゃないし。お揃いの防具を身につけなきゃいけない軍は、猿人族向けナァ。私達は自由に動ける方がいいだけじゃなく、集団行動はあまし向いてないナ。それに犬人族はせっかくのいい聴覚が無駄になるから。いないわけじゃないけど、少ないナ」

「なるほど」


 しばらく歩いた後、ナーは立ち止まり、辺りをきょろきょろと見渡す。


「えーっと。ここら辺りだった気が――」

「何を探しているのだ?」

「何って‥‥‥宿屋。あんたが泊まるところ。馬車で話したナ」

「ここらでか?」


 そう言ったムウは首を巡らせた後、先に見える城壁を顎で指した。市街は奥にいくほど建物の背が高くなる傾向にあるが、それはあの城壁の巨大さを際立たせる引き立て役にしかなっていない。まったく、人の手が作り出したとは思えぬ大きさであった。


「あそこの中には入らないのか?」

「あそこ、お金かかる」

「入るだけでか?」

「そうナ。そもそもあそこにいるのは領主の関係者や軍の人間ナ。あと御用達の鍛冶屋や商店。安全な分、高い。いいものは置いてあるけど、お金あるナ?」

「さっき見せたぶんしかない」


 ムウがそう言うと、ナーはちらりと剣に目をやった。


「まぁ、たぶんこっちで間に合うと思うナ。というか、向こう側だったら私にはお手上げ」

「‥‥‥ならばとりあえずこちらから探すか。どうにもならなかったらその時考えよう」

「それがいい」


 頷いたナーがある方角へすたすたと歩く。ムウはそれを追って大通りから細い路地へと入り込んだ。

 路地は影になっている場所が多いせいで暗く湿っている。上は両脇の二階から二階へとロープが通され、洗い物が干してあった。道の両端にはごみが放り捨てられ、悪臭を放っている。

 それでも、路地に入った当初はまだ人がいた。だがそれも段々少なくなっていき、最後には誰もいなくなる。その頃には最早路地はまっとうな輩が歩く場所ではなくなっていた。

 ムウは建物の影からこちらを窺う視線を幾つも感じ取った。


「おい」

「どんな環境でも寝れるから安いトコと言ったナ」 

「確かにそうだが‥‥‥」

「別に襲われたら殺しちゃってもいい」

「そうなのか」

「それで生活費を稼ぐ人もいる。だからみんな慎重ナ。襲われたら与し易しと思われたってことナァ」


 そう言うと、ナーは人の悪い笑みを浮かべた。

 ムウもまた笑みを浮かべる。


「わかりやすい。単純なのはいいことだ」

「そ、そうナ。きっと気にいってくれると思う。でも兵士の前では静かにしてるナ」


 しかし結局ちょっかいをかけてくるものは誰もおらず、ナーの足が止まったのは、隣の建物に寄りかかるように建つ今にも崩れ落ちそうなほど朽ちた木造アパートの前であった。

 色の剥げた戸を開けると、小さなカウンターと階段が、そのカウンターの奥には扉がある。


「誰かいませんかー」


 ナーは声を出し、カウンターの上に鈴を見つけるとそれを鳴らした。

 奥から小汚ない老爺が出てくる。


「なんじゃあ」


 老爺は前歯がなく、右腕もない。肌は染みだらけで目玉がぎょろりとしている。ナーを不躾な視線で舐め回すように見て、


「女を頼んだなぞ聞いておらん。建物を間違えてねぇかい」

「死ねジジイ。一人部屋一つナ」

「ひぇっひぇっひぇっ。半シルバーだ」

「二十」

「馬鹿言うな。四十五」

「ベッドしかないくせに。二十三」

「外にないモンがありゃ当然だわ。四十三」

「しつこい。いい加減あの世にいったらどうナ。二十五」

「ゴロツキどもに常識を教えてもらって出直せや小娘。四十一」

「私はもう大人ナ! 二十六」

「なんだ二十六の年増か。四十一」

「ああああああああ!」


 ナーがいきなりカウンターを蹴っ飛ばした。宿の床で地団駄を踏み、


「昔は三十だったナ!」

「いったいいつの話だそれは。物価はなまもの。今は四十二だわい」

「なんでまた上がるナ!」

「――もういい」


 ムウはナーを制した。このままではいつまでたっても終わらない。

 老爺を冷たく見据えて言う。


「四十だ」

「む‥‥‥まぁ、いいだろう。それで手を打とう」

「賢明な判断だ」


 言い返そうとした老爺はムウの表情を見て止めた。

 ムウは袋から銅貨の大を四枚出して払う。


「部屋は二階の突き当たりから二番目、向かって右手だ。桶は水と排泄用。印のついてる方が排泄だ。間違うなよ。水は裏手を少し歩けば井戸がある。延長するなら前日の夜までに前払いだ」


 事務的に言葉を垂れる老爺。

 頷いたムウはナーを連れて二階へと上がった。


「私に任せてくれてたら三十まで値切れたナァ」

「それは悪いことをした」


 後ろを歩くナーがまったく期待の持てなかった台詞を言ってくるが、ムウはおざなりに応えると教えられた部屋の扉を開けた。


「‥‥‥殺風景だな」


 中は藁にシーツを被せたベッドと小さなテーブル。木桶が二つ。それだけであった。扉の内側には閂がついており、鍵は中からしかかけられないようになっている。窓は一つで、横にスライドさせる木製の板が一方の壁に掛かっていた。


「外に出るときは荷物を持っていくナ」


 文字通り寝るだけの部屋である。

 しかし十分でもある。ムウは問題ないと判断し、ナーと連れだって階下におりる。

 宿の主人はもういなかったが、ナーは立ち止まってじっとカウンターを見詰めた。


「どうした」

「先に出てて」

「ふむ‥‥‥」


 ムウは少し悩み、言葉を次ぐ。


「盗むのなら俺の分も頼む」

「しないナ!」


 小声で怒鳴るという器用な真似をしたナーは手でしっしと追い払う仕草をした。

 ムウが外で待っていると、宿の中から微かに鈴の音が聞こえてきた。直後、ナーが足音を消して素早く出てくる。


「さあ、行くナ」


 ナーの顔は晴れやかだ。


「まずは商会から」

「いや。そのことなのだが――」


 ムウは男達を探すつもりでおり、それはトリアの足跡を追うことにも繋がることになるが、いざ始めようとなると、とっかかりとなるべき情報を全くと言っていいほど持っていない。

 トリアが何のために出かけのかも、あの男達の所属も。咄嗟のことだったので顔すらはっきりとは覚えていない。そんななか、一つだけ人混みの中に混じっていても見つけだせるものがある。

 ――それは馬だ。トリアが乗って行った馬、そして連れていった驢馬なら、ムウは見分けられる。そのつもりでいる。

 トリアの生死は定かではないが、例え殺されていても証人を残さないという理由で馬を殺処分するものはおるまい、というのがムウの考えである。おそらく自分のものとしたか、売ってしまった筈である。つまりそれを辿ればトリアに、しいてはあの男達に手が届くのだ。


「まずは魔法からにしておこう」


 しかしムウは安全策をこうじることを優先した。何をするにも力である。その思いはこの都市にきてますます強まった。


「うーん、魔法ナァ。結果が出るとは限らないからナー」

「多少は師や親に聞き及んでいる。俺が何らかの魔法を覚えることができるのは間違いない」

「その師匠は魔法を使えなかったナ?」

「俺がすぐに使えそうなものは。言うには、間近で見たり感じたりすればだいたいわかるらしいが、特にそういうことはなかった。だが、つい先日使えそうだと思った魔法に出くわしたぞ」

「ふむふむ」


 ナーは相槌を打ったが続けようとするムウを手で遮り、


「馬車の旅で昼御飯抜きだったナ。食事しながらいい?」

「構わん」

「奢って」

「‥‥‥いいだろう」

「言ってみるもんだナ」


 二人は大通りまで戻ると『馬の蹄』亭に入る。入り口の上のほうに、名前の由来ともなっている巨大な蹄鉄がぴかぴかに磨かれてぶら下がっていた。

 中には四角や丸のテーブル十あまりと椅子が置いてある。席は半分以上埋まっていて、開け放たれた鎧戸から入ってくる冷たい空気に身を縮こまらせた男達が日も沈まぬうちから酒を飲んでいた。男達が野卑な胴間声をはり上げると、厨房との間にある仕切りの向こうから前掛けをつけた女が出てきては、おかわりの入った巨大なピッチャーから男達の手元にあるコップへ無造作に中身を注いでいく。

 ムウとナーは空いている四人がけの席に座ると、給仕に香辛料入りのワインと食事を頼んだ。中身はお任せである。


「出会いに乾杯ナー」


 ナーが言い、木のコップをぶつけてくる。

 ムウは、雨の日の排水口のような勢いでワインを飲んだ。

  

「おおー。いい飲みっぷりナッ」

「まあな。――お嬢さん、追加だ」


 あっという間に空にしたムウは丸太のような腕と足を持つ樽おばさんに言った。

 おばさんはピッチャーからワインをなみなみと注ぎ、ムウの前に威勢よく置く。

 一緒に置かれた魚を酢につけたものが、ムウとナーの一掬いであっという間になくなってしまう。


「それで、使えそうな魔法ってなんナ」


 ナーが口を動かしながら聞けば、ムウは魚の骨を床に吐き捨てながら答える。


「ヒポグリフの使っていた叫び声のようなやつだ。あれは使えそうな感じがしている」

「『忘却者の呼び声』かナ? 死なないとは運がいい。もしそれがほんとなら、食いっぱぐれないナ」

「どうやれば使えるのだ?」

「まず、魔法とは――ング」


 ナーは嚥下して、


「そこらから使える魔素を集める。そして形を整え、放出。大きく分けてこの三つ。集める速度や規模、形の綺麗さ、放出の多彩さは才能によるナ。三番目の放出は、まあだいたいなんとかなることが多いナ。丸くても散ってても火は火、だし。『忘却者の呼び声』は、初めは叫びに合わせると楽ナ。慣れれば声を出す必要もなくなるし」

「うむ」


 次から次に皿やボウルが運ばれてきた。

 ムウは菜っぱに炒ったインゲンを大量にのせ、袋を閉じるように持つと一口に頬張る。


「ほへへ。ひゃつめうのはほうはるんや」

「ああ! 口から出てるナ! 汚い!」

「気にするな。それで、どうやって集めればいいのだ」

「意識を伸ばしてかき集める感じナ。分かりにくかったら、最初は見えない手を想像するといいナ。十分だと思ったら、効果を与えて範囲を決める。んで、出す」

「どうやって効果を与えるのだ」

「そんなの知らないナ」


 ナーは肩を竦めて、


「ムウは使い方を知らないのに、何故か使えると思ったナ? なら、実際にその時がくれば使える。そういうものナ。ちなみに私の場合は、頭の中で願う」

「ほう」


 どうやら今のままでも魔法が使えるらしいとわかったムウは上機嫌に杯を重ねた。そのままの気分で、


「お前も魔法が使えるのか。どうやら俺は当たりを引いたらしい」

「そうナァー。あんたはほんと運がいいナー。私のように美人で何でも知ってる女に、つきっきりで教えてもらえるナァんて」

「まったくだ。それで、他の魔法も覚えたいのだが、どうすればいい?」

「それナ!」


 中身が飛び散る勢いでコップをテーブルに叩きつけたナー。


「魔法を使うには実際にくらってみるか、間近で見るのが一番ナ! だから魔法使いにお金を払って見せて貰うナァ!」


 だいぶ声が大きいが、酔客が多いのであからさまにこちらに注目する者はいなかった。


「でもあいつら、実演する魔法が使えない系統だと先にわかるとお金貰えないナ! だから何が使えるかタダじゃ教えナいんナ!」

「それは許せんな」


 柔毛で顔色がわかりにくいが、ナーはもう酔っているようだ。それに嫌な記憶でも思い出したのか、語気が荒い。気分を損ねないようにムウは適当に相槌を打った。


「でも素晴らしく美人で、なんでもこなす私がムウにとっておきの方法を教えてあげるナァ」

「そんなものがあるなら先に言え」

「ん?」

「‥‥‥いや、そんな素晴らしい方法を知っているとは、さすがだな」

「褒めてもナにも出ないらよ」

「いや、情報が出る筈だ」


 ムウは言いながら、樽おばさんが持ってきた去勢鶏のブルーエの入ったボウルから、煮て柔らかくなったアーモンドを摘まみ出しては床をうろちょろしている鼠に向けて指で弾く。


「私もやるナ」


 見事に鼠の側に落とすムウを見て、笑顔のナーが同じように指で弾いて飛ばした。

 放物線を描いたアーモンドが、こちらに背を見せて座っている男の頭に命中する。


「あっ」

「――っ! 誰だぁっ、今のは!」


 男が声を荒げて猛然と立ち上がった。その姿は明らかに力仕事に従事している男のもので、肉の上にほどよく脂肪がのっており、長袖のチェニックをこれ見よがしにまくっている。肉の脂で口まわりがテカテカしていた。


「誰だって訊いてんだよぉ!」


 何度叫ばれようとも応えはない。当然である。犯人はムウの目の前でテーブルの木目を見つめている。


「黙ってりゃなんとかなるなんて思うなよ!」


 男は頭に当たって落ちたアーモンドを拾うと、後頭部に当たったという事実からだいたいのあたりをつけてテーブルの上の料理を確かめ始めた。


「おめぇらの中に犯人はいる!」


 最終的に男が選んだのは三組の客であった。

 男三人組の客。男と女の二人組の客――ムウとナー。男二人の客である。


「今なら一発殴るだけで許してやる! 正直に出ろや!」


 男は問い詰めるが対象が絞られていないので、皆聞こえないふりをした。先程まで仲間内で喋っていた口を閉じ、黙々と食事を続ける。


「‥‥‥とことん舐めやがって」


 据わった目つきをした男がぶつぶつ言い始めたところで、ムウは手をあげた。

 男が凄い形相で睨んでくる。


「おめえか――」

「お嬢さん、おかわりだ」


 ナーがテーブルの下で脚を蹴るなか、樽おばさんがやってきてワインを注いだ。

 一口飲んだムウがコップをおろせば、いつの間にかすぐ真横に顔を真っ赤にした男が立っている。

 男はふやけたアーモンドの入ったボウルを食い入るように見た。その瞳は真剣そのもので、王に献上する宝石を吟味する職人のそれだ。


「‥‥‥おめえか? おめえがやったのか?」


 男の口調には、酔っ払い特有の偏執さが滲み出ている。


「違うな」

「じゃあ誰だ! 手前にいるおめえらはどっから飛んできたか見てた筈だ!」

「確かに見たが――」

「なんだとぉ! さっさと教えやがれ!」


 さっきからテーブルの下が非常に鬱陶しい。

 ムウは足でナーと戦いながら、


「知っているが俺はお前がどうなろうと興味がないので言うつもりはない。食事の邪魔だからさっさと失せろ」

「‥‥‥‥」


 男の顔から表情が消えた。

 居合わせた誰もが、最早喧嘩は避けられないと思った。

 入り口の扉が開いたのはそんな時である。


「お、いたいた」


 ひょいと顔を覗かせた男は、店内をぐるりと見回し、ムウとナーで視線を固定しそう呟いた。そして一度顔をひっこめた後、今度は普通に入ってくる。続いて武器を持った五人の男達の姿。

 そのなかに見知った顔を見つけたナーはあっと声をあげた。


「馬車の男ナ」


 確かにそうである。

 逆恨みして襲撃にきたのかと思ったムウだが、しかしなにやら様子が変だ。商人風の男は身動きができないよう拘束されているのである。


「こいつに見覚えがあるな?」


 ムウほどではないが身体の大きな男が言った。坊主頭で年は四十近いだろう。

 ムウが肯定すると、


「こいつは愚かにも俺達にお前等の襲撃を依頼してきた。たしかに仕事に餓えている奴等にとっちゃこういうのはいい小遣い稼ぎだが、時と場合によっては筋書き通りにゃいかないこともある」

「用件は?」

「まあそう焦るなって。まずはこいつだが――」


 男はそう言うと商人風の男の髪を握り、ムウの方に突き飛ばした。


「こいつはお前等に危害を加えようとした。つまりお前等には反撃をする権利がある。――殺して金目のものを奪いな」

「た、助けてくれ‥‥‥。殺すつもりはなかった! 本当だ!」


 商人風の男はムウを見上げてそう口にした。


「有り金を置いて失せるがいい」

「あ、あ、ありがとう!」


 ムウの応えに、急いで財布を出した男はそれを押し付けるようにして渡すと走って逃げていく。


「かー。馬鹿だねぇ。また襲われるかもしれないのに」

「そうかな」

「そうさ。だがまあお前がそれでいいってんなら好きにするさ。痛い目見るのは俺じゃない」

「‥‥‥そうかな」


 ムウは今度は意味ありげな笑みと共に同じ台詞を吐いた。

 それに気づかなかった坊主頭は、


「んで、用件だが。俺達はお前を――」

「ちょっと待てや」


 坊主頭の言葉を遮ったのはさっきからムウの横で苛々しながら立っていた男だ。アーモンドの男である。


「そっちの用が何かは知らねえが、こっちが先だ」

「――んだ、お前は?」

「あんたらには関係ねえ」

「関係ないことはないだろう。でも俺達が後から入ってきたのは事実だ。用件次第じゃ譲ってやってもいいぜ」

「‥‥‥‥」

「どうした。どんな用なんだ?」

「‥‥‥‥」

「おい! 人が訊いてんだ! 答えないか!」

「‥‥‥あんたらには関係ねえ」

「舐めてんのかお前」


 額に青筋を浮かべた坊主頭が拳を鳴らして近寄る。


「俺はな。無駄に暴力振るうのは好きじゃないんだ。だから優しくしてやってるんだろ。それをお前、調子に乗りやがって」


 この男は何故答えないのだろうか。ムウは隣にいる男を見やりながら不思議に思った。だから代わりに言ってやることにする。


「その男は自分にアーモンドをぶつけた犯人を探しているのだ」

「アーモンドだと?」

「そうだ」


 坊主頭は冗談かとムウの横の男を観察するが、どうやら嘘ではないと悟ると一言に切り捨てる。


「くだらん。後にしろ」

「――だ、そうだぞ」

「‥‥‥‥」


 誰かが吹き出す音が聞こえた。

 うつむいたアーモンドの男はこれでもかというくらい拳を握り締めている。

 やがて、男は背を向けると厨房へと姿を消した。


「邪魔が消えたな。話を続けるぞ」


 坊主頭がそう切り出す。

 だが結局それは叶わない話だった。

 厨房から叫び声が響いたと思うや、大きな鉈包丁を手にした男が飛び出てきたからだ。


「ぶっ殺してやる!」


 血走った目をしたアーモンドの男は一目散にムウを目指した。理不尽な話である。


「おらあああああぁっ!」


 大振りの一撃をムウは一歩下がって躱す。そして左手で首、右手で股間を掴むと一気に持ち上げ、むん――と唸るや、頭を床に叩きつける。

 湿った音がしたので、もしやと思ったムウ。見ると首が変な方向に曲がっている。

 手を離すと、臥した男の肉体は不気味な死の痙攣を起こした。


「こ、殺したナ」

「うむ」


 ひっそりと存在感を消していたナーが恐る恐る訊いてきたので、ムウはこう答えた。


「お前がな」


 

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