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機械仕掛けのカンパネラ  作者: 瑞原唯子


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第18話 身勝手な復讐劇

「まったく、面倒なことになったな」

 上司の楠は椅子の背もたれに身を預けながら、正面に立つ拓海を見る。

 その溜息まじりの声からも、じとりとした視線からも、失態に対する呆れがはっきりと感じ取れた。拓海はこれ以上ないほど深々と頭を下げて謝罪する。

「本当に申し訳ありませんでした」

「まあいい。あとは任せておけ」

 楠が問題視したのは、俊輔を殺したことではなく、その後の対処を怠ったことだ。

 本来、事を起こしたあとはすぐに楠の指示を仰がなければならない。しかしながら親友を手に掛けたことで平静を失ってしまい、連絡も忘れ、自分の部屋でぼんやりとシャワーを浴びていたのである。

 どうやらその間にアンソニーが俊輔の部屋を訪れたようだ。脱走してまもないこのときに、なぜ協力者に接触するという危険を冒したのかはわからない。ただ、彼が俊輔の遺体を発見して110番通報したのは確からしい。

 それゆえ殺人事件として捜査が始まってしまったのである。幸か不幸か、娘の七海がアンソニーを目撃していて、彼が重要参考人として手配されている。拓海はいまのところ捜査線上にも上がっていない。

 楠はその事件ごと警察庁で引き取ろうというのだろう。俊輔は公安の所属なので、任務上の機密事項に抵触するなど理由はこじつけられる。納得はさせられなくても、それなりに筋が通ってさえすればいいのだ。

「連絡するまで自宅で待機していろ」

 楠は事務的な口調でそう告げて、執務机に置かれた電話に手を伸ばすが、拓海はそれを遮るように声を上げる。

「お願いがあります」

「何だ」

 隙のない視線で促され、緊張でじわりと汗がにじむのを感じた。それでも言わないという選択肢はない。ごくりと唾を飲み込んで口を開く。

「坂崎の娘も死んだことにしていただきたい」

「どういうつもりだ」

「私があの子を、坂崎七海を引き取ります」

「何も死んだことにする必要はないと思うが」

「…………」

 何も答えられず硬い面持ちで視線を落とす。さすがに本当のことを話す勇気はない。あきらめるしかないと思ったそのとき——彼はわずかに口もとを上げて、挑むようなまなざしを投げかけてきた。

「高くつくぞ」

「承知しています」

 拓海は姿勢を正して真摯に答える。

 自分にまだ十分利用価値があることも、それなりに気に入られていることも、すべて計算の上で願い出ているのだ。何を求められたとしてもいまさら驚きはしない。これまでも、さんざん非道なことを命じられてきたのだから。


 自宅マンションに戻るとすぐに、楠から電話がかかってきた。

 七海を迎えに行けと言われて所轄の警察署に向かう。身寄りがないため警察署で保護されていた彼女を、ひとまず父親の友人として拓海が預かれるよう、楠が手配してくれたのだ。


「あちらです」

 若い女性警察官に案内された先に、七海がいた。

 彼女はおとなしく窓際のソファでジュースを飲んでいた。いつもよりぼんやりとはしているが、父親の惨殺現場を目にしたとは思えないほど落ち着いている。幼さゆえにまだ状況が理解できていないのかもしれない。

 女性警察官に聞いたところ、通報を受けて駆けつけたときには意識を失くして倒れていたらしい。それも血溜まりの上に。そのせいで七海自身も衣服も血みどろになっていたため、署で身体を拭いて着替えさせたという。

 目を覚ましたときは喋ることさえままならない状態だったが、着替えてから平静を取り戻したそうだ。職員の聴取に応じて目撃情報を話したというので、記憶はなくしていないのだろう。

「七海、大丈夫か?」

「おじさん?」

 拓海の姿を認めると、七海はほっと安堵の息をついて表情を緩ませた。落ち着いたとはいえやはり心細さはあったようだ。事情もわからないまま、知らない大人たちに知らないところへ連れてこられたのだから無理もない。

 拓海はローテーブルを挟んだ正面に腰を下ろし、前屈みで彼女を覗き込む。

「七海、これからは俺と暮らそう」

「お父さんが死んじゃったから?」

「……そうだ」

 七海はいまにも泣きそうな顔になりながら、こくりと頷いた。くりくりとした大きな目いっぱいに涙をためているが、口をきゅっと引き結び、こぼさないよう必死にこらえている。

 父親の死を理解していないのかと思ったが、そうではなさそうだ。

 おそらくいつもどおり良い子でいようとしているのだろう。他人の邪魔にならないように過ごし、尋ねられたことには素直に答え、気に入らないことでも我慢する。彼女にそういう節があることは以前から気付いていた。

 その頭に手を伸ばして、ぽんとのせる。

 瞬間、堰を切ったようにぽろぽろと涙の粒をこぼし、顔をゆがめて息苦しげにしゃくり上げ始めた。泣きたいだけ泣け——拓海は無表情でそう告げると、彼女の涙がおさまるまでじっと待ち続けた。


「七海、お父さんの敵を取ろう」

 冷たい蛍光灯の下、拓海はやわらかい小さな手を握って言う。

 ストレッチャーに寝かされた俊輔の遺体には布が掛けられ、顔だけしか見えない。血がきれいに拭き取られているためか、寝ているだけのようにも見えるが、首筋から覗く傷が惨劇を物語っている。

 遺体安置所まで案内してくれた若い女性警察官は、気をきかせて外で待っている。それでも声が届いてしまう可能性はあるのだから、こんな話をするべきではないが、気持ちが昂ぶってどうしても抑えられなかった。

「かたき?」

「お父さんを殺した男を殺すんだ、七海のこの手で」

 俊輔の遺体を見つめたまま、つないだ手にそっと力をこめながらそう言うと、彼女はこくりと頷き、そのやわらかい小さな手で健気に握り返してきた。彼女にはもう拓海の手しか頼るものがなかったのだ。

 こうして、拓海は何も知らない幼い彼女を、身勝手な復讐劇に巻き込んでいった。


 七海は素直だった。

 日々、ラ・カンパネラのオルゴールを鳴らしながら、お父さんの敵を取ろうと言い聞かせるが、嫌がったことはただの一度もない。殺すという物騒なことも当然のように受け入れている。

 拳銃の扱いを教えても素直なだけに飲み込みが早い。もちろん理解はしていても思うようにできないこともあるが、努力を惜しまず、できるようになるまで繰り返し練習を続けていた。

 学校にも行けない境遇を嘆きもせず、わがままも言わず、言いつけをよく守り、ひたむきに努力し、目的に向かってまっしぐらに進んでいく。彼女のまっすぐな心には疑念など一切なかった。


 一方、拓海の気持ちは次第に揺らぐようになった。

 七海を復讐に利用することがいかに道理に反しているか、初めからわかっていたつもりだった。わかったうえで決意したつもりだった。けれど、その無垢なまなざしを向けられるたびに罪悪感に苛まれた。

 本来なら拳銃など一度も手にすることなく、学校に通い、友達と遊び、子供らしく楽しい日常を送っているはずなのに。いまならまだ間に合う。取り返しがつかなくなる前に社会に戻すべきではないか。

 しかし、復讐を完遂するにはやはり俊輔の娘が必要なのだ。簡単にあきらめられるくらいなら初めから巻き込んでいない。七海にしても、いまさらやめろと言われたところで納得はできないだろう。

 そんな結論の出ない自問自答をするようになったころ、突然、あの男の似顔絵がテレビに映し出された。ごまかす間もなく七海は確信の声を上げる。いくらなんでもまだ早い——ひそかに動揺する拓海を置き去りにして、復讐の歯車は回り始めた。


 どこで間違った。何を間違った——。


 重く垂れ込めた鉛色の空から、ぽつぽつと雨が降り始める。

 拓海は後頭部を殴られて倒れていたが、顔に冷たい雨粒が落ちるのを感じてうっすらと目を開く。最初に視界に映ったのは俊輔の墓石だった。何となく彼が泣いている気がして奥歯を噛みしめる。

 体をよじると、わずかに動いた足先に何か硬いものが当たった。見なくても拳銃だとわかった。去りぎわにあの男が投げつけていったのを覚えている。死にたければ勝手に死ね、と——。

 そうだ、最初からそうすれば良かったんだ。

 拓海は重たい体を起こして拳銃を拾うと、自らのこめかみに銃口を当て、引き金にゆっくりと人差し指をかける。誰よりも死ななければならないのは自分だ。あの男はともかく、七海を復讐劇に巻き込むべきではなかったのだ。

 きっと、俊輔は許してくれないだろうな。

 急に雨が強くなった。顔や首筋を幾筋もの雨水が伝い落ちていくのを感じながら、墓石を見上げて薄い自嘲の笑みを浮かべる。目を閉じ、気持ちを落ち着けるように小さく呼吸をすると、引き金にかけた指にゆっくりと力をこめる。

「ダメ!!!」

 その声にビクリとして振り向くと、七海が雨を蹴散らしながら飛びかかってきた。拳銃を両手で掴み、思いきり引き上げて銃口を空に向けさせると、指をちぎらんばかりの勢いでもぎ取った。

 彼女は降りしきる雨に打たれながら仁王立ちし、怒ったような泣きそうな顔で口を引き結び、唖然とする拓海を睨みつけていた。奪い取った拳銃を震えるほど強く握りしめ、口を開く。

「家族が死ぬのはもう嫌だ」

「……俺は、家族じゃない」

「パパって呼ばせたくせに」

 彼女はいまにも泣き出しそうな顔で笑いながら、揶揄するように言った。声はすこし震えている。もしかしたらすでに泣いているのかもしれない。目が潤んでいるのは雨のせいではないだろう。

 ザー……。

 沈黙を覆い隠すように雨音が大きくなる。

 二人とも髪から衣服まで全身ずぶ濡れになっていた。それでも時が止まったかのように動かない。夢か現実かも曖昧になる中で、打ちつける雨だけがかろうじて現実を伝えていた。

 やがて、彼女は詰めていた息を吐いて背を向けた。拳銃を持っていない方の手を体の横でゆっくりと握り、ほんのすこしだけ俊輔の墓石の方に顔を向け、戸惑いがちにうつむく。

「お父さんならわかってくれると思う。拓海が苦しんだこと」

「…………」

 雨に掻き消されそうな弱い声だったが、拓海の耳には届いた。

 彼女はこぶしに力をこめると、振り返ることなくぴしゃぴしゃと水たまりを踏んで走り去っていく。その向かう先にうっすらと見える人影はあの男だろう。次第に小さくなり霞んでいく彼女の後ろ姿が、俊輔に重なって見えた。


 土砂降りの雨の中、拓海は地面に突っ伏して慟哭した。


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