証明
王都エクスファリアは広大な面積を誇る城砦都市である。
“天啓の塔”を中心に、王宮、王城、貴族街、商業区、職人街、臣民街、貧民街とエリアが広がり、それらを高い都壁が囲うのだ。
また貴族街より外、それぞれの街区との境には森や畑が整備され、戦時の自給自足体勢も確保されている。
そんな王都にとって血管とも言えるのが、八本ある主要大通りであろう。
八つの主要大通りにはそれぞれに名前が付けられており、その内の一つ“鎚通り”は職人街との流通を支えるべく計画された道路であった。
その為か“鎚通り”は王城方面へは貴族街、外郭方面には貧民街まで道は延びており、貴志郎達はこの“鎚通り”を走る乗合馬車を使い貴族街までやって来たのである。
ウルスラと貴志郎がモーランド侯爵邸についたのは、正午を過ぎた頃か。
本来ならばもう少し早くたどり着くのだが、今回は奴隷である貴志郎が居た為、貴族街に入る際に様々な手続きが発生し時間をとられたのだった。
モーランド侯爵はエルフの貴族で、王宮では遺跡管理官を取りまとめる職についている人物であるとウルスラから聞かされていた貴志郎は、緊張しきりにその巨大な門扉の先に進んだのだったが。
ここでも“奴隷”という身分故にか、モーランド侯爵との謁見はウルスラのみとされて、貴志郎は別室で彼女の帰りを待つ運びとなっていた。
「ライカ草のハーブティーです」
「あ、どうも……」
メイドが優雅な仕草で湯気の立つ茶器を貴志郎の目の前に置く。
同時にふわりと甘い香りが貴志郎の鼻腔をくすぐったが、それがメイドのものなのか、ライカ草のハーブティーによるものなのか、貴志郎には判断がつかなかった。
なぜならば、貴志郎はこの時激しく緊張を強いられていたからだ。
広い室内の四隅とやたら巨大な入り口の両開き扉の所には、見目麗しいメイド達がまるで彫像のように微動だにせず立っている。
腰を下ろすソファーは滑らかかつ柔らかな動物の皮張りで、ベッドとして使っても違和感が無い程大きい。
数ある室内の調度品はどれも豪奢で、知識が無い貴志郎から見てもどれか一つ金に換えたならば、庶民一家族が三代にわたって暮らしていける額になるのだろうと確信出来るような品であった。
そして今し方、うやうやしく出されたライカ草のハーブティー。
茶器は当然、調度品と同じような高級な空気を纏い、ゆっくりと立ち上る湯気はオーラが顕現したかのように錯覚を覚えさせる。
――そう、待たされていた部屋は豪華な客室で、明らかに“奴隷”に対するもてなし方ではなかったのだ。
いや、もしかしたら侯爵邸ともなると奴隷ごときを待たせる部屋は無く、最低ランクの部屋ですらこの豪華さであったのかもしれない、などと真面目に考えてしまい、頭を抱える貴志郎である。
「失礼します」
貴志郎が目の前の茶器を飲むどころか、触っても良いのだろうかなどとテンパっている間に、部屋に新たなメイドがやって来た。
五人である。
いや、先頭を歩く人物は一人瀟洒な執事服を身に纏っているからメイドでは無いのだろう。
やはり、小汚い貧民街の奴隷を待たせる部屋は無かったのだと考えるのが妥当であろうか。
きっとそこら中にいるメイド達は、自分がなにか物を盗まないか目を光らせる為に居て、それでも足りないから応援を呼んだのだ。
――貴志郎は、権力に弱いタイプであるらしい。
そんな事を本気で考え始めて、頭をかかえた所でふと。
入室してきたメイドの代表らしき執事風の人物が、直ぐ側に立っている事にはじめて気がついた。
「お初にお目に掛かります。わたくし、当モーランド家の執事をしております、オデットと申します」
そう話しかけて来た男装の麗人然とした女性が優雅に一礼した所で、貴志郎は我を取り戻し慌てて立ち上がったのだった。
女性は他のメイドらとは違い、貧民街では殆ど見かける事の無いエルフであった事が、貴志郎を慌てさせた一因となっていた。
一目でそれと判ったのは、短めに切り揃えた髪から横にはみ出る尖った耳と、執事服がとても様になる細い体躯、そして非常に整った顔立ちであったからだ。
他にもウルスラに教えて貰っていたエルフ族の特徴としては金髪である事があげられるのだが、彼女の場合は黒に近い濃紺の髪色である。
王都においてエルフは基本的に貴族階級である為、彼女はもしかしたら貴族と多種族の使用人の間に生まれた私生児かなにかかもしれない。
もし接するような事があれば気をつけるようにとも注意を受けていた貴志郎は、そんな風に緊張しながらも、ふと目の前の麗人が自分の言葉を待っている事に気がついて、更に慌ててしまう。
「す、すいません! わ、私はノツ・キシローと申します!」
「これはどうも、ご丁寧に。存じております。ウルスラ様の御客人であるとか」
オデットと名乗った執事の柔らかな反応に、貴志郎は混乱を鎮める事に成功しながらもむ? と内心首を傾げた。
対応が予想外に丁寧で、かつ当然だとばかりの反応だったからだ。
あるいはそれは表面的なもので、内心では氷のような冷たい目線の下奴隷が、卑しい人族がと蔑んでいるのかもしれないが、少なくともオデットの表情態度からは読み取る事はできない。
元の世界での価値観では珍しい女性の執事(実は現代でも珍しくはない)と言う事も相まって、貴志郎は無難に相手が何か誤解を抱いているのではなかろうかと判断した。
「ご――、あ、いえ、なんか、勘違いしていませんか? 俺、ウルスラの奴隷、なんですけど……」
「対外的にはそういうお立場である、と存じております」
「そ、そうですか。あはは……」
「どうぞ、おかけになってください。遠慮など無用でございます」
「はぁ……」
なんとも情けない、貴志郎であった。
とはいえ貧民街でさえ、奴隷であるとわかれば態度を変え居丈高になる者が多かっただけに、元々引っ込み思案気味の貴志郎の性格を差し引いても、この扱いに戸惑うのは当然ではあるのだが。
果たして、現代の日本において貴族のもてなしにどれ程リラックスできる者がいるだろうか。
まして貴志郎はまだ、この世界で一ヶ月程度しか生活をしていないのだ。
貴志郎はすっかり混乱を戸惑いに変換しつつも促されるまま、おずと腰を下ろした。
そんな彼を確認してオデットは柔らかな笑みを浮かべ、スっと一歩横に身を引く。
その動作はマナーに疎い貴志郎でさえ判るほど洗練されており、思わず見惚れそうになるのだが、彼女の後に控えていたメイド達によってそれは阻まれてしまった。
四人のメイド達はそれぞれ銀のトレーを持っており、トレーの上には同じく銀のドーム状のカバーが乗せられていた。
傍目には何か豪華な食事まで用意してくれたのだろうか、と思わせるような代物である。
しかし直ぐにその中身は、貴志郎が想像したようなものではないと判った。
メイド達は貴志郎の前にあったテーブルの上にそれらを並べ、カバーを取る。
すると中にあったのは何の変哲も無い、しかし周囲の光景と比べると違和感がある透明のフィルムが現れたのだった。
「じきウルスラ様と侯爵様のご商談は終わるでしょうが、お暇を持てあますようでしたらいかがでしょう?」
「これは……」
「それらは公爵様秘蔵の、超古代文明時代の“書物”でございます。聞き及びました所、キシロー様は超古代人であるとか。どうぞ手に取ってご覧になってみてください」
言われて、貴志郎はオデットから再びテーブルの上に並べられた四つのトレーとその上にあったフィルムに目を落とした。
それから改めてオデットに目配せをし、一枚、恐る恐るフィルムに手を伸ばす。
つまみ上げるとそれは紛れもなく、ただの透明なフィルムであった。
少し厚手でサイズとしてはA4位の大きさであろうか。
勿論、貴志郎が暮らしていた時代にはこのような“書物”等存在しない。
――ドっと背中に汗が噴くのを感じる貴志郎。
彼自身、超古代人とやらであることは疑いようのない、あるいは現代日本人であることは当然間違いないと確信が持てる。
が、そうでない者にとっては、貴志郎の存在はかぎりなく胡散臭く見えても仕方の無い事なのだと今更に理解が及んだからだ。
なにせ超古代文明は三万年前の存在だ。
そんな、生物ですら数世代も進化していそうな長い時を経ているのに、その当時の人間が現れるなど夢物語も良い所では無いか。
ウルスラ等は何やら確信めいたものを持っているのかも知れないが、こういった場では“こういった手段”でしか、自身の身分の証明をするしかないのである。
まして、貴族の館では“相手を見定める”ような事が防犯上、あるいは政治上行われて当然であろうと貴志郎でも予想できる。
対して、手に取ったフィルム。
明らかに、“書物”ではない。
取り繕いようも無く、“書物”ではない。
文字の一つすら書かれてない、完全に透明なフィルムである。
貴志郎は考えた。
もしかして、オデットは“これは書物などでは無い”という答えを待っているのだろうか。
それとも、この時代では“これ”が書物であると伝わっているのだろうか。
どちらにせよ、間違った対応をした場合にどのような事になるのか、想像も付かない貴志郎である。
だが、このまま沈黙してしまっても事態は好転しないだろう。
いっそ、正直に言うべきか。
“これは少なくとも、自分がいた時代では書物ではなかった”、と。
考えて見れば、一口に超古代文明といっても時代に相当な幅があるはずだ。
自分が死んですぐにあの科学文明の世界が崩壊したとは限らないのである。
百年経っていたのかも知れないし、何千年も時が過ぎたのかもしれない。
そう考えると、正直に言っても問題はないはずだ。
貴志郎はそう結論付け、オデットの方を向きこれは書物ではないと言おうとした――のだが。
ふとフィルムの下端中央に、見覚えのあるマークをみつけて動きを止めた。
マークは○とタテ線を組み合わせたのだった。
改めて、フィルムを逆さまにする。
マークは上端中央に移動し、“記憶の通り”、正しい形に収まった。
つまり、Uの字に上部か切れた○に、中央のくぼみにタテ線が入ったマーク。
電源マークだ。
「おお! こ、これは……!」
オデットが驚きの声をあげる。
貴志郎が電源マークを指で押した所、フィルムが発光したからだ。
発光はバックライトであろうか、次いでフィルム上になにやら文字が浮かび上がってくる。
文字列は二つ。
『充電不足・光のあたる場所に置いてください』
『ペットやお子様による誤作動を防ぐスマート認証設定中』
日本語である。
思いっきり、日本語である。
何処からどう見ても日本語である。
フィルムは電子ペーパーか何かであるらしい。
それも、メイド・イン・ジャパンの。
電子ペーパーはその後警告文の通り電力不足からか、すぐに光を失って元の透明なフィルムに戻ってしまう。
「……これ、もしかして暗い所に保管してました?」
「えぅ、あ、はい。貴重品故、当家の宝物庫にて箱に入れ厳重に保管しておりました」
「だから、でしょうね。他のやつも多分見れないと思いますよ。これ、太陽光発電式っぽいですし」
「たいようこうはつでんっぽい?」
「えと、光に長時間当てないと動かない、って意味、です」
貴志郎は呆気にとられながらも、オデットを見た。
彼女の驚きようを見るに、この“書物”の閲覧の仕方を知っていた訳ではないようだ。
ただ、これが“書物”であると言っていたので、だれか他の者はこの品の起動方法を知っているのは確かなようであるが。
その割に暗所に保管していた所から、案外こういった品の扱い方の知識などは、秘匿されているのかもしれない。
もしくは、オデットは驚いたフリをしているだけか。
試しに貴志郎は他のフィルムを手に取り、電源マークを押してみた。
予想通りいずれも光が灯り、充電不足の警告文が浮かんだ後光が消える。
その間、貴志郎はオデットや他のメイドの反応をチラ見したのだが、やはり彼女達は大いに驚いていた体で、知っていて試したわけでは無さそうだ。
――どちらにせよ、試されているのであればこれで証明出来たはずだ。
貴志郎はほっと胸をなで下ろし、少し迷ってからライカ草のハーブティーに手を伸ばした。
先程までの緊張からか、喉がカラカラに乾いていた事に気がついたからだ。
カップを口元に運ぶと、甘い香りが貴志郎の鼻腔をくすぐる。
あの香りはこのハーブティーから立ち上るものであったらしい。
きっと、疲れた脳を癒すような優しい甘味がするのだろう。
そんな期待を抱いて、貴志郎はカップを口に運ぼうとした。
「ぬはははは! 喜べキシロー! 待たせた甲斐もあって、良い話に纏まったのじゃ!」
同時に、聞き覚えのある高笑いと共にズガンと音を立て乱暴に扉が開く。
驚いた貴志郎は思わずカップを取り落としてしまった。
床には厚手の絨毯。
だが、ソーサーも一緒に落としたのが不味かったらしい。
落着時、ソーサーとカップが重なってしまい、パリンという音と共に高価そうな茶器が割れてしまった。
ついでに、中身のライカ草のハーブティーが、非常に高価そうな絨毯にぶちまけられてしまう。
どうやら“ニムロッド”の借金は、また増えてしまったようだ。
貴志郎は恨めしそうにウルスラを睨んでから、再び頭を抱えるのだった。
TIPS:
貴族街と商業区の間には森や畑が存在し、旧城壁が二つの街区を分けている。