幼女の誘い
野津貴志郎は奴隷であった。
グラウ王国での奴隷とは、ローマ共和国における奴隷に近い扱いと説明するとわかりやすいだろうか。
王国の基本的な階級としては、罪人の上に奴隷が有り、卑民、臣民、貴族、王族と上がって行く。
政治を行う特権階級は王族と貴族で、臣民と卑民の違いは多額の特別納税による市民権を獲得しているかどうかで決まる。
貴志郎はそこから更に下、奴隷階級ではあったがその実体は市民権を持たない卑民――つまり、貧民街の住民とあまり変わりなかった。
王国での奴隷の扱いは様々で、一般的な奴隷から鉱山奴隷、戦奴、農奴、性奴、生奴などが存在し、人口も国民の三割を占めて意外と多い。
その為か社会基盤を支えているという事実もあり、奴隷といっても人権が存在しないような扱いを受けるのは稀であった。
とはいえ、非人道的な扱いを禁じる法律もありはするものの、中にはあえて人間性を無視して扱われる奴隷も存在する。
主に性奴と生奴だ。
性奴は言わずもがな、性欲の捌け口になる事を生業とした奴隷である。
税を払えなかったり、罪を犯したり、または借金のカタに性奴となる者が殆どだ。
一方、生奴の方は魔法実験や錬金薬投与実験などの被験者となる事を生業とする奴隷である。
こちらは罪人がなる事が多く、すべての奴隷の中で最も過酷で悲惨、“生きているだけで良い”状態を維持する奴隷として扱われた。
早い話が非道な拷問や死罪の代わりに生奴に墜とす意味合いもあったのだが、罪人以外にはごく稀に“発掘”される、貴志郎のようなイレギュラーな存在も生奴に墜とされる事がままあった。
というのも、王国法にとって“超古代人”は“アーティファクト(遺物)”に過ぎず、奴隷を含む国民に認めている権利を付与してはいないからだ。(罪人は基本的に権利を剥奪される)
その為かウルスラは貴志郎を発見した際、王国に“アーティファクト”として所有を打診し、評価額の十分の一を税として支払う事で万一にも貴志郎が生奴と扱われぬよう、自分の一般奴隷として登録したのである。
“アーティファクト”は基本的にすべて王国所有となるが、発見者に限り、その評価額の十分の一を税として王宮に支払えば所有を認められるのだ。
逆に税を支払わぬ場合は、“アーティファクト”の評価額がそのまま王宮から発見者に支払われる仕組みである。
実の所、貴志郎はかなり運が良かった。
如何に罪人が生奴に墜とされる事があるとはいえ、それは殺人など重犯罪をおかした者が対象となる。
そうなると数を確保出来るでもなく、法的に人権の無い“アーティファクト”を生奴として利用しようと考える人物や組織が存在するのも、当然の結果とも言えよう。
事実その内、いくつかの実験機関が王国に働きかけて貴志郎を手に入れようと動いていたのだから、シャレにならない話である。
人体実験を要する魔法実験や錬金薬投与実験はそのような闇を抱えてはいても、王国の繁栄には必要と判断されているのだ。
そのような闇をも抱えるグラウ王国とは如何なる国か。
一言で言い表す場合、『エルフが支配する国』と言って良いだろう。
王国は王祖エクスファリアが王朝を開いてより千年、“三名”の王が統治してきた王国である。
いずれもエルフが王となり国を良く治め、対外的には戦争が何度かあったものの、国土を失う事も増やす事も無く、永らく平和な世を維持してきた。
そんな王国の特筆すべき点を一つ挙げるならば、その統治体制にあるだろう。
王族をはじめ貴族の半数以上と重要な役職は、すべて長命のエルフで占められているのだ。
つまりこの国の統治体制において、王族や貴族の“代替わり”による空白が殆ど存在しない事になる。
貴志郎のような人族の感覚で言えば、代替わりしないと言う事は即ち、老人によるあまり変化の無い政治になるのではないかと危惧すべきなのかもしれない。
しかし長命のエルフ達にしてみればそうではない。
彼らは死を迎えるその時まで若々しい姿であるからか、森を愛し変化を嫌う本質があれど、学ぶ柔軟さを長く維持する特性が存在する。
王都の外では昔ながらのエルフの生活を森で送っている者達が殆どであるが、王都で政治に関わるエルフ達は積極的に“変化”を受け入れる傾向を持っていた。
どういうことかと説明するならば、その長い寿命の中で彼らは学び続けるのである。
人や獣人が現役で居られる四、五十年の間に経験を得たとして、彼らは最低でもその十倍の経験を持ち得るのだ。
今日において王祖エクスファリアの功績の一つに、優秀なエルフを王国の重要なポストに就けた事が挙げられるだろう。
無論個人の腐敗は皆無とは言い難いが、その多くのエルフ達は人族が執心するような欲望とは無縁であった。
優れた容姿と長い寿命はエルフならでは、生まれた時から持っており、また長命故に様々な知識と経験、そして富を長い寿命の中で研鑽し獲得する事ができるのからだ。
必然として、支配者階級の質は人族が治める他国とは歴然としており、さらに代替わりなどで劣化する可能性が極端に低くなる事こそ、グラウ王国の強みであった。
グラウ王国はそんな、優秀なエルフ達が治める国であったのだが、ウルスラもまたエルフであるらしい。
貴志郎が聞いた話によれば、現在のケモミミ幼女の姿は超古代文明の遺跡に潜った際に受けた呪いによるものだとか。
本来の彼女は家柄も良い深窓の令嬢で、『超古代文明研究家』であり、王国一の剣の使い手で、王国一の美女であり、しかも王祖エクスファリアと共に建国の戦いを経験した古のエルフを意味する“ハイ・エルフ”であるとは本人の談。
◆
「うそつけ。俺、ウルスラが剣を持った所なんて見た事ねぇし。てか、お前剣なんて持ってねぇじゃねえか」
貧民街の一角にある酒場『小さな巨人亭』の片隅にて。
何時の頃からか、“ニムロッド”の指定席になってしまった、店の隅の目立たない席で貴志郎は容赦無いツッコミを行っていた。
奴隷が主人に向かって口にするにはあまりに失礼なものの言いようであったが、この場にそれを咎める者などいない。
勿論相手は凶暴なケモミミ水干幼女である。
「う、嘘では無いのじゃ!」
「深窓の令嬢は男を殴り飛ばして酒場を半壊させないと思うけど、エクスファリアじゃそうなのか?」
「うぐっ」
「『超古代文明研究家』って、お前その服以外、ソレらしい物もってないし。どうやって研究してんだよ」
「ぐぬぬ、そ、そこはほれ。キシローの身柄と市民権を買うのに、王宮に払う税やらなんやらで、全財産を売り払ったのじゃから!」
「王国一の剣の使い手が、なんで呪いなんて受けてるんだよ」
「そっ、それはじゃの、油断してと言うか、仕方無くと言うか……」
「王国一の美女って、少なくとも俺はもっと綺麗な人を知ってるし」
「なぬ?! 誰じゃ! 何処で見た! おのれ、吾輩のキシローに色目を使いおって――、ええい二目と見られぬよう、顔面に吾輩の魂の拳を叩きつけてくれる! 地獄の意味をとくと体に――」
「やめんか」
「あだっ!」
ビシ、と強めのデコピンが興奮しはじめたウルスラの額に命中し、彼女の嫉妬の炎が一瞬にして沈火した。
その様子に、遠目にとばっちりを怖れていたマスターのゴリアテが、ほっと安堵のため息を吐く。
「で、それだ。直ぐそうやって感情的になるって、お前ほんと千年以上も生きてるのかよ」
「うむ! しかし吾輩、まだまだぴちぴちの三千才未満なのじゃ!」
「その感覚がわからん……」
「むははははは! そうか、そうか!」
「褒めてねぇよ」
「おはようございまーす。ご注文の朝食セットでーす」
そんな、貴志郎が一方的に疲れるような会話をしていると、トラコ嬢が注文していた朝食を運んで来た。
昨日は遅くまで店の片付けをしていたというのに、よく働く娘である。
『小さな巨人亭』は昨夜ウルスラが派手に暴れた為しばらく休みとなった筈であるが、宿泊客の為に朝の食事サービスだけは行う事にしたらしい。
なので、貴志郎とウルスラはこうして一階の酒場兼食堂に降りてきて、朝食にしていたのである。
朝食セットとはいってもその内容は、薄いハーブのスープに固く小さな黒パンが付いただけのセットで、銅貨一枚で四食まで用意して貰える『小さな巨人亭』の朝食メニューだ。
銅貨は王国では最小単位となる硬貨であるが、銅貨一枚以下の価値である品を取引する際、その端数は切り捨て扱いとなる。
なのでその場合は通常、購入者は銅貨一枚分の価値になるまで余分に品を購入する事が王国では一般的であった。
というわけで、貴志郎とウルスラの目の前には今、四食分のスープと黒パンが並んでいる。
配分はウルスラが三食分、貴志郎が一食分であったが、その事については特に二人の間で口論になる事は無い。
「ほほほへひひほー、ひょうはほはへほへほほほふぁいひほほほ」
「パンを頬張りながら喋るなって。何言ってるのかわからんし」
「もが、ん――、ん――? んん――?!」
「……ほれ、水」
「んぐっ! ――ぷぁ、し、死ぬかと思うたのじゃ」
「三千年生きて死因が安物の黒パン喉に詰まらせて窒息死とか、すっげぇマヌケだもんな」
「まったくじゃ。――言っとくが、吾輩は二千才未満じゃからの?」
「さりげなくさっきより千年もサバ読むなよ、剛毅すぎるぞ」
「ぬはははは! そうじゃろう、そうじゃろう! 吾輩は剛毅なのじゃ!」
「褒めてねぇよ。……で? なんて言ってたんだ」
なんとも脳天気な、あるいは果てしなくポジティブなウルスラに貴志郎はこの日最初の疲労感を覚えながらも、なんとなく彼女に話の続きを促してみた。
「ほむ。そうじゃった。のう、キシロー。今日お主の予定はどうなっておる?」
「そだな。昨日ウルスラがやらかしたから、返済が滞ってる鍛冶屋と雑貨屋の方に待ってくれるよう土下座しにいかないと」
「土下座、かや?」
「土下座だ。そこまでしないともう、返済を待つどころか許してすらくれん」
「カザドラシムの所は大丈夫であろ。ああ見えて“ニムロッド”との付き合いは相当古いからの」
「カザ……鍛冶屋のドワーフのオッサンの方か?」
「うむ」
自信たっぷりに頷くウルスラ。
何故か、彼女がそのような仕草を行うと途端不安に駆られる貴志郎である。
「うむって。あの人、何時も気難しい顔して不機嫌そうにしてるし。無理だろ」
「コツがあるのじゃ。あやつはの、ああ見えて金勘定が弱い。それはもう、弱い。とにかく弱い。死にかけのゴブリンよりも弱いのじゃ」
「盛りすぎだろ、それ」
「いや。その証拠に、どんなに借金しても銅貨五十枚ほどのちょっと良い酒を持っていくと、アッサリチャラにしてくれるからの」
「犯罪じゃねーか」
王国法などあまり詳しくない貴志郎であったが、そこは断言出来た。
計算がおぼつかない相手から借金し、言葉巧みに踏み倒す。
職人とはいえ商売をしている以上、そこはどうなのかとは思うが、つけ込む方もつけ込む方ではないか。
「それも取引じゃよ」
「そうだけど、さ」
「というか、キシローのように誠実に返済を頼めば多少は待ってくれるだろうがの、アレは見てくれの通り短気じゃ。そろそろ、土下座しておる所に愛用の戦槌をブチ込まれても、おかしくは無い頃合いなのじゃ」
ウルスラの言葉に、貴志郎はぐっと反論を飲み込む。
確かに、貧民街には荒くれた性格の者が多い。
真心を尽くして対応を行う事で信用を得ていこうというのが彼の方針であるが、一時の感情に流された相手に殺されてまで貫きたい信念でもない。
なので貴志郎はアッサリ変節する事にした。
お金に余裕が出来たら色を付けて返しておこう、と自分に言い聞かせながら。
「むー、気は進まないけど、ソレやらないと物理的に俺の命が危ない、ってことか」
「そうじゃ。雑貨屋のシンディの方は小言で済むと思うのでキシローに任せるが……それが終わったらちと吾輩の仕事に付き合うのじゃ」
本日の予定に対する方針が決まったところで、珍しくウルスラが誘ってきた。
その表情と低めの声色からはいつもとは違う、妙な緊張感が伝わってくる。
思い返せば、彼女の方から“仕事”に付き合えと口にしたのは初めての事ではないだろうか。
なにせ、貴志郎は荒事に挑む事の多いこのパーティにおいて、剣も魔法も使えない、貧民街の裏路地を歩けない程の最弱メンバーである。
今だって、何か出来る事があればと模索した結果、パーティの会計について安全な場所で出来る事をやっているに過ぎないのだ。
そんなキシローに“付き合え”とは、どの様な了見であろうか。
只言えるのは、彼女が貴志郎にこのような誘い方をするのは初めての事だった。
TIPS:
超古代人はアーティファクト扱いである。