表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いちゞくの花  作者: イヲ
第二花
9/68

-2-

風呂から上がった明宜は紺色の、薄手の作務衣を着ていた。

どうやらそれが寝間着らしい。


「隣の部屋にいるから、何かあったら知らせてくれ。まあ、ないと思うけど」

「わ、わかりました」

「うん。じゃあ、おやすみ。扇風機あるから、適当にまわしといてよ」


頷き、すっと締まった襖を見つめる。

水墨画で山水が描かれているその襖。そこに、札が貼ってあった。

壁にも、何枚か。

こんなところで眠れるのだろうかと思うが、一か月間、ここで寝起きするのだ。

慣れなければどうしようもない。

のろのろと布団のなかに入り、無理やり目を閉じる。


それからどれくらいたっただろうか。

何度も寝返りをしていると、襖から、かすかな光が入ってきたと同時に、香のにおいが鼻腔をくすぐった。


「……」


すぐに光はなくなったが、そのにおいはとても――心地がいい。

自然と緊張していた心身が、そのにおいで休まってゆく。


知らず知らず、永劫は眠っていた。




夢を見た。

ゆらゆらと揺れている影。

おかしなもの。人なのか人とは違うものなのかさえ分からないその影。

これが、野良神なのだろうか。

反射的に思うも、根拠はどこにもない。

だが、たしかに――あの音が聞こえる。草履がコンクリートをすべる、あの音。

足音は確かに聞こえるものの、こちらには近づけないようだ。


影は、口惜しそうに何か呟いている。

何を呟いているのか分からないが――



「聞くな」

「……!?」


後ろからいきなり明宜の声が聞こえて、肩が竦みあがる。

振り返ることができないのは、両耳に手を当てられたからだ。

血が流れる音だけが聞こえる。


「野良神の声を聞くと、戻ってこれなく(・・・・・・・)なる」

「あ、あんただって聞いているじゃないか!」


耳もとで呟かれた言葉に反論すると、明宜はおかしそうに笑った。

夢のなかだというのに、なんだか妙にリアルだ。


じゃり、じゃり、という音が徐々に消えてゆく。夢のなかだからか、異様に真っ白い世界から音が消え、やがて耳もとの手のひらが離れていった。


「珊瑚さん、あれは一体……」


問うても、後ろには明宜はいない。真っ白な世界にただ一人だけ残されて、呆然とする。


――どうすりゃいいんだ。


そう思考していると、手首を思い切り掴まれた。そのまま引かれて、――暗転。

その手は、氷のように冷たかった。

あれは、明宜だ。


「……う……」


自分のうめき声で目が覚める。

ぼんやりした視界には未だ慣れない木の天井があった。

実家は普通の白い天井だったから、慣れるには時間がかかりそうだ。


「ああ、起きたかい?」

「え……? う、うわっ!?」


声が聞こえた方角――すぐ横を見ると、肘を畳につけ、寝そべっているにやにや笑っている明宜がいた。


「危なかったねぇ。野良神の声を聞くことは危険なことなんだよ。……まあ、次に夢に出てきたときは、自分で対処してもらいたいもんだけど」

「は? それって、どういう……」

「うーん……。企業秘密」


しらばっくれるように笑った明宜は、ゆっくりとした動作で起き上る、が、


「珊瑚さん!」


ぐらりと体が揺れて、崩れ落ちそうになる。

反射的に立ち上がって、永劫よりも15センチは高いであろうその体を支えた。

薄い飴色にも似た髪の毛が、永劫の頬にかかる。


「あー……ははは。悪いね。ちょっと貧血」

「貧血って。もうちょっとマシな嘘ついてくださいよ」

「えぇ? ひどいなぁ。――って、きみには嘘をつく必要も、ないか……」


どういう意味か分からないが、肩を貸してゆっくりと座らせた。

明宜の体からは、――香のにおいと、わずかな汗のにおいがする。


「……」


思わず顔をそらせた。何故か。そう、何故か、そうしなければならない気がしたからだ。

それでも、明宜はにやにやと笑って、「んん?」と首を傾けて、永劫をのぞき込む。


「なーに。おっさんにときめいちゃったりしちゃった?」

「あ、ああ、阿呆ですかあんた!!」


思い切り体を離しても、にやにやといやらしい笑い方は消えてはいなかった。

顔をそむけても、なんとなく気配で分かる。


「阿呆ってね……。そこまで言われるとおっさんだってちょっと傷つくなぁ」

「馬鹿よりいいでしょう」

「そういう意味じゃなくて……。まあ、いいか。とりあえず、着替えてくれ」


白いシャツとジーンズに着替えると、明宜は畳のうえに胡坐をかいて、こちらをじっと見つめていた。


「な、なんですか?」

「いや。きみ、白いねぇ。肌」

「は? そうですか?」


普通だと思うが、そうなのだろうか。

膝に肘をあてて笑っている男は、やはり何を考えているのか分からない。


「じゃ、さっそく始めるか。朝飯はそのあとだ」

「始めるって……。野良神に帰ってもらうために?」

「そう」


うなずいて、のろのろと立ち上がる明宜は、どこか疲れているようだった。

――大丈夫なのだろう、か。


「あの……珊瑚さん」

「ん?」

「俺が言うのもなんですけど、その、疲れているなら、今じゃなくても」

「きみが心配する事じゃないよ。大丈夫。そんなに俺はヤワじゃないからね」


何を言っているんだ。

こんなに、青白い顔をしているのに。


なんだか――無性に、腹が立った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ