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信号が青に変わっても、車は動かなかった。
「あの、珊瑚さん?」
「この世界に理由がないものなんて、あるのかな?」
おなじ言葉を、おなじ口調で呟く。
まるで責められているようで、永劫は思わず息をのんだ。
「人は、何らかのかたちで理由を欲している。たとえば生きている理由――とかね」
それだけ、まるで独り言のように呟くと、明宜はようやくアクセルを踏む。
ちかちかと、横断歩道の青信号が点滅していた。
そのあとはなんとなく話しかけづらくて、ずっと口をつぐんでいた。
理由。
たしかに、人は何かにつけて理由を知りたがる。
先刻の明宜の言葉は、まるで自分の生きている理由を探している、とでも言うかのような声色だった。
もしかすると珊瑚明宜は、とても重たいものを抱えているのではないだろうか。
「そうだ。今日はもう遅いから、コンビニ弁当でいいかい?」
「よくない。俺が作りますよ。すぐ夕飯食いたいって言うのなら別ですけど」
つっけんどんな言いかたは、先刻の意趣返しのつもりだった。
けど、明宜は感激した様子で「そりゃありがたい」と笑っただけだ。
たぶん、踏み込めないのだと思う。
いや、踏み込ませないのだと思う。この男の内側までは。
冷蔵庫のなかを見ると、なぜかかぼちゃが冷蔵庫に堂々と鎮座していた。
かぼちゃの煮つけでもいいが、時間がかかる。
台所をありったけに明るくしてもらってから、ひとり、台所をうろうろとした。
「そうめん……。そうだ、そうめんにしよう。確かさっき、そうめんの袋が見たような」
ぶつぶつ独り言を言うのは、怖さを紛らわせるためだ。
こんなこと、誰にも言えないが。
野菜は、きゅうりとトマト、それからみょうがもある。
それと、なすもとひき肉もあったから、麻婆茄子にしよう。
これならすぐにつくれる。
料理は、すべて祖父から教えてもらった。
初めて包丁を握ったときは、まだ小学生だった気がする。
祖父はていねいに、料理を教えてくれた。祖母を早くに亡くした祖父は、料理がとても上手だった。
だった、というのは、祖父ももう年だ。
包丁を握って落としたりなんかしたら、怪我をしてしまう。
高校生になったときから、料理は自分が担当だった。
祖父が食べる昼食は、朝、早起きをして、弁当を作るついでに作っておいた。
それが何年も続いている。
――だから、これからもずっと続くはずなのだ。
まだ、死ねない。
野良神に殺されたりしたくない。
――しかし、野良神というのは、もとはといえば神なのになぜ、人を襲って殺してしまうのだろうか。
明宜が言っていたが、人間の思考と、神の思考はまったく逆方向だと聞いた。
生と言えば死になるし、死と言えば生になると言っても過言ではないと。
よく分からないたとえだったが、なんとなく分かった。
とにかく、野良神は危険な存在なんだ、ということが。
もう祀られてはいないとはいえ、もとは神なのだから、人間に太刀打ちできるのだろうか。
悶々と思考しているうちに、麻婆茄子と冷やしそうめんができてしまった。
「永劫くーん。こっちこっち」
お盆に載せて手招きした部屋に入ると、すでに茶が出してあった。
「うわ、すごい。なにこれ、茄子? 茄子なんてあったっけ」
「ありましたよ。知らなかったんですか」
自分の家なのに、なぜ把握していないんだ。すこしだけ呆れるも、もしかすると明宜は食べ物に頓着しない性格なのかもしれない。
「麻婆茄子と冷やしそうめんです」
「すごいなぁ。こんなちゃんとした食事、久しぶりだよ」
「久しぶりって……いつもどんな食事してるんですか」
「いつもはコンビニ弁当かカップ麺だよ。たまに自炊はするけど」
「駄目じゃないですか。あんたみたいな中年なら、なおさらバランスのいい食事をしないと」
「中年って……ひどいなあ。俺はまだ37なんだけどねぇ……」
ぼそりと呟いた言葉は無視をして、座布団の上に座る。
ちゃぶ台自体が年季が入っていて、あめ色に艶めいていた。
この家は、だいぶ古いのだろう。あちこち柱や壁に傷がついているが、それもまた、いい味を出している。
「いただきます」
「い、いただきます」
何故かどもる明宜は、慣れない手つきで手を合わせた。
その様子はまるで、子どものようだ。
箸をつけた明宜は、もくもくと食べている。美味しいとも不味いとも言わずに。
だが、作った側としては感想を聞かせてほしい。
「あの、珊瑚さん。お口にあいますか?」
「う、うん。すごく、美味しいよ。なんだろう。なんか、……すごく、美味しいよ」
何故かまたどもっている。
それに、どこか腑におちないとでもいうかのような、そんな声色だ。
何故かはわからないが、美味しいらしいので安心した。
彼はあっという間に食べ終えて、「ごちそうさまでした」と、またもぎこちない動きで手を合わせる。
「珊瑚さんって……独身なんですか?食事を作ってくれる人とか」
「あー……うん。作っちゃいけないというか、何というか……」
「作っちゃいけない? いや、作ってくれる人がいるかって聞いたんですけど」
「いやいや。俺は結婚しちゃいけないんだよ。もちろん、恋人も作らない」
「……それは、どうして……」
細い目をよけい細めて、明宜は顎を撫でた。
そして、こう言った。
「――依代だからさ」
と。