表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いちゞくの花  作者: イヲ
第十一花
66/68

-2-

 あのとき、行けなんて言わなければ、あの人はどこかに行ってしまうことはなかったのだろうか。

 わからない。

 過ぎ去ってしまったことは、忘れるしかないというのだろうか。


(教えてほしい。)

(珊瑚さん、鈴鹿さん。あんたたちは今――、傷ついてはいないだろうか。)


 鈴鹿も、一年前から姿を見せていない。

 どこにいるのかは、聞かない。せめて、傷ついていないことを願う。


「大神君」

「はい」

「君に渡したいものがあるんだ」

「……え?」


 教授はソファから立ち上がって、机のひきだしをそっと引いた。

 永劫はただ、雨音を聞いている。ささやかだが、うつくしい音色だ。

 明宜がいなくなった次の日、雨が降った。

 そして、雨にゆるやかに打たれた花が咲いていた。黄色の、きれいな花が。

 きれいなはずなのに、どこか哀しく見えた。


 教授はふたたびソファにすわり、白い封とうを永劫にさしだす。

 宛先も差出人も書いていない、ただ真っ白な封とう。

 彼は軽やかな色のスーツを着ていて、その袖からは黒い腕時計がのぞいている。

 その色と対照的な封とう。

 ふいに、永劫の手がふるえた。

 ベージュのカーディガンのポケットに入っているお守りを、無意識に握りしめる。


「君がしっているひとからだよ」

「……どういうことですか?」


 若菜教授はただ、ほほえみを浮かべているだけだ。

 受け取るのが、とても怖い。

 だが、受け取らねばならないことは、明確だった。

 永劫の手が封とうにふれる。そして、教授の指からそれをそっと抜き取った。


 のりはついていない。

 封とうを開き、そしてそのなかにある便せんを引き抜く。


 便せんに書かれていた字は、見覚えがありすぎるほどだった。


「……どうして、教授が……」

「彼とはちょっとした知り合いでね。でも、中身はみていない。安心していいよ」


 その文字は、なつかしく感じた。

 文章の最後に「珊瑚明宜」と書かれていた。

 けれど、永劫のなまえはなかった。ただ、「きみ」と書かれている。


 そのやさしい文章は、永劫の身をいつも案じていること。

 お守りは届いているだろうかと、心配していること。

 いつまでも永劫のことを思っているということ。

 そして心配しないで欲しい、と。

 最後にそれだけ、添えられていた。


 いつ帰るか、どこにいるのか。それは一切書いていなかった。


 永劫はその便せんから目をはなし、呼吸をする。

 なにかを考えることができなかった。

 いや、なにを考えていいのかわからなかった。


「教授。珊瑚さんと会ったんですか?」

「……そうだね」

「元気でしたか」

「元気そうだったよ」

「そうですか……」


 封とうに便せんを戻す。

 喉の奥が熱かった。そっと目をとじる。


「君のことを、とても心配していたよ。僕は君のことを何となくしか知らなかったけれど、彼のことはよく知っているんだ。いつだったかな。とても、寒い日だった。彼がやってきたのは」

「冬、だったんですね。半年以上前だ……」

「そうだね。すぐに渡せたらよかったんだけど、珊瑚君が自分がいなくなって一年後に、って渡したんだ」

「傷ついていなかったですか」

「……おそらく、傷ついているだろう。あんなことがあったからね」


 教授はおぼえていたのだ。

 高桐美鈴が自死をえらんだことを。

 そして明宜と鈴鹿の力のことを、知っているのだ。


「君は泣いていないんだね。ずっと。さみしかったのに」

「……教授は……」

「うん。分かっていたよ。だから、彼は僕に手紙をたくしたんだろう。でも、分かるよ」

「教授も、あの人を好きだったんですか」


 そのことばは、思いもよらず、するりと出てきた。

 彼は眼鏡のむこうのまぶたを伏せて、冷めてしまったコーヒーを飲みこむ。

 そうして、そっとうなずいた。


「もう、過去のことだ。彼はとてもさみしい人だった。かなしい思いを自分だけで抱えきれないのに、人に求めようとしない人だった。そのことを分かっていたから、僕はあの人の力になりたかった。でも、もう彼のこころのなかには君がいたんだ」

「……」

「僕は諦めようとしたけれど、そうそうきっぱりと諦めることはできなかった。それでも、忘れられない人がいるのに、僕を愛してくれる人がいたんだ」

「結婚、したんですか」

「うん。もう、亡くなったけれどね。息子もいた。ふたりとも、もうこの世界のどこを探してもいない。遠い過去にしかいないんだ」


 写真たての写真は、きっと教授の息子なのだろう。

 まだ、ほんとうに幼かった。

 それなのに、もうこの世にはいない。


「僕のことばかり話してしまってごめんね。でも、君でよかったとおもう。彼が……珊瑚君が愛したひとが、君で」

「……俺はそんな立派な人じゃないですよ」

「それでいいんだ。ひとはみんな、未熟だ。完璧なひとなんていない。珊瑚君は弱いひとかもしれないけれど、人間なんて、そんなものだよ。みんな弱い。でも、だからこそ強くなろうとすることができる。そうして生きていくんだ」

「そうかもしれません。俺は弱くてずるいけど、珊瑚さんはそれさえ許してくれた。きっと、それは珊瑚さんが掴んだ強さなんだと思う。俺、ずっと待っています。あのひとが帰ってくるときを」

「うん。そうしてくれるときっと、彼も喜ぶと思う。そして、忘れないでほしい。彼が帰る場所は君のとなりにあるということを」


 はい。と永劫はうなずいた。

 信じなければいけない、という義務感はなかった。

 彼は帰ってくる。

 教授の大切なひとはもう、還ってくることはないけれど、明宜は生きている。

 おなじ空を見ることができている。


 教授室から出て、永劫はひとりで中庭にでた。

 花々がそっと開いている。

 なまえも知らない花。


「……」


 それでも、花にはなまえがある。永劫が知らないだけだ。

 

 ずっと、待っていよう。

 これは義務ではない。永劫のねがいであり、望みだ。


 空を見上げた。

 どこまでも、続いている。

 あの人も、この空を見つめるだろうか。

 地ばかりを見ないでいてくれるだろうか――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ