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「っつーわけで、一つ、よろしく」
「何がっつーわけだ。まあ、いいけど」
チャラい言葉遣いで、ひょい、と手を上げる。
対するは、冷たい空気を放っている、とてもきれいな女の人。
この家の外見はすこし古いが、中に入るとそうでもない。ちゃんと片付いていて、きれいだ。
あぐらをかいている禮は、膝に肘をのせて、じろじろと永劫を見つめる。
「へぇぇえ。この子がねぇ。大学生にしてはすこし童顔だけど、まあ、いい顔している」
童顔と言われて若干ショックを受けたが、水に流すことにした。
彼女はとにかく、ものすごい力を持つ巫女らしい。
馬鹿まる出しの言いかただが、明宜が本当にそう称したのだから仕方がない。
「はい、これ」
畳に置かれたものは、何の変哲もないただの長方形の紙。いや、和紙だ。
その形、その大きさに永劫は気づいた。
幾何学的な模様が書いていないものの、あの部屋に貼ってあった札と同じだということに。
「すまんな。金はいつもの方法で振り込んどくから」
「まいど。それにしても珍しいじゃん。なに、ボランティアでも始めたわけ?」
「まさか」
明宜は肩をすくめると、煙草に火をつけた。
実際、煙草ではないのだろうが、見目、煙草に見える。
「そういえば、こいつもじき終わるな。予備はあるかい?」
「ああ、あるよ。ちょっと待ってな」
そういうと、禮はきれいな所作で立ち上がり、この部屋を出ていった。
なんだ。禮という女性は、煙草も作っているのか。
それって違法なんじゃないのか。
悶々としていると明宜は、噴き出した。
「なに考えてんの、永劫くん。これは煙草なんかじゃないよ」
「じゃあ、なんですか……」
「うーん。虫よけ、みたいなもんかな」
「虫よけ? 虫よけだったら、スプレーみたいなものもあるじゃないですか。虫よけスプレー」
「ぶっ」
再び噴き出した明宜は、腹をかかえて笑い始めた。
失礼な奴だ。むっとしていると、肩をふるわせながら、「いやあ、ツボったツボった」と目じりにたまった涙をぬぐう。
「まあ、たとえた俺も悪いか。これは、野良神が苦手なにおいを出すシロモノさ。もちろん市販なんかされていないし、スプレーなんて便利なものもない」
おちょくられたみたいで面白くないが、ふぅん、とその煙草をまじまじと見つめる。
本当に、はたから見れば普通の煙草だ。
「……ん?」
ふと今の言葉に疑問が生じた。
野良神が苦手なにおい。
イコール、野良神に狙われているということか。
「あんた、野良神に狙われているのか? 俺と、同じように」
「ん? あー……墓穴掘っちゃった?」
思わず敬語を忘れたが、明宜はまったく気にするそぶりも見せず、煙草を持った手で顎を撫でている。
香染色をした目が、まっすぐ永劫に注がれた。
「まぁね。生まれつきっていうの? そういう家系に生まれちゃったもんだからさ」
「……大変だったんだな……」
思わず呟くと明宜は目を見開いて、ふいと顔をそらせる。
もとからぼさぼさの髪をよけいぼさぼさにしたいのか、がしがしと頭を掻いていた。
「またせたね。はいよ。一か月分」
「……おう。もらっとくぜ」
風呂敷に丁寧に包まれたそれを持つと、明宜はさっさと部屋から出て行ってしまう。
その姿を禮はじっと見つめて、「やれやれ」と肩をすくめた。
「あの、珊瑚さんって一体……」
「ああ。あいつは、依代なんだよ。神さんのね。さあ、あんたもお行き」
「あ、はい……」
依代とは何なのか聞きたかったが、聞くことは許されないと言わんばかりの目をしていた。
あとでパソコンで調べることはできるが、知ることにすこし戸惑う。
何故かはわからないけど。
外に出ると、すでに真っ暗だった。もともと木ばかりで日も通らないのだが、それ以上に、思った以上に暗かった。
思わず足がすくむ。
暗闇が怖いのは毎夜そうなのだが、これは違う。
本当の、純粋な闇だ。
そういうものが、本当に怖い。
「永劫くん?どうしたの、こっちだよ」
そういわれても、こっちとはどっちなのか分からない。
無様におろおろとしていると、手首をつかまれた。
その手は驚くほど冷たくて、ひんやりとしている。思わず喉をひきつらせるが、「俺だよ」という声で安堵した。
「ほんとうに、怖いんだねぇ――」
ははは、と軽やかに笑っている明宜をひと睨みする。
ようやく車に乗り込むことに成功すると、ライトをつけた。今まで見えなかった木々の木目でさえ、よく見える。
ラジオのチューナーを動かしながら運転している明宜の手。
なんであんなに冷たいのだろう。かわいそうなほど冷たかった。
いや、こんなチャラいおっさんにかわいそうも何もないかもしれないが、ほんとうに――冷たかったのだ。
「ねえ、永劫くん。なんでそんなに暗闇が怖いのか聞いていい?」
「……ちっちゃいころから、何故か怖いんですよ。理由なんてないです」
「理由なんてない、ねぇ……」
どうにも腑に落ちないような、そんな声色をしているが無視をする。
本当のことなのだから仕方がない。
「この世界に、理由がないものなんてあるのかな?」
明宜はそう呟いて、赤信号で止まった隙を見計らい、煙草を吸った。