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いちゞくの花  作者: イヲ
第九花
57/68

-4-

「血圧も安定していますし、これなら明日、帰って頂いても大丈夫ですよ」


 回診に来た医師は祖父と似た深いしわをゆるませてほほえんだ。

 となりにいた明宜は、どこか安堵したようにため息をはき出して、「よかったね、永劫くん」と笑いかける。


「それにしても、大神さん。若いかたの貧血は多いようですが、きちんと朝食をとっていますか?」

「え? ええ、ふつうに食べていると思いますけど」

「そうですか。なら、大丈夫でしょう。いえ、ちょっと血圧が低かったのでね。今はもう大丈夫ですし、このまま栄養をきちんととった生活を送ってくださいね」

「はい。ありがとうございます」


 見るからにやさしそうな医者は、目元のしわが印象的だった。では、と軽く会釈をし、看護師をつれて部屋を出て行く。

 窓を見ると、すでに太陽は沈み、暗闇がよこたわっていた。


「――珊瑚さん」

「ん?」

「俺」


 月が出ている。

 満月なのか、雲も少なくその輝きは窓辺までとどいていた。


「俺、あんたの力になれているのかな」


 体が重たい。

 頭もうまく働かないのは、野良神のせいなのだろうか。野良神が、もがいている。そう自覚するのは、どこか難しい気がした。


「うん。十分すぎるくらいにね」

「……なら、いいん、だけ、」

「永劫くん」


 今自分が座っているのか横になっているのかさえわからない。

 体をささえられて、今ようやくすわっているのだと気づく。ついさっきまで、何ともなかったというのに。


「大丈夫だから」

「……」

「きみは、俺が守るから大丈夫。なにも心配いらないよ」

「珊瑚、さん」

「うん」

「ごめんなさ、い」


 自分がいま何を言っているのかさえわからない。ふ、とまるで電気が切れるように意識が途切れた。



 意識が途切れた永劫は、やはり顔色が悪い。

 医師が来ていた頃はよかったらしいが――。野良神がさわいでいる。出て行きたいのに、未だ永劫が引き留めているのか、それとも、すでに理性さえなくなった野良神が、ただ単にさわいでいるのかのどちらかだろう。

 明宜の目には、後者に見える。


「俺にもうすこし力があればよかったんだけど」


 ごめんね。


(きみは優しいから、無理をしてしまうんだろう。無理をして、思い出そうとしているんだろう。)

(それでも俺は弱いままで、きみを引きとめられるすべなんて、どこにもない。)

(だから、知っている。)

(きみが、誰よりも強くありたいと願っていることも、まっすぐ歩こうとしていることも。)


「でも、俺はね」


 眠っている永劫の額に、そうっと手をふれる。自分の手が、永劫を悲しませているということは分かっているつもりだ。それでも、自分の欲求はとまらない。

 触れたい。

 そういう原初めいた欲求が、とまらない。


「曲がらなきゃ、いけないんだと思うよ。ひとは、ずっとまっすぐ歩くことはできない。曲がって歩かなければいけないこともある。俺はね、永劫くん。きみがとても無理をしているように感じる。まっすぐあろうとしている」


――まわりの人間のだれよりも。


「永劫くん。もしかすると、俺は――。きみを、傷つけているのかもしれない」


 くちびるを噛みしめる。

 傷つけたくない。それでも、傷つけてしまう。自分の意思とは無関係に。


 珊瑚家はもうないとはいえ、ほんのわずかに流れている血が、永劫を不幸せにする。傷つける。それでも、明宜は永劫をもとめる。まるで、本能のように。

 だから、怖かった。

 いずれ、離れていってしまうかもしれないということが。


「ごめんね。永劫くん。それでも俺はきみを離せない」


 離す気も、ない。


「言ったでしょ。俺は――ひどくて残酷な人間だって」


 明宜は、そうつぶやいて、うっそりと――どこか自嘲気味にほほえんだ。


 月が出ている。

 今宵は欠けぬ、月が。



「今もせめて、夢を見ずにいられればいいね」

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