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「血圧も安定していますし、これなら明日、帰って頂いても大丈夫ですよ」
回診に来た医師は祖父と似た深いしわをゆるませてほほえんだ。
となりにいた明宜は、どこか安堵したようにため息をはき出して、「よかったね、永劫くん」と笑いかける。
「それにしても、大神さん。若いかたの貧血は多いようですが、きちんと朝食をとっていますか?」
「え? ええ、ふつうに食べていると思いますけど」
「そうですか。なら、大丈夫でしょう。いえ、ちょっと血圧が低かったのでね。今はもう大丈夫ですし、このまま栄養をきちんととった生活を送ってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
見るからにやさしそうな医者は、目元のしわが印象的だった。では、と軽く会釈をし、看護師をつれて部屋を出て行く。
窓を見ると、すでに太陽は沈み、暗闇がよこたわっていた。
「――珊瑚さん」
「ん?」
「俺」
月が出ている。
満月なのか、雲も少なくその輝きは窓辺までとどいていた。
「俺、あんたの力になれているのかな」
体が重たい。
頭もうまく働かないのは、野良神のせいなのだろうか。野良神が、もがいている。そう自覚するのは、どこか難しい気がした。
「うん。十分すぎるくらいにね」
「……なら、いいん、だけ、」
「永劫くん」
今自分が座っているのか横になっているのかさえわからない。
体をささえられて、今ようやくすわっているのだと気づく。ついさっきまで、何ともなかったというのに。
「大丈夫だから」
「……」
「きみは、俺が守るから大丈夫。なにも心配いらないよ」
「珊瑚、さん」
「うん」
「ごめんなさ、い」
自分がいま何を言っているのかさえわからない。ふ、とまるで電気が切れるように意識が途切れた。
意識が途切れた永劫は、やはり顔色が悪い。
医師が来ていた頃はよかったらしいが――。野良神がさわいでいる。出て行きたいのに、未だ永劫が引き留めているのか、それとも、すでに理性さえなくなった野良神が、ただ単にさわいでいるのかのどちらかだろう。
明宜の目には、後者に見える。
「俺にもうすこし力があればよかったんだけど」
ごめんね。
(きみは優しいから、無理をしてしまうんだろう。無理をして、思い出そうとしているんだろう。)
(それでも俺は弱いままで、きみを引きとめられるすべなんて、どこにもない。)
(だから、知っている。)
(きみが、誰よりも強くありたいと願っていることも、まっすぐ歩こうとしていることも。)
「でも、俺はね」
眠っている永劫の額に、そうっと手をふれる。自分の手が、永劫を悲しませているということは分かっているつもりだ。それでも、自分の欲求はとまらない。
触れたい。
そういう原初めいた欲求が、とまらない。
「曲がらなきゃ、いけないんだと思うよ。ひとは、ずっとまっすぐ歩くことはできない。曲がって歩かなければいけないこともある。俺はね、永劫くん。きみがとても無理をしているように感じる。まっすぐあろうとしている」
――まわりの人間のだれよりも。
「永劫くん。もしかすると、俺は――。きみを、傷つけているのかもしれない」
くちびるを噛みしめる。
傷つけたくない。それでも、傷つけてしまう。自分の意思とは無関係に。
珊瑚家はもうないとはいえ、ほんのわずかに流れている血が、永劫を不幸せにする。傷つける。それでも、明宜は永劫をもとめる。まるで、本能のように。
だから、怖かった。
いずれ、離れていってしまうかもしれないということが。
「ごめんね。永劫くん。それでも俺はきみを離せない」
離す気も、ない。
「言ったでしょ。俺は――ひどくて残酷な人間だって」
明宜は、そうつぶやいて、うっそりと――どこか自嘲気味にほほえんだ。
月が出ている。
今宵は欠けぬ、月が。
「今もせめて、夢を見ずにいられればいいね」




