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いちゞくの花  作者: イヲ
第九花
55/68

-2-

「おはよう、永劫。今日は寒いなぁ」


 大学の構内に入ったとたん、野原が永劫に話しかけてくる。


「ああ、うん。おはよう」

「なんだよ、なんか今日ぼーっとしてんじゃん」

「……そんなことないと思うけど」


 それでもたしかに、今朝のことがあったからか、すこしだけぼんやりとしているかもしれない。

 あまりにも明宜が辛そうにしていたから頷いてしまったのだが。

 なぜ添い寝をするなどと、豪語してしまったのだろうか。いや、豪語はしていないが、どちらにしても言ったことは取り消せない。

 約束を破ることも今更できやしない。


「おはよう。林君、大神君」


 一限目の教室に入ってきたのは、髪の毛をボブにした女子学生で、永劫と野原の共通の友人である八木(やぎ)(あずさ)だった。

 肌が白く、目も大きい。永劫から見ても、美人だとかんじる。


「どうしたの、大神君。そんなへんな顔して」

「そんなつもりないけど……」

「なんか大神君さ、最近元気ないよね」


 永劫のとなりにすわった梓は、机に肘をのせてつぶやく。

 それこそ、そんなつもりはなかったのだが。

 ほかの人から見てそうなのならば、事実なのだろう。

 父と母のことを思いだして、たしかに辛かったのかもしれない。できるだけ変わらずにいようと思ったが、見抜かれていた。


「――そんなことないよ」

「あのさ、今度ご飯食べに行こうよ」

「お、いいなぁ。永劫、行こうぜ。おまえ、やっぱり元気ないし」

「ああ、うん。ありがとう」


 そんなつもりはなかった。

 すべては自分のせいなのだから。

 被害者ぶるのは、大間違いだ。


 やがて教授が来て、講義が始まっても永劫はただぼうっとしたままだった。

 それを心配そうに見つめる友人がいるとも知らずに。




「……はぁ」


 ちいさくため息をはき出す。

 自分一人だけで苦しむのはいいのだが、まわりの人に気を遣わせてしまっては本末転倒だ。せめて迷惑をかけないようにしなければならないというのに。


 昼、食堂に野原とともに席に着くと、あとからすぐに梓がこちらにやってきた。


「ねえ、今週末あいてる? あいてたら、ご飯食べに行こうよ」

「おう、俺はいいぜ。永劫、おまえはどうだ?」

「あ、俺? ああ、うん。いいけど」

「ほんと? えっと、他にも誘うけどいい?」

「うん」


 どこか頭がはっきりとしない。

 彼女が言っていることは分かるが、どこか薄ぼんやりしてしまっている。これはあまりよくない兆候だと、自分でも分かる。

――おかしい。

 父の顔はわからないし、野良神が完全に去ったというわけではないということは分かっている。


「どうした? 永劫」

「え……」

「え、って。何ぼうっとしてるんだよ」


 おもわずごめん、とあやまる。

 野原はあきれたような表情で、梓を見据えて苦笑いをした。


「大丈夫かよ、おまえ。顔色も悪いぞ?」

「……そんなことは」

「大神君、ちょっと今日はもう帰ったら? すごく具合悪そうだよ」


 ずき、と頭が痛む。

 おもわず頭をおさえて、目をとじた。


「おい、永劫、大丈夫か?」


 野原の声が遠い。


 ――おまえのせいだ。

(わかっているよ、そんなこと。)


「永劫!」


 悲鳴のような声が聞こえ、永劫の意識はうしなわれた。



 誰の声かはわかる。

 呪っている。恨んでいる。

 母だ。

 父がいなくて、つらくて泣いている。

 泣いても、どこにもいないから余計に苦しくて辛くて――そして恨んでしまうのだ。

 その心は、自分にもすこしだけ分かる気がする。

 大切で、大事な人がいなくなるということの思いや気持ちが。


 自分にも、いるから。大切で大事な人が。自分の命よりも大切にしたい命がいるということも、分かる。



「――永劫くん」


 やさしい声がきこえた。

 ひんやりとした手の体温。そっと目を開く。


「あ、れ……、なんで、珊瑚さんが」

「うん。ちょっとね」

「どこ、ですか、ここ……」


 視界がぼんやりして、天井が白い、としか言えない。それでも徐々に意識がはっきりとしてくると、アルコールのにおいがして、ようやくここが病院なのだと知った。


「病院……?」

「そう。病院。きみ、倒れたんだよ」

「え……」


 倒れた。

 起き上がろうとしても、うまく体が動かない。

 明宜は、どこか険しい表情をして永劫をみおろしていた。


「ごめん、永劫くん。すこし、油断していたみたいだ」

「油断? なんですか? 今日、ちゃんとお守りもくれたじゃないですか」

「うん、そうだね。でも、今朝、俺が夢を見たせいで気づけなかった」

「……?」


 永劫の額にかかる髪の毛をそっとかきわけて、目をそっと細めてみせた。


「きみ、朝からすこし、具合悪くなかった?」

「あ、はい、すこし」

「……やっぱり。ごめん、永劫くん。気づけなくて。野良神がすこし、暴れたみたいだ」

「どう、して……。野良神は、もう力がなくなってるんじゃ」


 そうっと頬をなでられて、おもわず息をのむ。

 明宜は、ほんとうに悔いているように、目を伏せていた。なにも、彼のせいというわけでもないのに。


「うん、そうなんだけどね。ほとんど力は残っていない。でも、なんて言ったらいいのかな。手負いの獣が一番危険なように、野良神もおなじなんだ。だから、完全に消えるまでお守りも必要だし、注意もしなければいけない」

「――今までどおりにしていたほうがいいってことですね」

「そうだね。ごめん。ほんとうに」

「いいですよ。あんたのせいじゃない。元はといえば、俺が弱かったせいだから」



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