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いちゞくの花  作者: イヲ
第八花
52/68

-5-

 足下が、ぐら、と地面がゆれるような感覚におちいる。


「!」


 あしもとに、小岩がおちてきた。地響きがきこえる。白いだけの空間に、すでに桜の着物を着た母も、薄鼠の着流しを着た父もいなかった。

 天をみる。

 巨大な岩が、こちらを狙うように落ちてゆく。


「え……」


 人間一人くらいつぶすのに、どうということもないだろう。おもわず目を閉じる。それでも、岩が落ちてくる音は消えない。

 巨大な地響きとともに、それは落ちた――が、永劫の身は無事だった。これが夢だと分かっているからかもしれないが、それでも、たしかにそこには――。


「母さん……父さん……?」


 岩のした。

 血だまりがあった。奇妙な方向にねじれている腕や足が、そこにはあった。


「……ああ、そう、か……」


 どす黒い赤。

 その先には、うつくしく笑ったままの母がいるのだろう。

 苦しむ暇もなかった。

 なにがおこったのかさえ、分からなかっただろう。そうして、――死んでから気づいたのだ。自分たちは、永劫に殺されたのだ、と。


「……ぜんぶ、俺のせいだ……」


 手がふるえる。

 足に力が入らなくなり、その白い空間に膝をついた。


 母の怨念が、永劫を苦しめている。ずっと探している。

 ともに死んだ父を見つけられずに、ずっとずっと探している。それを永劫のせいにして、ずっと探しているのだ。


「俺だけが生き残ったからじゃない。母さん、母さんは苦しんでいるんだろう? 父さんを見つけられないから、苦しんでいるんだ」


 永劫は、父に守られて生きた。

 逆に言えば、父は永劫を守って死んだのだ。

 それを認めたくない母は、父を追って岩のしたに飛び込んだ。そうして――死んだのだ、と。


「父さんは、きっともう向こうにいってるよ」


 父の顔はまだ思い出せない。それでも、どんな人だったのかは分かる。きっと強くて、優しい人だったのだろう。


「俺を恨んでいてもいい。だけど、父さん一人じゃきっと、父さんも悲しむし、寂しいよ」


 時間が止まったように固まっている血は、まるで鏡のように永劫の顔をうつしている。今の自分の顔はとても情けないものだった。今にも泣きそうにゆがんでいる。


「じいちゃんもいなくなったけど、俺はひとりじゃないから……」





 どうして今更思い出したのかは、なんとなく分かった。

 高桐美鈴の存在が大きかったのだ。彼女が、ほんとうに明宜のことが好きだと言うことが分かったから。

 彼女のことはあまり好きではないが、それでも明宜のことを好きな思いだけは分かる。痛むほど。だから、本当の意味で彼女を嫌えないのだろう。たとえ、明宜が美鈴を嫌いだと思っていても。

 だからこそ、強い不安感がわき上がったのだ。――今まで感じたことのない不安感が。

 それほどまでに強い依存を感じている。自分で、理解してしまっている。

 それが、――辛い。苦しい。それでも、どこか嬉しく感じてしまっていた。



「永劫くん」


 やさしい声が。


「……」


 意識が急浮上する。

 頭がすこし痛むが、そっと持ち上げた。


「……永劫くん」

「さ、んごさん、俺……」

「――うん」


 明宜は、どこか安堵したような表情をしている。

 その目は、間違いなく永劫をみつめていた。高桐美鈴ではなく、永劫を、――永劫だけを。

 うすい飴色の目はどこまでも優しくて、湖面のようだった。


「珊瑚さん、俺、思い出した、ような気がします」

「……そうだね。きみのなかにいる野良神を見れば分かる。ずいぶん、――小さくなっているみたいだね」

「もう、声も出ないみたいだった」

「辛くはないかい」

「――すこし、つらい」


 目のおくが熱い。たぶん、今自分は泣いているのだろう。

 くちびるを噛んで、嗚咽を我慢する。父も母も、悲しいのだろう。それぞれ、離れてしまって。


「父も母も、きっと悲しいんです。寂しいから、野良神を呼んでしまった。俺の思いと一緒に」


 思い出したくないという願いが、悲しくて寂しいという思いが野良神を呼んで、永劫の記憶を喰った。自分が楽になるために。そして、せめて母の慰めになるようにと。

 

「そうだね……」

「あんたは、知ってた。こんなに辛い記憶をひとりで抱えてた」

「うん」

「分かってたんだろう。いつか、思い出す日がくると分かっていたから、俺のそばにいてくれた」

「それだけじゃない」

「うん。だから、そばにいてくれることが、苦じゃなかったんだ」

「俺も、きみもね」


 天井がゆがんで見える。

 まだ自分が泣いているのだと知って、情けなくなった。おもわず手の甲でぬぐおうとしたが、明宜にそれを制されてしまう。

 腕をどけられると、すぐにくちづけられた。


「大丈夫だよ。俺は、きみのそばにいるから。思い出しても、ずっと」

「――うん」

「そばにいる」


 まるで、子守歌のようにささやく。その言葉はあたたかく、やさしい。体温はあんなに冷たいくせに。それでも、その体温も嫌えない自分がいる。その自分も、嫌いじゃないと言うことを理解して、どうしようもない思いが胸のうちにうずまいた。


「だから、眠っていいよ。ここにいるから。ずっと」

「……」

「せめて、今は夢を見ないように」

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