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おそらく、美鈴と接触したためだろうと、鈴鹿が言った。
ちょうど近くを通りかかったから、と鈴鹿は言っていたが、何らかの虫の知らせがあったのかもしれない。
永劫はすでに意識を失った状態だった。意識を失ったのは、百合の香りのためだろう。明宜や鈴鹿には分からないが、永劫のうちがわからにじみ出る野良神の力の残滓が、香りとなっているという。
「まずいわね。野良神が暴れてる。――いったい、何があったの。明宜ちゃん」
「――高桐美鈴に会った」
「あらあら……」
畳の上に寝かされている永劫の顔色は、いいとは言えない。青ざめ、荒く呼吸をしている。
野良神と、宿主が共鳴するのはそうめずらしくはない。ただ、今の永劫の状況はどこかがおかしい。
永劫から離れ始めたというのは、間違いない。共鳴すると言うことは、すでに野良神と宿主が一体となってしまっている場合が多い。
野良神に憑かれた人間は、そう長生きできないが、うまくつきあえば普通の人間として生きていくことができる。
しかし、永劫はそれも見えない。
考えられる唯一の原因があるとすれば、――極度な不安を覚えたり、心が不安定になったりする、心因的なものだろう。
「それは、なんというか――巡り合わせが悪かったというしかないわねぇ」
「……ああ」
「そりゃあ、元カノが突然来たら動揺するわよねぇ。前、彼女がきたときも、暴れたんでしょう?」
明宜がうなずくと、鈴鹿はちいさくため息をはき出した。こればかりはどうしようもできない。偶然というものは恐ろしいものなのだから。
「形代をちょうだい」
紙でできたヒトガタの人形を鈴鹿に渡す。それを受け取り、永劫の胸にそっと下ろした。
「六根清浄」
鈴鹿が呟くように囁くと、ピンセットですぐにその形代を外し、漆の箱にしまう。その形代は、すでに黒ずみ、ともすればぼろぼろになってしまいそうだった。
「これで明日、みることね。たぶん、大丈夫だと思うんだけど」
「永劫くんは、優しいから動揺してしまうんだろう。どうしても、――すべては、俺のせいなのにな」
「……まあ、そういうことにしておきましょう。ああ、疲れた。今日も仕事三昧だったわ。泊まってっていい?」
「――ああ。風呂も沸いているから、勝手に入れ」
背中をむけて部屋から出て行く直前に、鈴鹿がつぶやく。
「……不安にさせるなとは言わないけど、あんまり、大事にしすぎるのもどうかと思うわ」
「……」
「この子だって男だもの。行き場のない心ってのも、あるんじゃない?」
そうつぶやいて、鈴鹿は風呂に入るために廊下を歩いて行った。
足音も聞こえないなか、明宜はただ青ざめた顔をしている永劫を見下ろす。顔にかかった黒い、日に焼けていない髪をそっと払ってやった。明宜から見て、まだ幼さの残る顔。やはり、大事にしたいとおもう。
――大事にしすぎても、きっと傷つけるだけと言うことも分かっているというのに。痛いほど。
大事にされなかった男は、それ故に愛をほしがる。そして、得た愛を、今度は閉じ込めようとするのだ。
そうして、いずれ、壊してしまう。
「分かっているよ」
そうつぶやいても、この胸のうちの蓋をいとも簡単に外せるほど、明宜はできた人間でも、理性的な人間でもなかった。
分かっているからこそ、どこか――不安定になってしまう。
「永劫くん」
うすいくちびるにそっと指を沿わせた。
それでも目が覚めない永劫の、たよりない手にも触れ、腕に触れ、肩に触れる。
足りない。
足りない。
凶暴な胸中に、失笑する。
(俺も、ほとほと嫌な男だな。)
あの女――。高桐美鈴のように。
目をさまさない永劫のくちびるに、そっとくちづける。
夢を見た。
何回目だろう?
彼女たちの夢をみるのは。
母の顔は分かるが、いまだに父の顔が思い出せない。桜が舞い散るなか、ゆったりと寄り添う二人は、どこからどう見ても、完璧な夫婦だった。
ただ、あるはずの子どもへの愛情が、それだけがない。
ふふ、とほほえみ続ける母。
影がかかって見えぬ顔の父。
しあわせそうなふたり。
「あいしてる」
彼女が言う。
もしも、その言葉が永劫にむけて言ってくれたのだとしたら、きっと――野良神に憑かれることも、明宜に会うこともなかっただろう。
どちらが幸せなのか、分からない。
きっと、これからもずっと分からないだろう。
ふいに、足下に黒い影がうずくまっているのを見た。
「だれ」
もぞもぞと動いているそれは、言葉を発することはなく、ただ身動きをするだけだが、その物体が「何」なのか、永劫はすぐにわかった。
「野良神……」
もう、以前のように言葉を発することもできなくなっているのか。それほどに、永劫から離れ始めている。
野良神は「喰うもの」。野良神は人を「殺すもの」。祀られることがなくなってしまった、哀れな野良神は、人の心から生まれたものだという。
自然への畏怖、人知の及ばぬものへの畏怖。さまざまな事柄の畏怖が、神を、野良神を作ったのだろうか。
「父さん。母さん。俺は、なんの罪を犯したんだ?」
おしえてほしい。




