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いちゞくの花  作者: イヲ
第八花
50/68

-3-

 家に帰ったときにはすでに日が陰り、夜のとばりが落ちる寸前だった。


「ありがとうございました」

「ん?」


 車を出してもらったことと、話をしてくれたことに礼をしたつもりだったが、明宜は何のことか分からなかったらしい。

 とぼけている様子もないのだから、ほんとうに何のことかわからないのだろう。


「なにがだい」

「えーと、その、いろいろと」

「……」


 ひたりと明宜の視線が永劫へとむけられた。その視線は彼らしくない冷めたものだ。おもわず肩がすくみ、そのつめたい目を見返すことしかできない。


「珊瑚、さん?」

「明宜!」


 かわいらしい、それでも永劫にとってはあまり好きではない声。

 体を声がするほうへとむけると、そこにはやはり「高桐美鈴」が立っていた。ハリス・ツイードのストールを巻いて、ベージュのコートを着ている。スカートからは、黒いタイツをはいている足がのびている。


「……懲りない人ですね」


 寒い空のした、冷たい風よりもさめた声でつぶやく。


「今日、パーティーがあるのよ。行くでしょう? 私も行くんだから!」

「そういう所、変わっていないですね。――高桐さん」


 背筋がぞっとするほどの冷たい声で、冷たい言葉を彼女にたたきつけた。それにしても、この女はいったい何なのだろうか。いくら社長令嬢とはいえ、なぜこんなにも自信があるのだろう。

 なんというか――イライラするというよりも、呆然とする。


「行こうか。永劫くん」

「え……。あの」

「ちょっと、明宜! この私を無視するなんて、お父様に言いつけてやるわよ!」


 永劫の腕をひき、美鈴を無視するように家に入ろうとしている永劫は、やはりさめた表情をしていた。


「言いつけたいなら言いつければいいですよ。俺にはもう、関係ありませんから」

「なんでよ。あなた、まだ私のことが好きなんでしょ?」

「――本当に変わっていないですね。あなたは。俺はそういうところがずっと、嫌いでした」


 さめた声で、傷つく言葉をつぶやく。

 高桐美鈴は呆然とその言葉を受け止めた。たぶん、こういう人は「嫌いだ」と真っ向から言われたことがないのだろう。


「永劫くん」

「は、はい?」


 思い切り腕をひかれ、玄関の扉を開いた。だが、美鈴はなおも食い下がろうと口を開く。


「嘘言わないでよ! 私は」

「では、こう言いましょうか。俺は今まで嘘しかついてこなかった」

「……!」

「どうでもよかったんですよ。あなたのことも、――俺自身のこともね」


 きっぱりとつぶやき、明宜は玄関へ入って行ってしまった。いつのまにか離されていた腕は自由になっていたからか、呆然と立ち尽くす美鈴を見つめる。


「あの」

「……なによ」


 彼女は顔を引きつらせながら、それでも気丈に「なにごともなかったかのような」顔をした。

 冷たい風がふくなか、彼女は冷めた目で永劫を見返す。


「本気だったんですか? あの人のこと」

「……」


 美鈴は何も言わずただ永劫に背をむけて、この家から立ち去っていった。電灯がすくない住宅街の道へ消えていく。靴音だけを残して。

 たぶん、彼女は本気で明宜のことが好きだったのだろう。

 だからあんなにも必死になっていたのかもしれない。今になっては、永劫にも分からないことだが。


「……」


 靴音も消えたあと、永劫はようやく家のなかに入った。

 部屋は暗く、明宜の姿が見当たらない。トイレにでも行っているのだろうかと思ったが、部屋の電気をつけると、縁側に誰かが座っていた。


「なんでそんなところにいるんです、珊瑚さん。寒くないんですか?」

「いや、見てごらん」


 明宜が指さすほうから、音が聞こえてくる。ぱん、という、火が散る音が。

 花火だ。


「そういえば、今日は花火大会でしたね。広告が入ってた」

「うん」

「……」


 どこか口数が少ない明宜のとなりに座ると、ちょうど真上で花火が散った。

 たぶん、美鈴のことを気にかけているのだろう。口ではあれほどの言葉を突き刺していたが、本心ではなかったのかもしれない。


「高桐さんのことですか」

「……どうなんだろうね。俺は、たぶんあいつのことが嫌いだったんだと思う。でも、あいつは本気だった」

「分かって……」

「でもね、すべては俺のせいだ。だから、嫌われなければいけないって、思ってたんだけどね……」


 ――人の思いって言うのは、うまくいかないねぇ。


 そう言って、明宜は笑ってみせた。

 ほんのすこし、疲れたような表情だった。


「うまくいかないから、いいんじゃないですか」


 青い火と、赤い火、そして橙の火が散ってゆく。風は冷たいが、ふれあっている肩だけはあたたかい。

 明宜はくちもとをゆるめて、「そうだね」と頷いた。


「ひとは、生きてるんですから」


 そう呟いたあと、急に胸を圧迫されたような不快感を覚えて、胸を押さえる。


「……永劫くん?」


 ちいさく咳き込んで、背中をまるめた。気持ちが悪い、というわけではない。ただ、乾いた咳が出るだけだ。

 明宜は眉をよせ、その背に手をふれる。


「まさか」


 声にもならない声で明宜がうめく。永劫はただ咳をし続け、苦しげに胸元を押さえた。

 喉からでるのは乾いた咳の音と、ひきつった呼吸音だけだ。


「立てるかい?」


 問うと永劫は一回だけ、うなずいた。未だ咳が止まらない永劫の体のなかには、やはりまだ野良神(のらがみ)が住み着いているということをしめしていた。


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