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家に帰ったときにはすでに日が陰り、夜のとばりが落ちる寸前だった。
「ありがとうございました」
「ん?」
車を出してもらったことと、話をしてくれたことに礼をしたつもりだったが、明宜は何のことか分からなかったらしい。
とぼけている様子もないのだから、ほんとうに何のことかわからないのだろう。
「なにがだい」
「えーと、その、いろいろと」
「……」
ひたりと明宜の視線が永劫へとむけられた。その視線は彼らしくない冷めたものだ。おもわず肩がすくみ、そのつめたい目を見返すことしかできない。
「珊瑚、さん?」
「明宜!」
かわいらしい、それでも永劫にとってはあまり好きではない声。
体を声がするほうへとむけると、そこにはやはり「高桐美鈴」が立っていた。ハリス・ツイードのストールを巻いて、ベージュのコートを着ている。スカートからは、黒いタイツをはいている足がのびている。
「……懲りない人ですね」
寒い空のした、冷たい風よりもさめた声でつぶやく。
「今日、パーティーがあるのよ。行くでしょう? 私も行くんだから!」
「そういう所、変わっていないですね。――高桐さん」
背筋がぞっとするほどの冷たい声で、冷たい言葉を彼女にたたきつけた。それにしても、この女はいったい何なのだろうか。いくら社長令嬢とはいえ、なぜこんなにも自信があるのだろう。
なんというか――イライラするというよりも、呆然とする。
「行こうか。永劫くん」
「え……。あの」
「ちょっと、明宜! この私を無視するなんて、お父様に言いつけてやるわよ!」
永劫の腕をひき、美鈴を無視するように家に入ろうとしている永劫は、やはりさめた表情をしていた。
「言いつけたいなら言いつければいいですよ。俺にはもう、関係ありませんから」
「なんでよ。あなた、まだ私のことが好きなんでしょ?」
「――本当に変わっていないですね。あなたは。俺はそういうところがずっと、嫌いでした」
さめた声で、傷つく言葉をつぶやく。
高桐美鈴は呆然とその言葉を受け止めた。たぶん、こういう人は「嫌いだ」と真っ向から言われたことがないのだろう。
「永劫くん」
「は、はい?」
思い切り腕をひかれ、玄関の扉を開いた。だが、美鈴はなおも食い下がろうと口を開く。
「嘘言わないでよ! 私は」
「では、こう言いましょうか。俺は今まで嘘しかついてこなかった」
「……!」
「どうでもよかったんですよ。あなたのことも、――俺自身のこともね」
きっぱりとつぶやき、明宜は玄関へ入って行ってしまった。いつのまにか離されていた腕は自由になっていたからか、呆然と立ち尽くす美鈴を見つめる。
「あの」
「……なによ」
彼女は顔を引きつらせながら、それでも気丈に「なにごともなかったかのような」顔をした。
冷たい風がふくなか、彼女は冷めた目で永劫を見返す。
「本気だったんですか? あの人のこと」
「……」
美鈴は何も言わずただ永劫に背をむけて、この家から立ち去っていった。電灯がすくない住宅街の道へ消えていく。靴音だけを残して。
たぶん、彼女は本気で明宜のことが好きだったのだろう。
だからあんなにも必死になっていたのかもしれない。今になっては、永劫にも分からないことだが。
「……」
靴音も消えたあと、永劫はようやく家のなかに入った。
部屋は暗く、明宜の姿が見当たらない。トイレにでも行っているのだろうかと思ったが、部屋の電気をつけると、縁側に誰かが座っていた。
「なんでそんなところにいるんです、珊瑚さん。寒くないんですか?」
「いや、見てごらん」
明宜が指さすほうから、音が聞こえてくる。ぱん、という、火が散る音が。
花火だ。
「そういえば、今日は花火大会でしたね。広告が入ってた」
「うん」
「……」
どこか口数が少ない明宜のとなりに座ると、ちょうど真上で花火が散った。
たぶん、美鈴のことを気にかけているのだろう。口ではあれほどの言葉を突き刺していたが、本心ではなかったのかもしれない。
「高桐さんのことですか」
「……どうなんだろうね。俺は、たぶんあいつのことが嫌いだったんだと思う。でも、あいつは本気だった」
「分かって……」
「でもね、すべては俺のせいだ。だから、嫌われなければいけないって、思ってたんだけどね……」
――人の思いって言うのは、うまくいかないねぇ。
そう言って、明宜は笑ってみせた。
ほんのすこし、疲れたような表情だった。
「うまくいかないから、いいんじゃないですか」
青い火と、赤い火、そして橙の火が散ってゆく。風は冷たいが、ふれあっている肩だけはあたたかい。
明宜はくちもとをゆるめて、「そうだね」と頷いた。
「ひとは、生きてるんですから」
そう呟いたあと、急に胸を圧迫されたような不快感を覚えて、胸を押さえる。
「……永劫くん?」
ちいさく咳き込んで、背中をまるめた。気持ちが悪い、というわけではない。ただ、乾いた咳が出るだけだ。
明宜は眉をよせ、その背に手をふれる。
「まさか」
声にもならない声で明宜がうめく。永劫はただ咳をし続け、苦しげに胸元を押さえた。
喉からでるのは乾いた咳の音と、ひきつった呼吸音だけだ。
「立てるかい?」
問うと永劫は一回だけ、うなずいた。未だ咳が止まらない永劫の体のなかには、やはりまだ野良神が住み着いているということをしめしていた。




