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「復讐……」
立ち上がり、明宜は静かにかけぬける風を眺めるように、むこうがわに見える山を見上げた。
「……これは、俺の本心。きみには言わずにすめばよかったんだけどね。でも、言わずにはいられなかった。……きみに甘えてしまっているのかな」
まるで、自らを嘲るように笑っている。
「ごめんね」
「謝らないでくださいよ。俺があんたの力になれるなら、それでいいです」
紅葉がうつくしい景色を見上げ、明宜と視線をあわさないように呟く。石をふたつ積み上げただけの簡素な墓石を見下ろして、そっと目を閉じる。永劫は、明宜を産んでくれた彼の両親に感謝をしているが、たぶん好きにはなれないだろう。それ以外に何の感慨もわかない自分は、冷めた人間なのだろうか。
「俺があんたの力になれることなんて、たかがしれてますけど」
「そんなことないよ」
風でかき消されそうな声で明宜は呟いた。
ふいに手をつながれて、思わず息をつめる。その冷たい手は、まるで泣いているようだった。
――泣いてしまえばいいのに、と思う。泣いてしまえば、きっとすこしは気持ちが楽になる。すべてを取り除くことは決してできないだろうけど。
「行こうか。たぶんもう、ここに来ることはないだろうけどね」
「……?」
「もう、ここには来ない。俺は、もう過去を振り返らない。前を見ることにする。そう決めたんだ。そしてそれを、きみに聞いてほしかった」
「……」
過去を振り返らない、と彼は言った。
それは、とても辛いことではないのだろうか。辛くて悲しいことだ。
「振り返っても、別にいいんじゃないんですか。だって、思い出も記憶もぜんぶ捨てるってことですよ。それができるほど、あんたは強くない」
「……はは、なるほどね」
「俺だったら、未来だけを見るなんてことは言わない。俺も、強くないから」
つながれた手の力が、しずかに強まる。まるで、ガラスにでも触れるかのようだ。昨夜も言ったが、自分はそんなにもろくない。しかし、強くもない、中途半端な人間だ。
それでも人間など、そんなものなのかもしれない。強くも弱くもない人間ばかりで、みんな未完成で、中途半端なのだろう。だから、人の優しさがほしくなる。
「俺は、たぶん一生中途半端で未熟なままの人間だと思います」
「……」
「でも、それはそれでいいと思えたのは、あんたがいてくれたからです。――珊瑚さん」
弱いままでいいというわけではないが、それでも人の強さには限界があると思っている。
「だから、辛かったら泣いていいんだと思います」
辛かっただろう。今まで。親に憎まれているのも辛いが、存在自体を否定されるのはきっと、もっと辛いだろう。
明宜は長い前髪を風に揺らしながら、くちびるをそっとひらいた。
「……こんなおっさんが泣いても、きみに何の得にもならないよ」
「アホですか、あんたは。得だろうが特になかろうが、俺には関係ありません。俺は、泣いたらいいって言ってるんです」
否定はしなかった。
泣きたくないと、言わなかった。
「……」
かすかに、喉が鳴る音が聞こえる。そうだ。泣いてしまえばいい。
「うわっ」
いきなり抱き込まれて、息をつめた。つめたい風がほおをかすめる。ストールが首から落ちて、すすきの葉に落ち、視界の端で生き物のように動いた。
「……」
かすかな嗚咽がきこえる。
永劫は何も言わなかった。言うべき言葉が見つからないのではなく、今、どんなに綺麗な言葉を彼に捧げても、意味をなさない。明宜は今、本当の心で泣いているのだから、何も言わないし、言わなくてもいい。
今、永劫が彼にできることは、背中に手を回すだけだ。
それだけしかできないし、それでいいとも思う。
つめたい風が明宜の薄い色の髪の毛をさらう。肩口から見える景色は、まるで燃えているようだった。山が燃え、空に火の粉が散っているようにも見える。
悲しみもすべて、燃えてしまえばいいのに。
どれほどこうしていたのかはわからない。
ただ、ずいぶん長い間こうしていた気がする。
「……ありがとう。永劫くん」
そうっと体を離されて、冷たい風が体を舐めた。ストールを拾って、ついてしまった枯れた葉を払う。
「……」
すこしだけ、目が赤い。それでも、からかうこともないだろう。自分も、もう腫れが引いたとは言えないだろうから。
目の端に涙がすこしだけ残っていた。それを見ないふりをして、足下を見下ろすと黄金色のススキは、まるで波のようにゆれていた。
「ちょっと、すっきりした、かもしれない」
照れたように笑う明宜は、その言葉どおりどこか晴れやかな顔をしている。それでも、すべてを洗い流せることは一生ないだろう。心にうけた傷が一生直らないように。
「――うん」
「もう少し、ここにいてもいいかな」
「うん」
空は秋晴れで、ひどく遠くに感じる。
白い雲がゆっくり流れ、それを明宜はただただ見上げていた。




