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いちゞくの花  作者: イヲ
第八花
48/68

-1-

 宿を引き払い、車に乗り込んでも、目の腫れは引かなかった。

 それほど泣いてしまったことに、今更ながら羞恥心が生まれてくる。だが明宜は何も言わなかった。何も言わずに、ただ寄り添ってくれた。


「永劫くん。どこか行きたい場所ある? まだ時間があるし」

「え、いや……。このへん知らないし。珊瑚さんが行きたい場所があれば……」

「そう。なら、すこし寄り道しようか」


 明宜はそう言うと、ハンドルを切って山が見える道へ入った。ラジオと風の音だけが聞こえて、彼はどこに行くのか言わず、ただハンドルを握っている。目の前に見える山の上は、ほんのすこしだけ、雪がかぶっていた。


「もう山の上は雪が降っているみたいだね」

「……うん」

「永劫くんは、雪は好きかい?」

「好きです。きれいだし」


 そう答えると、明宜は「そうだね」と笑ってみせた。高速道路に入り、海が遠くなってゆく。三連休の中日のせいか、高速道路はほんのすこし混んでいるようだった。


「冬はね」

「?」


 5キロの渋滞にさしかかった頃、明宜はぽつりと呟いた。


「冬は、俺にとって大切な季節なんだ」

「……どうしてですか?」

「きみに初めて会った日は冬だったんだよ。雪の日でね、それでも晴れてた。きれいな日だったよ」

「大げさですね……」

「大げさなんかじゃないさ。だって、冬がなければ俺は死んでたんだから」


 ごくごく普通のことを話すように答える。それでも永劫にしてみれば、こころの中がさっと波が過ぎ去るようにかすかに冷えていった。自分がいなかったら、明宜は生きてはいなかった。その事実が怖い。


「俺がいなくたって、あんたは生きてますよ」

「生きてない。きみは、言霊っていう言葉をしっているかい? 言霊は、本当にあるんだよ」

「……そうかもしれませんけど」

「そのときの俺は、本当に死にたかった。きみが言ってくれなかったら、次の日にでも死んでいただろうから。母や父が俺のことをどうでもいいと思っていたことを知っていたからね。生きていても死んでもどっちでもよかった。それでもきみだけは否定してくれた。その言葉だけで、俺はこれまで生きてこれたんだ」


 大げさだと言えなかった。それほどまでにつらそうだったからだ。

 似ているのだろう。明宜と永劫は。だから、傷をなめ合うように惹きつけられる。そこに、同族嫌悪はなかった。


「ごめんね。重くて。でも、本当のことだから」

「別に、重いなんて思わないですよ。ただ……、悲しいと思っただけで」

「悲しい?」

「俺たち、なんか傷の舐め合いみたいですよね。別にそれがいやだって言うわけじゃないですけど」

「はは。傷の舐め合いか。たしかにね」


 ようやく高速のETCを抜けて、景色がゆっくりと過ぎてゆくことに安堵する。高速道路はあまり好きではないからだ。


「でも、俺はそれでもいいと思ってる。それで傷がすこしでもふさがってくれるならね。まあ、そこに確かな気持ちがあるのかどうかは、その当人によるけど」

「……俺たちはきっと、運がよかったんですね。そこにたしかに気持ちがあったから、傷をなめ合っても平気でいられる。――うれしいんですよ。これでも」


 刈り取られたあとの田んぼが広がり始めた。もっと時期が早ければ、黄金色のきれいな稲が重たそうにしていたのだろう。それでも、この景色も永劫は好きだと感じる。そこに人がいなければ、絶対に見ることがでいない景色だからだ。

 そこに人がいる風景。それが、どこかあたたかい。一人じゃない、と感じるからだろうか。


「そっか」


 細い道を通って、やがて狭い駐車場に入り、車が止まった。きれいな葉の色が辺りに広がっていて、思わず見上げたまま硬直してしまう。


「きれいですね。紅葉」

「うん。この椛の木はまた後でゆっくり見よう。きみに見てほしいものがあるんだ」

「……? なんですか」


 明宜は車から出て、外に来るように促してくる。素直について行くと、ゆったりとした丘があった。その丘を上ってゆくと、いきなり景色が広がった。

 秋特有の遠い空が広がり、思わず息をのむ。空の色が薄く、向こう側に見える山々は赤く染まっていた。そうして、何よりも目を引いたのは、丘の上に建った、ちいさな墓石。


「ここ、は……」

「俺の両親の墓。きみに、見てもらいたかったんだ」


 墓。

 こんな寂しい場所に。

 ただ呆然としていると明宜は笑い、ちいさな墓石の前に膝をついた。草のにおいがする丘の上で、明宜はそっと手を合わせた。

 この人は、ゆるすのだろうか? 己の子供である明宜を、ゴミ扱いした両親を。自分だったら、たぶんゆるさない。


「あんたは、許すんですか? 自分の両親を」

「……どうだろうね。でも、俺はたしかにこの人たちを殺したんだ。だから、許すとか許さないとか、考えたことがないよ」

「……」

「俺は、罪人だ。それからは逃げない。それが唯一できる、両親への復讐だよ」


 明宜は薄い髪の色を風に揺らせながら、力なく笑った。

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