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いちゞくの花  作者: イヲ
第七花
47/68

-9-

 まるで泥船に乗っているかのように不安定さを感じてしまう。身体に力が入らないからだろうけど、布団のうえに丸まる。

 背中のあたりが重い。それは明宜が覆い被さるように後ろから抱き寄せられているからだが、それがどこか落ち着かない。これほど密着して眠ったことがないのだから、当たり前だろう。


「珊瑚さん。起きてますか」

「ん? うん」

「野良神の力が離れつつあるって、本当ですか?」


 部屋は暗く、ほのかな明かりが枕元でともっているだけだ。その明かりを頼りに、首をひねって明宜の顔をのぞき込む。

 ちいさな明かりでは、ほとんどシルエットとしてしか浮かんではいなかった。


「うん。本当だよ。俺の目には、そう見える。でも、それはきみを傷つけるということだよ」

「分かってます」

「そう。ならいいんだけどね。ねえ、永劫くん」

「なんですか」

「俺は、きみのそばにいるから。一人じゃないってこと、分かってくれる?」

「……うん」


 ならいいんだ、と永劫のうなじに顔を寄せた。すこしだけくすぐったいが、何も言えはしない。その言葉がなによりも真摯だったからだ。

 雨月のように静かな声だった。静かな声は、眠気を持ってくる。すこしまぶたを閉じて、腹のあたりに当てられている手の冷たさを感じたが背中はとてもあたたかい。


「おやすみ」

「……ん」


 ちいさな声で、明宜がささやく。

 子守歌のようなやわらかな声だった。身体がだるいと認識している頭では、その声色にはあらがえない。

 夕時雨のような暗闇に沈み込むように、永劫はまぶたを閉じた。



 夢を見た。

 母の夢だった。きれいな桃色の着物を着た、少女のような表情をした女は、父に寄り添って幸せそうにほほえんでいる。

 初めてだった。母の顔を見たのは。幼い少女のように無垢な顔をしている。

 紅色に染まった木の下で、しあわせそうにほほえんでいた。

 それでも、そこに永劫はいない。二人のなかに、永劫はどこにもいなかった。こころの隙間にも、入る隙などどこにもない。

 自分たちの子供だろうと、こころを許さない。死ねと言い続けて、死ねと叫び続けた先になにがあるのかさえ、永劫には分からない。まるで秋海棠の花が咲くしめった場所のように、母や父がいる。手を伸ばせない。手を伸ばすことも許されない。手を伸ばしても、むなしく宙を切るだけだ。

 自分を産んだ母が永劫の存在を否定するには何らかの原因があるはずだ。

 それを知るのは恐ろしいが、知らねばならない。


「どうして、そんなに俺を憎むんだ。母さん」


 少女のような顔をした母は、何も言わない。何も応えてはくれない。

 ただ、見えない顔の父を見上げてほほえんでいるだけだ。永劫を、見ることはない。

 永劫は暗闇のなかにいる。ひとつだけ浮かぶ孤雲のようにただ一人だけ、そこにいる。前も後ろも、右も左もない。ただ存在するだけだ。永劫を産んだ意味など、どこにもない。

 だとしたら、何の意味があって、何の理由があってここにいるんだろう。


「……珊瑚さん。あんたは、教えてくれるんだろうか」


(俺の意味を。)




 つめたい手がほおを撫でている。重たいまぶたを開くと、明宜の顔がすぐ近くにあった。思わず目を見開くと、彼は穏やかにほほえんで、再びほおにふれてくる。


「……おはよう。永劫くん」

「お、おはようございます……」


 飴色の髪の毛が明宜のほおに流れているところを見て、ようやく気づく。自分が泣いていることに。

 悲しくて泣いたわけじゃない。悔しくて泣いたわけじゃない。

 そう思わなければ、どうにかなってしまいそうだった。手の甲で乱暴に涙をぬぐう。恥ずかしくて、見られることにひどいためらいを感じたからだ。


「だめ」


 明宜が、吐息のような声で永劫の手首を掴む。


「目、腫れてる。それ以上腫れたら、部屋から出られないよ」

「そんなに腫れてますか……」

「うん。待って。タオル、冷やしてくるから」


 まるで子供のようじゃないか、と永劫は吐き捨てる。死んだ父や母のことを思い出して泣くなんて。そう頭の中では分かっていても、涙は止まらない。

 枕に額をおしつけて、声を殺して泣く。どうして、母はこんなにも呪うのだろうか。分からない。それでも、知らなければならない。思い出せないことが悔しくて、とてもつらい。


「永劫くん」


 そっと頭に手を置かれて、顔を上に向けさせる。ひんやりとしたタオルが目を覆って、視界が真っ暗になった。


「きみがどんな夢を見たのかは何となく分かる。でも、俺はこうするくらいしかできない。ごめんね」

「謝らないでくださいよ。だって俺は一人じゃないから」

「うん。……そうだったね」


 目の上にタオルを乗せられて数分たっただろうか。ずっと黙り込んでいた明宜は、まるで子供をあやすかのように、永劫の頭をとんとんと優しくたたく。

 知らなかったぬくもりを、感じた気がした。


 こころのなかは、誰にも分からない。自分でも分からないのに、ほかの人間に分かるはずもない。

 それでも、明宜は寄り添ってくれた。こんなにも弱い自分のそばに。ただ、静かに寄り添ってくれた。

 

 たからものなのだ。

 

 この人の冷たい体温も、そして誰よりも永劫を愛してくれるあたたかいこころも、すべてが好きだった。

 好きになれてよかったと、そう、おもった。

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