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いちゞくの花  作者: イヲ
第七花
43/68

-5-

貝殻を見つけた。

ちいさな、コーラルピンクの色の貝殻を。


「……」


海岸は、誰もいなかった。

それはそうだろう。時期も過ぎ去った。海の家も、みな畳んでしまってある。

たださざ波だけが聞こえて、ほんのすこしだけ、寂しさが過ぎ去った。


「寒くない?」

「大丈夫です」

「ならいいけど」


風がすこし強い。

適当に巻いたストールが風に乗ってそよいだ。


母なる海とはよく言ったものだ。

果てしなさすぎる。この向こうは、どこかにつながっているのだろうか。

つながっていないかもしれないし、どこかの大地につながっているのかもしれない。

そんなことを考えて哀愁にふけるほど、人格はできていないけど。


「永劫くん。手、繋ごうか」

「は?」

「ほら。手」


殆ど強引に手を繋がれて、無理やり歩かされる。

砂の上を歩くというのは、なんだかとてもおかしな気分だ。

足の裏を支える砂は浮遊感を与える。


「……海に来たのは、本当に初めてなのかもしれないな……」

「あれ、本当に?」


独り言のつもりだったが、明宜は聞いてしまったらしい。

曖昧に頷いて、冷たい手を感じる。


「たぶん。砂浜を歩く感覚が、なんか」

「初めてのような気がする?」

「はい。まあ、そう感じるだけですけど」

「そっか」


砂を踏む音がどこか心地よくなったとき、明宜の足が止まった。

退紅(あらべに)のストールが風にゆれたまま、永劫は立ち止まったままの男を見上げる。


「きみの記憶は、きみだけのものだ」

「――そうですね」

「だから、俺は何も言わないし何も告げない。でも、思い出して辛くなったら、言ってほしい。すこしは、役に立つだろうから」

「……」


波が押し寄せる音が聞こえ、思わず息をのむ。

潮水のひとつぶひとつぶが、砂にのりあげる音。


「俺は、たぶん、卑怯なんです」

「どうして?」

「あんたが知っているのに、俺は知らないままだから」

「ああ、そういうこと。別に、俺はそんなこと思ってないよ」

「……あんたが、そういうふうに甘やかすから俺は卑怯なままなんです」


握った手が、かすかに力がこもる。その手は冷たいままで、すこしだけ泣きたくなった。

この人が自分を甘やかしすぎるから、こんなに弱いままなのだ。

弱くてずるくて、卑怯なまま。

信じることさえ怖くて、それでもそのままの自分を好きだと言ってくれる明宜を、信じたい。

怖いことが嫌で、逃げてばかりいた自分さえ。


「いいよ。卑怯でも弱くても、きみがきみでいてくれればそれで」

「……」

「それでも信じられないなら、……いや。言葉だけじゃ足りないかな」

「は……?」


飴色の髪の毛が潮風にゆれて、目のあたりが隠れる。

その言葉の意味が分からないまま繋がれたままの手を引かれ、抱きしめられた。

肩口に顔が押しつけられて、すこしだけ息苦しい。


「永劫くん。きみがどんな言葉でも信じられないのなら、教えてあげようか」

「え」

「俺がどれだけ、きみが好きなのか」


耳もとでささやかれ、思わず体が竦む。

波の音が聞こえた。

波が砂の上にのりあげる音が。


まるで子守唄を歌うようにくちづけられる。


「ん……っ!」


くちびるのなかにぬるりとしている舌を入れられ、反射的に目を見開く。

手はひどく冷たいのに、粘膜は熱いことに背中がわなないた。

顔を背けようとしても、明宜の手がそれを許さない。

鼻にかかったような吐息が聞こえるが、どちらのものなのかさえ分からない。


何も、考えられない。

ただ、潮のにおいが目に染みた。

そのせいなのか、または長すぎるくちづけのせいか分からないが、目じりに涙が浮かぶ。


「――は」


ぬれた音がすぐ近くで聞こえ、ようやく(どれ程の間か分からないほどに)くちびるを離される。


「な、んで、こんなところで」

「きみが信じてくれないみたいだから。どう? すこしは信じてくれた?」

「お……怒ってるんじゃないですか!」

「怒ってないよ。なんなら今夜、これ以上のこともする? ん?」

「……え」


まるで頬ずりでもするかのように頭に頬を寄せられ、その言葉の意味をすこしだけ考える。

それ以上。

思い当たることはひとつしかないというのも、どうなのだろうか。


――というよりも、ふつう、男同士でするという発想はあるものなのか。

大学に入ったばかりのころ、猥談というものが多くて若干引いたときもあるが、その猥談が今役に立つとは。

なさけないのか、それともそれが普通のことなのか。


「あんたは、その、……したことがあるのか? 男同士で」

「さあ。どうだろうね? 言ったでしょ。昔は節操なかったって」

「……へえ……」


飴色の目は、すこしだけいたずらっぽく細められている。

からかわれているのか否かさえ分からず、眉間にできるだけしわを寄せて、顔をそむけた。


「まあ、昔のことだからね。今はきみだけだし、気持ち悪いって言うのなら、俺は触れない。これからもね」

「……ずるいことを言いますね。あんたは」

「そうかな?」

「気持ち悪い、なんて言うと思うんですか?」

「いや。それくらい、俺はきみのことを信じちゃってるからねぇ」


自分もずるいけど、この人も相当だ。

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