-5-
貝殻を見つけた。
ちいさな、コーラルピンクの色の貝殻を。
「……」
海岸は、誰もいなかった。
それはそうだろう。時期も過ぎ去った。海の家も、みな畳んでしまってある。
たださざ波だけが聞こえて、ほんのすこしだけ、寂しさが過ぎ去った。
「寒くない?」
「大丈夫です」
「ならいいけど」
風がすこし強い。
適当に巻いたストールが風に乗ってそよいだ。
母なる海とはよく言ったものだ。
果てしなさすぎる。この向こうは、どこかにつながっているのだろうか。
つながっていないかもしれないし、どこかの大地につながっているのかもしれない。
そんなことを考えて哀愁にふけるほど、人格はできていないけど。
「永劫くん。手、繋ごうか」
「は?」
「ほら。手」
殆ど強引に手を繋がれて、無理やり歩かされる。
砂の上を歩くというのは、なんだかとてもおかしな気分だ。
足の裏を支える砂は浮遊感を与える。
「……海に来たのは、本当に初めてなのかもしれないな……」
「あれ、本当に?」
独り言のつもりだったが、明宜は聞いてしまったらしい。
曖昧に頷いて、冷たい手を感じる。
「たぶん。砂浜を歩く感覚が、なんか」
「初めてのような気がする?」
「はい。まあ、そう感じるだけですけど」
「そっか」
砂を踏む音がどこか心地よくなったとき、明宜の足が止まった。
退紅のストールが風にゆれたまま、永劫は立ち止まったままの男を見上げる。
「きみの記憶は、きみだけのものだ」
「――そうですね」
「だから、俺は何も言わないし何も告げない。でも、思い出して辛くなったら、言ってほしい。すこしは、役に立つだろうから」
「……」
波が押し寄せる音が聞こえ、思わず息をのむ。
潮水のひとつぶひとつぶが、砂にのりあげる音。
「俺は、たぶん、卑怯なんです」
「どうして?」
「あんたが知っているのに、俺は知らないままだから」
「ああ、そういうこと。別に、俺はそんなこと思ってないよ」
「……あんたが、そういうふうに甘やかすから俺は卑怯なままなんです」
握った手が、かすかに力がこもる。その手は冷たいままで、すこしだけ泣きたくなった。
この人が自分を甘やかしすぎるから、こんなに弱いままなのだ。
弱くてずるくて、卑怯なまま。
信じることさえ怖くて、それでもそのままの自分を好きだと言ってくれる明宜を、信じたい。
怖いことが嫌で、逃げてばかりいた自分さえ。
「いいよ。卑怯でも弱くても、きみがきみでいてくれればそれで」
「……」
「それでも信じられないなら、……いや。言葉だけじゃ足りないかな」
「は……?」
飴色の髪の毛が潮風にゆれて、目のあたりが隠れる。
その言葉の意味が分からないまま繋がれたままの手を引かれ、抱きしめられた。
肩口に顔が押しつけられて、すこしだけ息苦しい。
「永劫くん。きみがどんな言葉でも信じられないのなら、教えてあげようか」
「え」
「俺がどれだけ、きみが好きなのか」
耳もとでささやかれ、思わず体が竦む。
波の音が聞こえた。
波が砂の上にのりあげる音が。
まるで子守唄を歌うようにくちづけられる。
「ん……っ!」
くちびるのなかにぬるりとしている舌を入れられ、反射的に目を見開く。
手はひどく冷たいのに、粘膜は熱いことに背中がわなないた。
顔を背けようとしても、明宜の手がそれを許さない。
鼻にかかったような吐息が聞こえるが、どちらのものなのかさえ分からない。
何も、考えられない。
ただ、潮のにおいが目に染みた。
そのせいなのか、または長すぎるくちづけのせいか分からないが、目じりに涙が浮かぶ。
「――は」
ぬれた音がすぐ近くで聞こえ、ようやく(どれ程の間か分からないほどに)くちびるを離される。
「な、んで、こんなところで」
「きみが信じてくれないみたいだから。どう? すこしは信じてくれた?」
「お……怒ってるんじゃないですか!」
「怒ってないよ。なんなら今夜、これ以上のこともする? ん?」
「……え」
まるで頬ずりでもするかのように頭に頬を寄せられ、その言葉の意味をすこしだけ考える。
それ以上。
思い当たることはひとつしかないというのも、どうなのだろうか。
――というよりも、ふつう、男同士でするという発想はあるものなのか。
大学に入ったばかりのころ、猥談というものが多くて若干引いたときもあるが、その猥談が今役に立つとは。
なさけないのか、それともそれが普通のことなのか。
「あんたは、その、……したことがあるのか? 男同士で」
「さあ。どうだろうね? 言ったでしょ。昔は節操なかったって」
「……へえ……」
飴色の目は、すこしだけいたずらっぽく細められている。
からかわれているのか否かさえ分からず、眉間にできるだけしわを寄せて、顔をそむけた。
「まあ、昔のことだからね。今はきみだけだし、気持ち悪いって言うのなら、俺は触れない。これからもね」
「……ずるいことを言いますね。あんたは」
「そうかな?」
「気持ち悪い、なんて言うと思うんですか?」
「いや。それくらい、俺はきみのことを信じちゃってるからねぇ」
自分もずるいけど、この人も相当だ。




