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車に乗り込んで、明宜は野良神避けの煙草に火をつけた。
「運よく空いてたよ。宿だけどね」
ホテルではなくても十分だ、というと、明宜は口許だけで微笑んだ。
「あの、どこの海に行くんですか?」
「まあ、着いてからのお楽しみってことで。でも、きれいな所だからさ。楽しみにしててよ」
車のなかは香のにおいが漂い、心地のいい眠気を誘う。
眠気とはいっても、眠くなることはない。ただ、心地の良いにおいが体を覆っているような気がするだけだ。
「珊瑚さん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「なにがだい?」
「いろいろです」
この人の重荷になりたくないと思っていたが、結局は祖父のこともすべて仕切ってもらってしまった。
その重荷は、きっと相当なものだっただろう。
だが、謝ることはやめた。
それはきっと、祖父自身と彼自身の冒涜になってしまうからだ。
だからせめて、礼を言わせてほしかった。
「うん」
明宜はただうなずいただけで、何も言わないでいてくれる。
それは優しさだとわかっているが、それに甘えることしかできない自分が嫌だ。
「もし、あんたが答えたくなかったらいいです。でも、もしよかったら聞かせてください」
「うん」
「じいちゃんはどうして、あんたのことを知ってたんですか?」
車はやがて国道に入った。反対車線は、たくさんの車が走っている。
風を切る音が締め切った窓からびりびりと響いた。
かすかな沈黙の後、明宜は短くなった煙草を灰皿に押しつけ、そうしてくちびるを開いた。
「そうだね。もう、いいかな。伝えても。――きみや章介さんの血筋は、どうやら珊瑚の家とか鈴鹿の家とかに似ているらしいんだ」
「!」
「神降ろしとか、依代としての力はないけど、だからこそ厄介だ。自分を守るすべもないし、力もない。ただ、開けっ放しの状態なんだ」
「……それは、どういう……」
「たまにね、出るんだよ。そういう力がある家系とは関係なく、ただ、いきなりそういう素質が現れる家系が」
いきなりそう言われても、何が何なのか分からない。
ただ呆然としている事しかできない自分に明宜は僅かに目を細め、そしてなお、口を開いた。
「力がないから、寄り付きやすい。野良神や神にとって、格好の餌なんだ。だけど、野良神が憑く可能性はほとんどない。なぜなら、見つけられないからだ。自分自身が気づかなければ、それだけ野良神も気づけない」
「それでも、俺は……」
「そう。野良神に憑かれた。それは、きみが望んでしまったからだ。それは滅多にないことなんだよ。だから、なかなか離れないし、対処法も分からない」
膝に置いた手が震える。
これは、決してまぐれではない。
なるべくして、なってしまったことなのだと。
自分が望んでしまったのだから、誰かのせいではないのだ。
「そのつてで、章介さんと知り合ったんだ。きみは憶えていないだろうけど、神社によく来ていてくれていたから、すぐに分かったよ。まあ、そのころは俺も荒れてたんだけどね。それでも章介さんにもよくしてもらったし、何よりきみに救われた。そのことは前言った通りだ」
「……そう、だったんですか……」
憶えていないことが何よりつらいし、きっとそれは罪なのだろう。
自業自得とはいえ、本当に馬鹿だ。
こぶしを強く握りしめる。
「不安にさせたらごめん。でも、きみのことは俺が守るから。――と、いうか守らせてほしい」
「……うん」
「別に、恩があるからじゃないよ。俺がそうしたいから、そうしてるだけ」
「うん」
この人は、欲しい言葉をたくさんくれる。
永劫自身は、そうされることは慣れていないからだろうか。そのままじかに飲み込むことは、ひどく怖かった。
怯えすぎだとわかっている。
だからこそ、甘えてしまう。最低だとわかっているくせに。
「怖い?」
「……うん」
「はは、素直でよろしい」
「怒らないんですね」
「怒らないよ。そんなことじゃ」
「だって、信じられていないんですよ」
明宜はちいさく笑って、何本目かの煙草を灰皿に押しつけた。
かすかな香のにおいが滲む。
「何でもかんでも信じる人間よりは、ずっとずっといいよ」
「でも、きもちがいいものじゃないでしょう」
「そんなことないよ。言ったでしょ。ほどきがいがあるって」
「え? あ、ああ、はい」
「きみはきみのまんまでいい。無理に変わる必要はないよ。変わるときは、自然に変わるものなんだからさ」
「そういう、ものでしょうか」
「そういうものだよ。あ、ほら、海が見えてきた」
フロントガラスに、オリエンタルブルーにも似た色が広がっていた。
太陽に反射して、きれいに輝いている。
「生まれて初めて、海を見た気分です」
実際、そうなのかもしれない。
この9年間、海は見たことがなかった。それ以前は、憶えていない。
見たのかもしれないし、見ていないのかもしれない。
それでも、今はどっちでもよかった。
今、見ることができたのだから。
「……あんたと見ることができて、よかった、のかもしれません」
「どうして?」
「なんとなく、です。理由なんて、いいじゃないですか」
「はは。まぁね」
きれいなだけではいられないけど。




