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今日も夢を見る。
母の桜子が永劫を罵倒し、さげすむ夢を。
死ね。
死ね。
死ね。
そう半狂乱で叫ぶ母は、たぶんそれが本心だったのだろう。
愛されてはいなかったと、知る。
憎まれていたのだ。そう理解した時、永劫は喪失感を抱いた。
今までの、いわゆる「ふつうの父母像」というものが、崩壊したのだ。
跡形も残らず、徹底的に叩き潰されたそれは、永劫を傷つけた。
石に文字を刻み付けるように、それは未来永劫、消えないだろう。
皮肉なものだ。
夢によって、それが真実と知らされるとは。
「……重たいな」
にじむ汗を手の甲で拭って、息を吐き出す。
重たい。
母の思いが。殺したいほどに憎んでいたのなら、どうして連れて行かなかったのだろう。
そう母のせいにしても、意味もあるまい。
もう、どこにもいないのだから。
重たい足を引きずりながら、階段を下りてゆく。
今日から確か三連休だったはずだ。それなのに、6時に目を覚ましてしまった。
いつも通りの時間に起きてしまって、僅かながらもったいないとも思う。
どうもったいないのかは分からないが。
明宜は当然のように寝ているだろうから、起こさぬよう、慎重に朝食を作る。
味噌汁を作っている最中、幾度も手が止まってしまう。
最近、いつもそうだ。それでも料理はできるが、どうしても時間がかかってしまっている。
「……」
何度目かのため息のあと、火を止めた。
母がなぜ、これほどまでに永劫を憎んでいたのか分からないままいるのは、実際つらい。
だからと言って、明宜に泣きつくこともしたくはない。
そんな格好悪いことはしたくないし、できやしない。
悩んでいても仕方がないことは分かっているが、どうしようもない。
「あー……もう、なんかなぁ……」
無意味な言葉を吐き出して、卵を取り出そうと後ろにある冷蔵庫に手をかけようとしたとき、冷たい手に遮られた。
「!!」
驚きすぎて、声さえ出ない。
視線を上げると、髪の毛がぼさぼさになっている明宜が立っていた。
「おはよう。永劫くん。日曜日なのに早いね」
「……なんだ。珊瑚さんか」
「なんだとはご挨拶だね」
「いきなり手を掴む方がいけないんです」
冷蔵庫を開けて、卵を取り出す。
むくれている明宜を放っておいて、卵焼きを作るために背を向けた。
それでも明宜は、永劫を放っておいてはくれない。
「永劫くん。いやな夢、見たでしょ」
「いつものことです」
言い放っても永劫の隣に立ち、「慣れるものじゃないよ」と囁く。
確かにそうだが、夢なんかコントロールできるわけじゃない。
明宜はできるらしいが、自分にそんな力があるわけもない。
「憶えてる?」
「何がです」
「落ち着いたら、どっか行こうかって話」
「そういえばそんな話もありましたね」
確か、半月ほど前にそんなことを言っていた気がする。
「行こうか。海。海じゃなくてもいいけど、きみが行きたいところにさ」
「行きたいところ?」
「うん。どこでもいいよ。沖縄でも北海道でも」
「いや、それは遠すぎでしょう。ここ、どこだと思ってるんです」
卵を割ろうとした手を止め、明宜を見上げた。
濃茶をした目は、いつものおちゃらけた目ではなかった。
真剣に、そう言っているのだと知る。
「どこか」に行こうと言っているのだ。
「――海に」
「海でいいの?」
「……はい。海に行きたい、です」
ぎこちなく頷き、卵を割る。
「ごめんね」
唐突に、謝られた。反射的に顔を上げると、彼はすこしだけ辛そうな顔をして、ふたたびくちびるを開く。
「気づかなくて」
「何がですか」
卵をかき混ぜることも忘れて、永劫は次の言葉を待った。
待つことだけしかできなかった。
「きみが苦しんでいることを、気づかなかった」
「……別に、いいです。俺が言わなかっただけだし、それに」
菜箸を置いたまま、ただ口惜しそうに顔を歪ませている明宜を見上げる。
――それに。
苦しいとか、苦しくないとか、そういうものは人に言うものじゃない。
人に、なすりつけるものじゃない。
「人に、言うものじゃないでしょう」
「俺じゃ、きみの力になれない?」
「そうは言ってません。あんたは、十分すぎるくらいに、俺の力になってくれてます。だから、それ以上は」
駄目です、という言葉は、彼によって塞がれる。
くちびるを離されて、ようやく明宜は微笑んだ。なんだか悔しくて、視線を外す。
「いいんだよ。俺が、したいんだから。そんなこと気にしなくて」
「……あんたって、結構ずるんですね」
「大人だからね」
当たり前だとでも言うかのように、彼は笑った。
「朝ご飯食べたら、準備して行こう。泊まるところも手配しとくから」
「ええ? 今日行くんですか?」
「うん。せっかくの三連休でしょ。それとも用事でもあった?」
「いや、ないですけど……」
ようやく菜箸を持って、卵をかき混ぜる。
本当に急だが、いい気分転換にはなるだろう。
明宜は準備をしてくると言って、台所を出ていった。
どこに行くのだろうか。
海、というあいまいな場所を言っていたが。
「……」
卵焼きを作り始めようとして、すでに20分もたっていた。




