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いちゞくの花  作者: イヲ
第七花
41/68

-3-

今日も夢を見る。

母の桜子が永劫を罵倒し、さげすむ夢を。

死ね。

死ね。

死ね。

そう半狂乱で叫ぶ母は、たぶんそれが本心だったのだろう。

愛されてはいなかったと、知る。

憎まれていたのだ。そう理解した時、永劫は喪失感を抱いた。

今までの、いわゆる「ふつうの父母像」というものが、崩壊したのだ。

跡形も残らず、徹底的に叩き潰されたそれは、永劫を傷つけた。

石に文字を刻み付けるように、それは未来永劫、消えないだろう。


皮肉なものだ。

夢によって、それが真実と知らされるとは。



「……重たいな」


にじむ汗を手の甲で拭って、息を吐き出す。

重たい。

母の思いが。殺したいほどに憎んでいたのなら、どうして連れて行かなかったのだろう。

そう母のせいにしても、意味もあるまい。

もう、どこにもいないのだから。


重たい足を引きずりながら、階段を下りてゆく。

今日から確か三連休だったはずだ。それなのに、6時に目を覚ましてしまった。

いつも通りの時間に起きてしまって、僅かながらもったいないとも思う。

どうもったいないのかは分からないが。


明宜は当然のように寝ているだろうから、起こさぬよう、慎重に朝食を作る。

味噌汁を作っている最中、幾度も手が止まってしまう。

最近、いつもそうだ。それでも料理はできるが、どうしても時間がかかってしまっている。


「……」


何度目かのため息のあと、火を止めた。

母がなぜ、これほどまでに永劫を憎んでいたのか分からないままいるのは、実際つらい。

だからと言って、明宜に泣きつくこともしたくはない。

そんな格好悪いことはしたくないし、できやしない。

悩んでいても仕方がないことは分かっているが、どうしようもない。


「あー……もう、なんかなぁ……」


無意味な言葉を吐き出して、卵を取り出そうと後ろにある冷蔵庫に手をかけようとしたとき、冷たい手に遮られた。


「!!」


驚きすぎて、声さえ出ない。

視線を上げると、髪の毛がぼさぼさになっている明宜が立っていた。


「おはよう。永劫くん。日曜日なのに早いね」

「……なんだ。珊瑚さんか」

「なんだとはご挨拶だね」

「いきなり手を掴む方がいけないんです」


冷蔵庫を開けて、卵を取り出す。

むくれている明宜を放っておいて、卵焼きを作るために背を向けた。

それでも明宜は、永劫を放っておいてはくれない。


「永劫くん。いやな夢、見たでしょ」

「いつものことです」


言い放っても永劫の隣に立ち、「慣れるものじゃないよ」と囁く。

確かにそうだが、夢なんかコントロールできるわけじゃない。

明宜はできるらしいが、自分にそんな力があるわけもない。


「憶えてる?」

「何がです」

「落ち着いたら、どっか行こうかって話」

「そういえばそんな話もありましたね」


確か、半月ほど前にそんなことを言っていた気がする。


「行こうか。海。海じゃなくてもいいけど、きみが行きたいところにさ」

「行きたいところ?」

「うん。どこでもいいよ。沖縄でも北海道でも」

「いや、それは遠すぎでしょう。ここ、どこだと思ってるんです」


卵を割ろうとした手を止め、明宜を見上げた。

濃茶をした目は、いつものおちゃらけた目ではなかった。

真剣に、そう言っているのだと知る。

「どこか」に行こうと言っているのだ。


「――海に」

「海でいいの?」

「……はい。海に行きたい、です」


ぎこちなく頷き、卵を割る。


「ごめんね」


唐突に、謝られた。反射的に顔を上げると、彼はすこしだけ辛そうな顔をして、ふたたびくちびるを開く。


「気づかなくて」

「何がですか」


卵をかき混ぜることも忘れて、永劫は次の言葉を待った。

待つことだけしかできなかった。


「きみが苦しんでいることを、気づかなかった」

「……別に、いいです。俺が言わなかっただけだし、それに」


菜箸を置いたまま、ただ口惜しそうに顔を歪ませている明宜を見上げる。


――それに。

苦しいとか、苦しくないとか、そういうものは人に言うものじゃない。

人に、なすりつけるものじゃない。


「人に、言うものじゃないでしょう」

「俺じゃ、きみの力になれない?」

「そうは言ってません。あんたは、十分すぎるくらいに、俺の力になってくれてます。だから、それ以上は」


駄目です、という言葉は、彼によって塞がれる。

くちびるを離されて、ようやく明宜は微笑んだ。なんだか悔しくて、視線を外す。


「いいんだよ。俺が、したいんだから。そんなこと気にしなくて」

「……あんたって、結構ずるんですね」

「大人だからね」


当たり前だとでも言うかのように、彼は笑った。


「朝ご飯食べたら、準備して行こう。泊まるところも手配しとくから」

「ええ? 今日行くんですか?」

「うん。せっかくの三連休でしょ。それとも用事でもあった?」

「いや、ないですけど……」


ようやく菜箸を持って、卵をかき混ぜる。

本当に急だが、いい気分転換にはなるだろう。


明宜は準備をしてくると言って、台所を出ていった。

どこに行くのだろうか。

海、というあいまいな場所を言っていたが。


「……」


卵焼きを作り始めようとして、すでに20分もたっていた。

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