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大学の校門を出ようとしたとき、ふいに呼び止められた。
その声はたしかに男なのだが、振り返れば女だった。
鈴鹿彰比呂。その人が校門の前で待っていたのだ。
「え? 誰?」
隣にいた野原は呆然とその男を見上げている。
「お久しぶりねぇ。永劫ちゃん」
黒く、長い髪はそのままで、相変わらず青のカラーコンタクトをしている目は異様に目力が強い。
「な、永劫ちゃん? どんな知り合いだよ!」
「ちょっとした知り合いだよ。じゃあ、野原。また明日」
鈴鹿は意味があるのかないのか分からないが、笑っている。
おいて行かれた野原は、ただ呆然と立ちすくんだままだった。
「何しに来たんですか……。大学まで」
「んふふ。ちょっと心配になってね」
気味の悪い笑い声をもらす鈴鹿は、どこか楽しそうに目を細めた。
あまり人がいない喫茶に入ると、彼はためらいなく甘いコーヒーとケーキを頼んだ。
永劫はごくごく普通のコーヒーを頼んだが、君が悪いくらいにニコニコ笑っている鈴鹿を前にすると、なんだか飲む気も失せる気がする。
「あなた、ずいぶん吹っ切れたみたいな顔しているわね。なにかいいことでもあったの?」
「悪いことならありましたけど。ほかは別に」
「明宜ちゃんに聞いたわ。おじい様、亡くなったみたいね」
「ひと月前に」
鈴鹿はわずかに目を伏せたが、すぐに視線を戻した。
「……俺がしっかりしなきゃいけなかったのに、珊瑚さんに全部やってもらって。本当に、悪いと思っています」
なぜそんなことを自分が言うのか分からないまま、そう吐き出す。
それでも、本当のことだった。
すべて手配済みだったというものの、明宜は最初から最後まで力になってくれた。
いや、違う。
力になってもらったというのもおこがましいほどだ。
「いいのよ。永劫ちゃんはそんなことを気にしなくて。明宜ちゃんは、ああいう性格でしょ? やりたくないことはとことんやらないんだし。あなたの力になりたかったと思うし、それ以上にあなたのおじい様のことを慕っているのよ」
「……だと、いいですけど」
茶色かかった黒色のコーヒーを見下ろす。
情けない顔をして自分がぼんやりと映って、思わず目をそらした。
「それより、鈴鹿さんはなんで戻ってきたんですか?」
「あなたが心配だったってのと、ちょっと用事があってね。でもまたすぐに行かなきゃいけないのよ。こう見えてアタシ、忙しいんだから」
「そうですか……。最近、夢に見るんです。母の夢。だからきっと、時間はかかると思いますけど思い出すような気がするんですよ。だから、きっと大丈夫です」
鈴鹿は「そう」と微笑んで、腕時計を見下ろす。
つられて自分の腕時計を見下ろすと、すでに5時をとうに過ぎていた。
――まずい。スーパーが締まってしまう。
すこしだけ残っていたコーヒーを飲みほして財布を探すが、鈴鹿がそれを制す。
「いいわよ。アタシが出すから。急いでるんでしょ。明宜ちゃんによろしくね」
「でも」
「いいのいいの。ほら、行ってあげて。明宜ちゃん、待ってるわよ」
やたら急かすので、申し訳ないが奢ってもらうことにする。
また、遊びに来てもらえればいい。
「すいません、ごちそうさまです」
「はいはい。じゃあね」
あわてて喫茶店を出ると、駅があるほうへ走った。
まだ間に合うだろうけど、きっと出るころにはぎりぎりになってしまうだろう。
心配してくれる人がいると言うのは、なんだかむず痒い。悪い気がしないと言うのも、どこか困る。
ぎりぎりで買い物を済ませて家に帰る途中、ちかちかと点滅している電灯にびくびくしながら、歩道を歩く。
夕食の材料が入ったビニール袋を持ち直して、早足で暗い道を通り過ぎた。
スーパーから家は近いが、そこまで電灯が着れている場所がたびたびある。
怖いが、回り道もできないので仕方がなくここを通るしかない。
「……」
自分でも情けないほど足が早まって、早足を通り越して小走りになる。
ようやく明かりが見えてきて、ほっとした。
そういえば、鈴鹿が来たことを明宜は知っているのだろうか。
あとで聞いてみよう。
「ただいま」
「おかえり」
すぐに返事が返ってきた。
リビングにでもいたのだろうか。
顔を出した明宜は、どこか眠そうにしている。あれだけ寝ていたのに、まだ眠いのか。
「今日、遅かったね。どうしたの」
「あれ、連絡来てなかったんですか? 鈴鹿さんが来てたんですけど」
「鈴鹿が?」
鈴鹿は連絡していなかったのだろうか。
どこか面白くなさそうな顔をしている明宜は、「へえ」と相槌をうった。
「何か、用事があるとか言ってましたけど」
「ふうん……」
「――今日、すこし寒いからうどんにしましょうか。珊瑚さん、ほかに何か食べたいものがあれば、それにしますけど」
本当に興味がなさそうに頷いているから、無理やり違う話題にすると、嬉しそうな顔をして永劫を見下ろした。
彼は本当に分かりやすい。
「うん。うどんにしよう」
「分かりました。ちょっと時間かかりますけど、待っててください」
「うん」
毎日、こういう日が続けばいい。
一日一日を噛みしめて生きていければ、それがほんとうの幸福なのかもしれない。




