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それにしても三日間も寝ていたのは信じられない。
まるでタイムスリップでもしたかのようだ。言い換えると、365日のうち、三日間を無駄にしたということだ。
「はい。大神です」
電話を借りて家に電話をすると、祖父はすぐに出た。
いつもながら、年だというのにはきはきしている。
「俺。永劫。あのさ、ちょっと大変なことになってて……」
「ああ、そういえば三日前、電話があったなぁ。珊瑚さんだろう?」
「珊瑚さんって……じいちゃん、知ってるの?」
「知っているよ。有名だからねぇ。で、一か月間、そっちで過ごすんだろう?じいちゃんは大丈夫だから、夏休みの間、お世話になんなさい」
有名、という言葉がひっかかったが、祖父は何もなかったかのように喋っている。
それになぜ、家の電話番号を知っていたんだ。
携帯電話を見たのかもしれないが、やはりひっかかる。
「でも、じいちゃん本当に一人で平気? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。明日から、老人会でお伊勢参りしてくるから。二泊三日で」
「そ、そうなんだ……。分かった。あとで必要なもの、取りに帰るけど」
「はいはい。お茶でも入れて待っているから。珊瑚さんも来るんだろう?」
「ああ、うん。そうみたいだけど。一人じゃ危険だって……」
よく分からないが、そういうものらしい。
一人で大丈夫だと言ったが、明宜は「それは感心しないなあ」と妙に間延びした口調で呟いた。
それが妙に説得力があって、一緒に家に帰ることになったのだ。
それにここから家まではかなりの距離がある。歩きだと、一時間以上はかかってしまうだろう。一か月分の荷物を持って一時間以上歩くというのは、かなりの重労働だ。
受話器を置くと、のっそりと明宜が顔を出した。
「終わった?」
「あ、はい」
「なら、行こうか。車、用意してあるから」
初めて、この家の外に出る。
思わず、喉がひきつった。草はぼうぼうで、膝丈まである。
それなりに歴史のある一軒家らしいが、草がこれだけ生えていればまるで「お化け屋敷」だ。
「す、すごい草……」
「ん? ああ、うん。どうせ刈っても刈っても伸びるしねぇ」
ぼんやりとした口調で、当たり前のことを言うかのようにそう呟く男は、本当は面倒くさがりなのではないだろうか。
「帰ってきたら、刈ろう。これじゃ、お化け屋敷だ」
「ええ? そのまんまでいいよ。面倒くさいし」
そういうと、そのまま家の隣の車庫に入って行ってしまう。
やっぱり、面倒くさがり屋なのか。
あたりを見渡すと、縁側のほうまでも草が伸び放題だ。
これは時間がかかりそうだ。
ぼそりと呟くと、門の前に車が停まった。
その車は年季が入っていて、少しばかり錆びてしまっている。
「……」
「どうしたの、乗りなよ」
助手席のドアを引いて乗り込むと、ラジオが流れていた。
外国の曲で、曲名も歌詞も永劫にはさっぱり分からない。聞いたことがあるような気もするが。
明宜はその曲を知っているのか、鼻歌まじりで運転している。
「椿姫の乾杯の歌だよ。知らない?」
「聞いたことはありますけど」
「きみのおじいさんも、知っているんじゃないかな」
「え……」
なぜ、祖父の事を知っているのだろうか。
ああ、そうだ。祖父がレコードで、この椿姫の乾杯の歌を聴いていたのだ。
わすれていた。
自分の黒髪が、風になぶられてバタバタと音がする。
そっと明宜を見上げると、煙草をくわえて上機嫌に運転していた。
それでもその顔は、ただただ笑っているだけ、というよりも、何か思考しながら笑っている、という感じがする。
チャラいが、食えない。
そう考えをあらためた。
15分ほど走って、ようやく見慣れた家に着いた。
空の車庫に車を入れてもらってから玄関に入ると、祖父が出迎えてくれた。
「珊瑚さん。お久しぶりですな」
「ええ、お久しぶりです」
明宜はチャラチャラした態度ではなく、しっかりとした大人のような笑顔で祖父に頭を下げた。
なんだ。この違い。
そう思うも、言えるはずもない。
「どうぞ。お茶を用意して待っていたんですよ」
「ありがとうございます」
奥の間に入ると、祖父は茶を入れ始めた。
「じいちゃん。珊瑚さんのこと、知っていたんだ」
「うん。知っているよ。言っただろう。有名だって」
「章介さん。一か月間、お預かりしますが、よろしいですね?」
「ああ、そうですね。頼みます。いや、まさかあんな場所に肝試しに行くとは思いもしなかったですよ。まあ、あなたに運よく見つかって、野良神さんに連れていかれなくてよかったですが」
「ちょ、ちょっとじいちゃん。どういうことだ?野良神……とかいうものの事も知っているのか?」
白髪頭の祖父は、細い目をよけい細くさせて、「うん」とうなずく。
茶が入った茶わんをそれぞれに渡すと、祖父はすこしだけ笑って、「おまえもまだ小さかったから」とだけしか言わなかった。
「永劫。支度をしてきなさい。じいちゃんたちはここで待ってるから」
「う、うん――」
有無を言わせない声色で、永劫は奥の間から二階の自分の部屋へむかった。