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いちゞくの花  作者: イヲ
第六花
37/68

-7-

電話があったのは、次の日の夜だった。

危篤の知らせだった。


明宜の車に乗せてもらって病院に着いた時は――もう、遅かった。


青白い顔で横たわる祖父は、もう笑ってはくれない。

皺のある顔をゆるめて、微笑んではくれない。


ただ呆然とたたずむ永劫に、明宜はただ寄り添っていたが、何も話すことはなかった。


涙も出ないとは、このことなのだろうか。

それはきっと、あまりにもあっけなくて、あまりにも突然だったからだ。


祖父は、すべてを用意していた。

通夜のことも、葬式のことも、財産分与のことも、すべて。

何もかもを準備して、逝ってしまった。

自分は、何もできなかった。

何ひとつ、祖父のために何かをすることはできなかった。


まだ、話をしたかった。

笑いあいたかった。


それなのに、もういない。


「……」


なんだか、取り残された思いになる。

実際、取り残されたのだろうけど。祖父以外の親族は、ほとんど知らない。

幼いころ、会ったのかもしれないがそれさえ覚えていない。



「きみは、座っていてくれればいいから」


そう言って、明宜は通夜を仕切った。

親族への連絡も受付も、精進落としの料理も、すべて明宜が取り仕切っていた。


情けないと思う。

焼香に来た弔問客にただ頭を下げ、目を伏せていた。

何もできない。

何の力もない。

痛むほどに分かった。自分は弱くて、卑怯で、逃げてばかりいるのだと。


黒いスーツを着た明宜は、寝ずの番さえも受けた。


祖父の親族は思ったよりも少なかったように思う。寝ずの番は明宜と、祖父の親戚と名乗った老年の女性と、永劫の三人だった。

その女性は名前を小枝子と言って、祖父の従妹だと聞いた。

彼女は、祖父のことを多くは語らず、ゆったりとした表情で横たわる祖父を見下ろしている。


「小枝子さん、あとは俺たちがやっておきますから、横になってください」


明宜が促すと、彼女は「ごめんなさいね」とうなずいて、隣の部屋へ出ていった。


「……」


二人きりになるのは、久しぶりの気がする。

ただからっぽになった心は、それを受け入れはするものの、何も感じることはない。


「永劫くん」


隣に座る明宜に声をかけられる。体がおかしいくらいに震えて、逃げるように目を伏せた。

この人の負担になっていることは、充分に分かっている。

それでも――何もできない。

分かっているのにできない。それが辛くて悔しくて、泣きそうになる。


「大丈夫だから。きみは、章介さんのことをちゃんと受け入れてくれればいい」

「……でも、俺は」

「きみはまだ大人に甘えていてもいい」


そうっと、頭を撫でられる。

その体温はひどく冷たいが、辛くなるほどに優しい。

ぐっとくちびるを噛んで頷く。


「――あんたは、知ってたのか? じいちゃんが、死ぬこと」

「……。そうだね。章介さんは分かっていたみたいだ。それで、俺に託した。――でも、章介さんを責めないでほしい」


わずかな口惜しさが顔を出そうとした直後にそう言われてしまえば、何も言えない。

そして、祖父の前だ。

彼を責めることはできないし、やりたくはない。


「責めることなんてしない。……だって、じいちゃんはもう、――いないんだから」

「そうだね。章介さんはもういない」

「一人になったけど、俺には、あんたがいる、から」

「うん。俺がいる」

「だか、ら、俺は」


喉がひくつく。

情けない。今更、泣くなんて。どうせなら、ひとりで泣きたかった。


「ごめん、なさい。ごめん、じいちゃん、……珊瑚さん」

「謝らなくていいよ。大丈夫だから」


悲しいほどに冷たい手で、手を握られる。冷たければ冷たいほど、彼のあたたかさを実感した。

なにも心配いらないと、そう言ってくれる気がする。

だが、それではだめなのだ。

この人の重荷にもなりたくはないし、悲しみのもとにもなりたくない。

――それでも、今は無理だと理解する。

祖父が亡くなって、本当に一人になってしまった。

顔見知りの親戚さえいなくて、世界にひとりだけになったような思いにさえなる。

そんなことはないと、分かっている。

分かっているのに、心に穴が開いたような思いがついて離れない。


「……野良神の事は、落ち着くまで置いておこう。きみさえよければ、俺は待ってるから」

「――珊瑚さん」

「ん?」


今は泣くまいと思う。

せめて、この人の前では泣かないと決めた。

これ以上、弱いところを見せたくない。それがたとえ惨めで無様な事実だろうと。

泣くところは見せたくない。


「ありがとう、ございます。あんたがいなかったら、俺はたぶん」


あの時、死んでいたかもしれない。

そう呟く。


あの時、とは、野良神と会った時でもあって、今現在でもある。


たしかに、この人を知らなければ苦しい思いも悲しい思いもしなかっただろう。

それでも、出会えてよかったと強く、強く思う。


「――うん」


彼はわずかに悲しそうに頷いて、つないだ手の力を強めた。


線香はまだまだ尽きそうにない。

立ち上るかすかな灰色の煙は、祖父の魂を繋ぎとめているような気がする。

まだ、とどまっていてくれているのだろうか。

まだ自分を、見守っていてくれているのだろうか。


そうだったら、うれしい。

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