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おかしなことを言っただろうか。
明宜は肩を震わせて笑っている。
「うん。まあ、37にもなれば大人にもなるよ」
「そりゃそうでしょうけど。俺はきっと、あんたみたいにはなれないと思う」
「俺みたいにならなくたっていいよ。きみはそのままで」
手の力がすこしだけ、強まった。
この人は、やはり優しい。欲しい言葉をくれる。
それでも、それだけではどこか――物足りない自分がいた。
これ以上を望んではいけないというのに。
「……きみさ、もうちょっと我儘とか言ってもいいんだよ」
「は?」
「いい子になろうとしているの、分かっているけど。おっさんとしては、もうちょっと寄りかかってほしいなあ」
「――そんなつもり、ないんですけど」
暗いなかでは、明宜の顔も表情も分からない。
だから、こちらの顔も分からないだろう。赤くなってしまっているであろう自分がすこし、恨めしいし、口惜しい。
「野良神なんかに憑かれて、苦しい思いをしているのに、きみは泣き言ひとつ言わない。俺としては、ちょっと寂しいかな」
「……別に、俺は……」
嫌われたくない。
ただ、それだけだ。
自分勝手な、理由だ。だから、何も言いたくない。何も、伝えたくない。
ただ、うつむく。
「俺は臆病で、弱くて、――ずるい人間だから、言えません。そんなこと」
「人間なんて、そんなものだよ。きみは本当に素直な子だね。――そんなきみだから、俺は」
きっと、好きになったんだろうね。
その優しい声色。
思わず、喉が引きつる。泣きそうだった。
どうして、そんなに優しいのだろう。自分はこんなにも、涙もろかっただろうか。
「俺はね、いらない子供だった。家からしてみればなんの力もない、ただのごみ屑。そんなおちこぼれの俺は、ただの使い捨ての子供だったんだよ」
そうっと、静かに、月に囁くように。
明宜のほんとうの過去が、すこしだけ見えた。
そうして、愕然とする。
いらない子供。ごみ屑。おちこぼれ。使い捨て。
親が子供に言うだろうか。そんなひどい言葉を。
胸が、痛い。
「……」
「だから、いろいろ荒れててさ。俺が死んでも、誰も悲しまない。付き合ってた女だって、俺のことなんてすぐに忘れる。そう分かってたからね。ずっと、昔から分かっていた」
「珊瑚さん。あんた、は、だから、あんなこと」
おなじ命。
おなじ命なのだ。それなのに、明宜は言った。否、言いそうになっただけだが、叫んでいた。心のなかで。
――ほんとうに、命はみんな同じ重さなのかと。
きっと、自分を卑下することに慣れてしまって、とても悲しかったのだろう。辛かったのだろう。
「あんたは、いらない人間なんかじゃない。ごみ屑でも、おちこぼれでも、使い捨てでもない。俺は……俺にとっては、かけがえのない、たった一人の――人間だ」
「――きみは、何度でも俺を助けてくれる。救ってくれてる。俺を何度でも、生かせてくれている。きみがいなかったら、俺は生きていなかった。こんな、人を恋しいと思うことも、愛しいと思うこともなかったよ」
冷たい手が、体温が移って徐々にあたたかくなってくる。
それがほんとうにうれしい。
「だから、救われたんだ。きみに、幾度となく、ね」
「俺は憶えてないけど」
「いいんだよ。俺が憶えているから」
そっと手が離されて、代わりにくちづけられた。
目を見開いて、思わず周りを見渡す。誰もいなかったからいいものの、誰か見ていたらどうするつもりだったんだろう。
「そ、外でキスなんてするな!」
「いいじゃない。誰もいないんだから」
「……う」
ちいさく呻いて、恨めしげに明宜を見上げる。
「さ、行こうか。永劫くん」
「――うん」
再び暗闇を意識すると、背筋がふるえた。ほんとうに情けないけども、暗闇は怖い。
わずかな笑声が聞こえて、手を握られる。
そのまま手を引かれて車に乗った。
家に着くまで、あまり言葉は交わさなかったが、それでもよかった。
心地の良い沈黙だったからだ。
傍にいてくれるだけで、これほどまでにあたたかい想いになるとは思わなかった。
人を、本当に好きになれたのは、たぶんこの人のおかげで、この人のためだったのかもしれない。
恥ずかしいから、決して伝えないけど。
夢をみた。
――おまえのせいで。
おまえのせいで、私たちは。
私たちは死んだのよ。
おまえなんて産まなければよかった。
おまえなんか、死んでしまえばいい。
そのまま。
私たちの恨みは、決して消えない。
おまえが死んでも。
おまえなんて地獄に落ちてしまえ!
死ね!死ね!死ね!!
誰かが喚いていた。
悲しい言葉を投げつけて、誰かが叫んでいた。
知らない声で、永劫を罵倒していた。
それでも――どこかで聞いたことがあった。




