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いちゞくの花  作者: イヲ
第五花
30/68

-9-

おかしなことを言っただろうか。

明宜は肩を震わせて笑っている。


「うん。まあ、37にもなれば大人にもなるよ」

「そりゃそうでしょうけど。俺はきっと、あんたみたいにはなれないと思う」

「俺みたいにならなくたっていいよ。きみはそのままで」


手の力がすこしだけ、強まった。

この人は、やはり優しい。欲しい言葉をくれる。

それでも、それだけではどこか――物足りない自分がいた。

これ以上を望んではいけないというのに。


「……きみさ、もうちょっと我儘とか言ってもいいんだよ」

「は?」

「いい子になろうとしているの、分かっているけど。おっさんとしては、もうちょっと寄りかかってほしいなあ」

「――そんなつもり、ないんですけど」


暗いなかでは、明宜の顔も表情も分からない。

だから、こちらの顔も分からないだろう。赤くなってしまっているであろう自分がすこし、恨めしいし、口惜しい。


「野良神なんかに憑かれて、苦しい思いをしているのに、きみは泣き言ひとつ言わない。俺としては、ちょっと寂しいかな」

「……別に、俺は……」


嫌われたくない。

ただ、それだけだ。

自分勝手な、理由だ。だから、何も言いたくない。何も、伝えたくない。

ただ、うつむく。


「俺は臆病で、弱くて、――ずるい人間だから、言えません。そんなこと」

「人間なんて、そんなものだよ。きみは本当に素直な子だね。――そんなきみだから、俺は」


きっと、好きになったんだろうね。


その優しい声色。

思わず、喉が引きつる。泣きそうだった。

どうして、そんなに優しいのだろう。自分はこんなにも、涙もろかっただろうか。


「俺はね、いらない子供だった。家からしてみればなんの力もない、ただのごみ屑。そんなおちこぼれの俺は、ただの使い捨ての子供だったんだよ」


そうっと、静かに、月に囁くように。

明宜のほんとうの過去が、すこしだけ見えた。


そうして、愕然とする。

いらない子供。ごみ屑。おちこぼれ。使い捨て。

親が子供に言うだろうか。そんなひどい言葉を。

胸が、痛い。


「……」

「だから、いろいろ荒れててさ。俺が死んでも、誰も悲しまない。付き合ってた女だって、俺のことなんてすぐに忘れる。そう分かってたからね。ずっと、昔から分かっていた」

「珊瑚さん。あんた、は、だから、あんなこと」


おなじ命。

おなじ命なのだ。それなのに、明宜は言った。否、言いそうになっただけだが、叫んでいた。心のなかで。

――ほんとうに、命はみんな同じ重さなのかと。

きっと、自分を卑下することに慣れてしまって、とても悲しかったのだろう。辛かったのだろう。


「あんたは、いらない人間なんかじゃない。ごみ屑でも、おちこぼれでも、使い捨てでもない。俺は……俺にとっては、かけがえのない、たった一人の――人間だ」

「――きみは、何度でも俺を助けてくれる。救ってくれてる。俺を何度でも、生かせてくれている。きみがいなかったら、俺は生きていなかった。こんな、人を恋しいと思うことも、愛しいと思うこともなかったよ」


冷たい手が、体温が移って徐々にあたたかくなってくる。

それがほんとうにうれしい。


「だから、救われたんだ。きみに、幾度となく、ね」

「俺は憶えてないけど」

「いいんだよ。俺が憶えているから」


そっと手が離されて、代わりにくちづけられた。

目を見開いて、思わず周りを見渡す。誰もいなかったからいいものの、誰か見ていたらどうするつもりだったんだろう。


「そ、外でキスなんてするな!」

「いいじゃない。誰もいないんだから」

「……う」


ちいさく呻いて、恨めしげに明宜を見上げる。


「さ、行こうか。永劫くん」

「――うん」


再び暗闇を意識すると、背筋がふるえた。ほんとうに情けないけども、暗闇は怖い。

わずかな笑声が聞こえて、手を握られる。

そのまま手を引かれて車に乗った。



家に着くまで、あまり言葉は交わさなかったが、それでもよかった。

心地の良い沈黙だったからだ。

傍にいてくれるだけで、これほどまでにあたたかい想いになるとは思わなかった。

人を、本当に好きになれたのは、たぶんこの人のおかげで、この人のためだったのかもしれない。

恥ずかしいから、決して伝えないけど。




夢をみた。



――おまえのせいで。

おまえのせいで、私たちは。

私たちは死んだのよ。

おまえなんて産まなければよかった。

おまえなんか、死んでしまえばいい。

そのまま。

私たちの恨みは、決して消えない。

おまえが死んでも。

おまえなんて地獄に落ちてしまえ!

死ね!死ね!死ね!!



誰かが喚いていた。

悲しい言葉を投げつけて、誰かが叫んでいた。

知らない声で、永劫を罵倒していた。


それでも――どこかで聞いたことがあった。



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