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あたり一面に貼られている。
「な……なんだ、これ……」
和紙のような長細い紙に、朱印で何かが書かれている。
幾何学模様のようなそれは、文字とは程遠いような気がした。
「おっと、もう起きれるのかい」
いつのまにか部屋に入ってきた明宜は、驚いたように目を見張っている。
手には、何故か古めかしい本。
「あ、えーっと……」
「ははは。まあ、混乱するのも無理はないか。まあ、とりあえずそこに座ってくれ」
「はぁ……」
そこ、とは布団の上だ。
他に座るところもないので、素直に布団の上に座った。
男――明宜は、どっこいしょと盛大にこぼしながら畳のうえに直に座る。
「さて……。何から話せばいいかな」
シャツをだらしなく崩した格好の明宜は、顎を撫でながら考えあぐねているようだ。
自分でも何が何だか分からない。
あれは一体なんなのか。
どういういきさつで、ここにいるのか。
「まあ、はっきり言おう。きみは今から三日前、神社で襲われた」
「え……み、三日前?今日って何日です?それに、襲われたって……」
「今日は八月五日。きみが襲われたのは二日だね。それで本題。きみを襲ったのは――」
明宜は、すう、と息を吸って、それから声にした。
たった二文字の言葉に、畏怖の念をこめて「――神だよ」と。
「か、神……?」
「そう。神様」
ズボンのポケットから煙草を出すと、ライターに火をつけて吸い始めた。
しかし、煙はあがっているものの、煙たいにおいはしない。
いいにおいだ。
香水のようなにおいではない。例えて言うのならば、香のようなにおいだ。
「きみは神様に襲われたのさ。危なかったよ。まさかあんな場所に人間がいるとは思わなかった。何をしていたんだい、あんな危険な場所で」
「えーっと……肝試し」
明宜は、呆れたような顔をして「やっぱり」と大きなため息をはきだした。
反対したんだ。一応。
そう言いたくとも、今更どんな言い訳をしても意味をなさないだろう。
「……結論から言おうか。きみは命を狙われている。神様にね」
「……は?」
「はっきりいって、いつ死んでもおかしくないよ」
「え、ちょ、ちょっと……。それはどういう……」
明宜が吐いた煙草の煙が顔に思い切りかかる。
不愉快なにおいではないが、周囲がもやに包まれてしまったため、思わず目をつむった。
「きみたちが肝試しした場所。あそこは廃った神社だ。ずいぶん長いあいだ、手入れもされていなかった。だから、あそこの神は野良化してしまったんだよ」
「野良化?」
煙草を指でつまんで再び吸い、ふたたび吐く。
「そうだ。野良化してしまった神――野良神は、再び祀られようとする。そのためには、人間が必要なんだよ」
「人間の命が、必要、ということなんですか?」
喉がひりひりとする。
神が、人間の命を奪う。
それがすぐに納得できて、すこしだけ戸惑った。
なぜなら、神は祟るからだ。
「どうだろうね。野良神が思うことは知らないさ。神様たちは人間とまったく違うんだから。とにかく、魅入られた人間は、生きてはいられないんだよ。きみは、その野良神に魅入られた。まあ、運よく俺に見つかったからいいものの」
「た、助けてくれるんですか?」
「うん。いいよ」
明宜はあっさりと、それこそ当たり前だと言わんばかりにうなずく。
助けてくれないと思っていたわけではないが(とても豪語できることではないが)すこしだけ拍子抜けした。
「それが仕事だし、恩も返さなきゃいけないし」
ぼそりと呟いた言葉は、永劫には聞こえなかった。
ただただ、目の前の男はにやにやと笑っている。
「とりあえず、これを持ってな」
渡されたのは、お守りだった。
赤い袋に入ったそのお守りは、何かが刺繍されているが、何と書いてあるのか分からない。
まるで幾何学模様だ。
「一日中、監視するってわけにもいかないしな。きみも用事もあるだろ?そうだな……。まずこの一か月、この家で生活してもらおうか。その間になんとかするさ」
「え、あの、何とかしてくれるのはうれしいけど、なんでここで……」
「そのお守りは半日しか持たない。もう半日はどうする? その隙に殺されかねないぜ」
明宜は肩をもむようなしぐさをすると、さらりと物騒なことを呟いた。
このお守りに、そんな力があるのだろうか。
「この俺が丹精込めて作った札だぜ? 舐めてもらっちゃ困る」
やけに自信たっぷりに笑う。
なら、本当に大丈夫なのだろう。情けないが、頼らせてもらおう。
未知の存在に、どうすることもできない自分が恨めしい。
どうしてこうなってしまったのか。
すべての元凶は先輩だ。
先輩がすべていけないのだ。
そう責任をなすりつけても、逃げなかった自分もいけない。
「そういえば今は大学は夏休みか……。さて、どうするかね」
顎をさすりながら、ううん、と唸っている。
ここで生活するということは、まあ、いろいろ――本当にいろいろと世話にならなければいけない。
バイトもしていないし、金目のものも何もない。
「あのー……。よかったら、掃除とか、食事の支度とかしかできないですけど……」
「本当かい?」
――最後まで言っていないのだが。