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いちゞくの花  作者: イヲ
第五花
28/68

-7-

「禮の家に寄ろう」


車に乗り込んだ直後、明宜はそう呟いた。


「あの、どういう事なんですか? 家に行ったのがまずかったのかもしれない、って」

「きみ、気づいてなかったかい? 家のなかで、かなりの間ぼうっとしていたんだぜ」


ハンドルを握っている彼は、ひどく険しい顔をしている。

永劫にとっては何のことなのかまったく分からないが、そんな表情をしているという事は、とてもまずいことなのだろう。


「10分くらいかな。声をかけても何も答えなくて、結構焦ったんだけどさ。あの時、何を思ってた?」

「いえ、特に何も……」

「そう。――でも、言っていたよ。きみ。ごめんなさい、って」

「え」


そんなことを言っていただろうか。

まったく覚えていない。なぜ、謝っていたのだろうか。誰に、謝っていたのだろう。


「たぶん、思い出そうとしているんじゃないのかな。きみの心が」

「で、でも、野良神に喰われた記憶って、戻るものなんですか?」

「そりゃ戻るよ。野良神は心に住むものなんだ。離れたら、そのままご返却さ」


赤信号で止まり、明宜は胸ポケットのなかから煙草を取り出して、火をつけた。

――思い出そうとしている。

とても怖い。

10年前、両親が死んだとき、何があったのだろう。


「……俺は、どうして野良神に頼んだんだろう。食ってくれ、って」

「大丈夫」


明宜の横顔を見上げる。

彼は、知っている。永劫の過去を。なぜ、記憶を喰らわれてまで忘れようとしたのか。

それでも、永劫は聞かない。

自分の過去は、自分で思い出さなければならないのだから。

そこまで甘えられない。


「俺はきみの傍にいるから」

「……」

「きみが俺を支えてくれるなら、俺もきみを支えなきゃね」


胸がわずかに痛んだ。

この人のために、自身はなにができるのかさえ分からないというのに。

何もできないと言うことが、これほどまでに胸を痛ませるとは思いもしなかった。




「久しぶりね」


家に上がると、前と変わらぬ白衣に緋袴姿の禮が出迎えた。


「まだ、札も煙草も間に合っているようだけど。何の用?」

「香をね」

「ああ、香。なにかあったの?」


香。

前、夢見が悪かったときに明宜が焚いてくれた香だろうか。

別に、と明宜が答えると、禮は呆れたようにため息を吐き出して、奥の間から消えていった。


「珊瑚さん、あの香って何なんですか?」

「いい夢を見させてくれる香だよ。俺も時々使っているんだけどね」


言葉だけだとなんだか危ない薬のようなものだが、文句は言えまい。

それにしても、香も作っているのだろうか。禮は。

煙草も札も、香も作っているのだとしたら、本当に何者なのだろうか。禮という女性は。


「あの、珊瑚さん。禮さんって何者なんですか?」

「うーん。俺にもよくわからないんだけどね。代々、『そういう』仕事を受け継いでいるらしいんだよ。野良神関係の血筋だとは思うんだけど……」

「……へえ」


ふいに、自分のものではない携帯の着信音が座敷に響く。

明宜が携帯を取り出し、「ちょっとごめん」と言い、座敷から出ていった。


「はい、香――。あれ。明宜は?」

「あ、着信がきたみたいで」

「ふぅん。まあ、いいか。それにしても、相変わらずだねぇ」

「は?」


禮はあぐらをかいて、膝に肘を載せながらにやにやと笑った。

赤いくちびるから白い歯が見える。


「お人よしだろ? あいつ」

「……そうですね」

「それに顔もいいから、結構モテるんだよ。大学のときなんかそちゃもう沢山の女を侍らしててさぁ」

「へ、へえ……」

「でも、もうぜーんぶ清算しちゃって。ま、珊瑚の家だから結婚はできなかったみたいだけど。珊瑚の家はもうないんだから、結婚も自由なんだけどさ」


結婚はできる。

なのに、なぜ結婚をしないのだろう。

37歳だと言っていた。結婚適齢期というものが本当にあるのなら、そろそろやばいのではないだろうか。


「なんで、珊瑚さんは結婚しないんですか?」

「んー? さあ、なんでだろうね。あいつの胸中は分からないよ。誰にもね」


誰にも分からない。

あの人の心のうちは、誰にも。

たしかにそうだ。人の心は誰にも分からない。自分でさえも持て余しているのに、ほかの人間の胸の内側なんて、誰にも分からないのだから。


「でもさ、やわらかくなったよ。あいつ。前、大学の時なんてそりゃもう荒れててねぇ」

「……理由は、家にあるんですよね」

「うん。……ま、分からんでもないけどね、荒れるのも。私じゃ駄目だったんだよ」

「え……」


禮は初めて、どこか悲しそうに目を細めた。

――たぶん、彼女は明宜の事が好きだったのだろう。

じゃなければ、そんな目はできない。


「私じゃ、あいつの力にはなれなかった。いくらこんな力があったって、支えにはなれなかったんだ。だから、あんたが力になってやってよ。あんたならきっと、支えになれるから」

「……はい」


なぜ、こんなきれいな人を振ったのだろう。

たぶん、力があるのなら本当の意味で支えて、力になれると思うのに。

それだけじゃ駄目なのなら、永劫はきっと、もっと駄目だ。

力もなにもない。

ただの厄介者なのに。



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