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ジャージのまま、家から飛び出す。
「乗って」
明宜も作務衣のまま、車のアクセルを思い切り踏みこんだ。
先刻、市民病院から電話があった。
――祖父が倒れた、と。
頭のなかが真っ白になって、膝が折れそうになったところを明宜に支えられた。
「行こう。病院に」
その一言に頷けたのは、数秒たってからだった。
助手席に乗って、手をきつく握りしめる。
わずかに震えているが、明宜に見られないようにふたたび思い切り握りしめた。
それでも、震えは収まらない。
「永劫くん」
「……あ、はい」
ふいに話しかけられて、顔を上げる。
暗い道を走る車は、がたがたと揺れていた。
「大丈夫」
「……」
ハンドルにかけていた片方の手を離して、そっと永劫の頭を撫でる。
根拠などないとわかっているのに、どこか落ち着いてしまう自分がいた。
そっと深呼吸をして、頷く。
祖父は年だが、まだまだ元気だと思っていた。
だからだろうか。こんなにも不安になるのは。震える手を握りしめて、市民病院に車を止めると、すぐにナースステーションに走った。
「大神さんのお孫さんですね? こちらへ!」
看護師がすぐに対応してくれたが、ひどく焦っているように見える。
――そんなに、悪いのか。
奥歯がかちかちと鳴る。
開いたままの扉に入ると、祖父は――たくさんの機械に繋がれていた。
「……じいちゃん」
薄い胸を上下に動かして、目を閉じている。
「――容体は」
ちいさな声で、明宜が医師に問うた。
そうだ。
そういうことは、自分が聞かなければいけないのに。
それでも――声帯が、うまく機能しないかのように、何もしゃべることはできなかった。
「……今はあまり、思わしくありませんが、大丈夫でしょう。お年の割には、体力もありそうですからね」
「そう、ですか……。よかった」
「一週間ほど、検査入院をしてください。念のためです」
安堵の息を吐き出す。
まだ、いなくならない。
まだ。
大丈夫だ。
「ありがとうございます。珊瑚さん。車、出してもらって」
「そんな、いいよ。俺も肝が冷えた思いだった。でも、よかったねぇ」
「はい」
「今日はお帰りください。申し訳ないのですが、簡易ベッドも今、すべて使っていまして……」
医師が申し訳なさそうに言うも、別にベッドを使わなくともいい。
パイプ椅子だけで十分だ。
そう告げても、明宜は「それはやめておいたほうがいい」と耳元で呟く。
「え……」
「きみ、すごく疲れた顔をしているよ。布団でちゃんと眠ったほうがいい」
「でも、じいちゃんが」
「章介さんなら大丈夫。医者もああ言っているしね」
「……分かりました。先生、祖父のこと、よろしくお願いします」
白髪の医者は頷くのを見送ってから、廊下に出た。
ぼんやりとリノリウムの廊下が、すこしだけ不気味に照明によって照らされている。
――明宜が言うほど、そんなに疲れた顔をしていただろうか。
車に乗り込むと、明宜は煙草の火をつけた。
息を吐き出し、香の匂いが車のなかをただよう。
「出すよ」
「はい」
アクセルを踏む音が聞こえる。
たった一時間ほどのことだったのに、ひどく疲れた。
「あまり、思い込まないようにね」
「え……」
「章介さんのことが心配なのは分かるけど、あまり思いつめると、野良神に気を吸われる」
「気を吸われるっ、て……」
「生きていたくなくなるってこと」
煙草の煙が窓の外へと出てゆく。
――生きていたくなくなる。
それがどれ程恐ろしいものなのか、分かっている。そのせいで、永劫は野良神に憑かれたのだ。
それがたとえ、自分のためであったとしても。
「――はい」
「うん。よし、明日にでも、章介さんの家に着替えを取りに行って、お見舞いに行こう。ああ、そうそう。明日、鈴鹿は帰るそうだから」
「え? そう、なんですか?」
「もう、できることはないみたいだけど、大丈夫。連絡先はちゃんとしているし、何かあったら駆けつけてくるだろうから」
信頼しているのだろう。明宜は、鈴鹿を。
――でも、自分は。
守られる立場にある自分はきっと、鈴鹿のようにはなれない。
完全に打ち解けることはできない。
「……きみのことは、決して嫌いにはなれないよ」
「……!!」
ハンドルを握ったまま、明宜が呟く。
まるで、囁くように。
その先は聞きたくない。自身の心が、やめろと悲鳴を上げている。
この人は優しい。
優しすぎるから、自分の心を殺してまで、なにかをなそうとするだろう。
そんなもの、本心とは言わない。
いらない。
いらない。
そんな、偽物なんて。
「たぶん、一生、ね」
「……。簡単に、言うものじゃありませんよ。一生、なんて言葉」
「でも、もう俺も老い先短いからねぇ。言ってみたかったんだよ。揺るがない、なにかをね」
「老い先短いって、あんたまだ40にもなってないじゃないですか」
それなのに老い先短いとはおかしい。
彼は笑って、「それもそっか」と口から煙を吐き出した。
「きみのことが、好きだ」
「――……やめてください。あんたが、俺の事を好きになるなんてこと、ありえません」
「どうして?」
「あんたは、あんな言葉でほだされるような人間じゃないからです」
今日の、あの言葉。
あの言葉なんかで、好きになるなんてこと、ありえない。




