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いちゞくの花  作者: イヲ
第五花
24/68

-3-

ジャージのまま、家から飛び出す。


「乗って」


明宜も作務衣のまま、車のアクセルを思い切り踏みこんだ。


先刻、市民病院から電話があった。

――祖父が倒れた、と。


頭のなかが真っ白になって、膝が折れそうになったところを明宜に支えられた。


「行こう。病院に」


その一言に頷けたのは、数秒たってからだった。




助手席に乗って、手をきつく握りしめる。

わずかに震えているが、明宜に見られないようにふたたび思い切り握りしめた。

それでも、震えは収まらない。


「永劫くん」

「……あ、はい」


ふいに話しかけられて、顔を上げる。

暗い道を走る車は、がたがたと揺れていた。


「大丈夫」

「……」


ハンドルにかけていた片方の手を離して、そっと永劫の頭を撫でる。

根拠などないとわかっているのに、どこか落ち着いてしまう自分がいた。

そっと深呼吸をして、頷く。


祖父は年だが、まだまだ元気だと思っていた。

だからだろうか。こんなにも不安になるのは。震える手を握りしめて、市民病院に車を止めると、すぐにナースステーションに走った。


「大神さんのお孫さんですね? こちらへ!」


看護師がすぐに対応してくれたが、ひどく焦っているように見える。

――そんなに、悪いのか。

奥歯がかちかちと鳴る。


開いたままの扉に入ると、祖父は――たくさんの機械に繋がれていた。


「……じいちゃん」


薄い胸を上下に動かして、目を閉じている。


「――容体は」


ちいさな声で、明宜が医師に問うた。

そうだ。

そういうことは、自分が聞かなければいけないのに。

それでも――声帯が、うまく機能しないかのように、何もしゃべることはできなかった。


「……今はあまり、思わしくありませんが、大丈夫でしょう。お年の割には、体力もありそうですからね」

「そう、ですか……。よかった」

「一週間ほど、検査入院をしてください。念のためです」


安堵の息を吐き出す。

まだ、いなくならない。

まだ。

大丈夫だ。


「ありがとうございます。珊瑚さん。車、出してもらって」

「そんな、いいよ。俺も肝が冷えた思いだった。でも、よかったねぇ」

「はい」

「今日はお帰りください。申し訳ないのですが、簡易ベッドも今、すべて使っていまして……」


医師が申し訳なさそうに言うも、別にベッドを使わなくともいい。

パイプ椅子だけで十分だ。

そう告げても、明宜は「それはやめておいたほうがいい」と耳元で呟く。


「え……」

「きみ、すごく疲れた顔をしているよ。布団でちゃんと眠ったほうがいい」

「でも、じいちゃんが」

「章介さんなら大丈夫。医者もああ言っているしね」

「……分かりました。先生、祖父のこと、よろしくお願いします」


白髪の医者は頷くのを見送ってから、廊下に出た。

ぼんやりとリノリウムの廊下が、すこしだけ不気味に照明によって照らされている。


――明宜が言うほど、そんなに疲れた顔をしていただろうか。


車に乗り込むと、明宜は煙草の火をつけた。

息を吐き出し、香の匂いが車のなかをただよう。


「出すよ」

「はい」


アクセルを踏む音が聞こえる。

たった一時間ほどのことだったのに、ひどく疲れた。


「あまり、思い込まないようにね」

「え……」

「章介さんのことが心配なのは分かるけど、あまり思いつめると、野良神に気を吸われる」

「気を吸われるっ、て……」

「生きていたくなくなるってこと」


煙草の煙が窓の外へと出てゆく。

――生きていたくなくなる。

それがどれ程恐ろしいものなのか、分かっている。そのせいで、永劫は野良神に憑かれたのだ。

それがたとえ、自分のためであったとしても。


「――はい」

「うん。よし、明日にでも、章介さんの家に着替えを取りに行って、お見舞いに行こう。ああ、そうそう。明日、鈴鹿は帰るそうだから」

「え? そう、なんですか?」

「もう、できることはないみたいだけど、大丈夫。連絡先はちゃんとしているし、何かあったら駆けつけてくるだろうから」


信頼しているのだろう。明宜は、鈴鹿を。

――でも、自分は。

守られる立場にある自分はきっと、鈴鹿のようにはなれない。

完全に打ち解けることはできない。


「……きみのことは、決して嫌いにはなれないよ」

「……!!」


ハンドルを握ったまま、明宜が呟く。

まるで、囁くように。

その先は聞きたくない。自身の心が、やめろと悲鳴を上げている。

この人は優しい。

優しすぎるから、自分の心を殺してまで、なにかをなそうとするだろう。

そんなもの、本心とは言わない。

いらない。

いらない。

そんな、偽物なんて。


「たぶん、一生、ね」

「……。簡単に、言うものじゃありませんよ。一生、なんて言葉」

「でも、もう俺も老い先短いからねぇ。言ってみたかったんだよ。揺るがない、なにかをね」

「老い先短いって、あんたまだ40にもなってないじゃないですか」


それなのに老い先短いとはおかしい。

彼は笑って、「それもそっか」と口から煙を吐き出した。


「きみのことが、好きだ」

「――……やめてください。あんたが、俺の事を好きになるなんてこと、ありえません」

「どうして?」

「あんたは、あんな言葉でほだされるような人間じゃないからです」




今日の、あの言葉。

あの言葉なんかで、好きになるなんてこと、ありえない。

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