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襖を開けたのは、鈴鹿だった。
ひとり反省会中だったというのに。
――何回めかのため息を吐き出した。
「やだぁ、永劫ちゃん。人の顔見てため息つくなんて。ねえ、知ってる? ため息を一つつけば、幸福も一つ逃げてゆくのよ?」
「別に、あんたの顔見てため息をついたんじゃありません。それに、適当なこと言わないでくださいよ……」
はあ、とふたたびため息を吐き出してしまう。
なぜこんなに落ち込んでいるのか不思議だ。自分でも、そう思う。
鈴鹿は黙って永劫の隣に座ると、天井を見上げた。
「うーん。なんて言えばいいのかしらねぇ」
「は?」
鈴鹿は朝の服装ではなく、きちんと女装している。
黒いロックなシャツに、黒いタイトスカート。
男らしい骨ばった足ではないのだが、どうなっているのだろうか。
というか、この男は本当に男なのだろうか。
そんな無意味なことをぼんやり考えていると、肩を軽くたたかれた。
「ぎゃっ」
すぐ目の前に鈴鹿の顔があって、おもわず畳のうえに転がる。
真っ青な目。
それが、どこか面白そうに細められていた。
からかわれているという事は知っているけど、どこか憤慨してしまう自分がいる。
――そうして、気づかされた。
気づいてしまった、と言った方がいいかもしれない。
おなじなのだと。
例え明宜に告げたとしても、それは彼の苦しみにしかならない。
優しいから、彼は気持ちが悪いなどとは言わないだろう。
だから、試したのだろう。鈴鹿は。
そう、思わせるために。
――優しくない。けど、優しい。
分かっている。鈴鹿も優しい人なのだと。
きっと、鈴鹿は――明宜を、傷つかせたくはないのだろう――。
これ以上。
「勘違いしないでちょうだい」
「……」
鈴鹿は真っ青な目を細めて、真っ赤なくちびるの端をあげてみせた。
肌は白くて、本当に女の人のようだが、れっきとした男だ。
「アタシは、明宜ちゃんの幸せを願っているんじゃないわ」
「……どういうことですか」
「明宜ちゃんは、明宜ちゃんの考えがある。決して幸福な生い立ちじゃないけれど、彼だって人間よ。幸せになってみたいと思っているの。でもね。アタシは明宜ちゃんの幸福を願っているんじゃなくて、望んでいるのよ。そうなるべきなの、あの子は」
「――残酷ですね。あんたがそんなことを言うなんて。俺は、珊瑚さんの力にはなれない。力になれるわけがないのに」
吐き捨てるように呟くと、鈴鹿は「ふふっ」と肩でわらった。
自分に、力なんてない。
むしろ、守られる方なのだ。だから、力になんてなれないということは分かっている。
痛いほど、身に染みている。
永劫が明宜にしてやれることは、この家のなかを掃除したり、食事を作ることくらいだ。
――たとえ、昔恩を売っていたとしても、覚えていないのだからどうしようもない。
それに、その恩のために優しくしてくれているということが分かってしまって以来、――余計につらい。
「そっちの力にならなくていいのよ。――支えになってくれていれば、それで」
「――あんた、」
「分かるわよ。だって、あなた、見え見えだもの。まあ、明宜ちゃんは気づいていないと思うけれど」
ざっと背筋が凍るような思いになる。
鈴鹿はそれを眺めて、「大丈夫」と頷いて見せた。
「あなたが伝えるまで、アタシは何も言わない。約束よ」
「……伝えるつもりはないんですけどね」
うつむいて、呟く。
こんな、苦しい思いも辛い思いも、あの人にはあげられないし、伝えることはできない。
この思いは、殺した方がいいのだから。
殺した方が、明宜のためにも、――自分自身のためにもいい。
分かっている。
分かっているから、よけい辛い。
鈴鹿は目を細めて、ちいさく笑って見せた。
「――そう。でも、これだけは言っておくわ。野良神は、あなたの気持ちや思いは喰らってはくれない。逆に、気持ちや思いを抑え込めば抑え込むほど、野良神は力を振るうわよ。あなたの気を吸って、力も強くなってくる。――そうして、死に追いやるの。野良神は」
野良神、という単語に、思わず目を見開く。
――抑え込めば抑え込むほど。
「おおざっぱにいえば、伝えて生きるか、伝えないで死ぬか、の二択になるわね。アタシは、あなたに生きていてほしい。だから」
「伝えません。あの人の、重荷にだけはなりたくないから」
「じゃあ、死んでもいいの?」
「――……分かりません。でも、俺は」
伝えてはいけない。
あの人の苦しみや痛みの原因にだけは絶対になりたくない。
「確かに、他人の想いは時に重荷になることはある。でもね、それを抱えられるだけの余裕って言うのはあると思うのよ。明宜ちゃんには」
「――いいんです。伝えなくても。こんな思いは殺した方がいいんですから」
「あら。殺せるだけの思いなのかしら。あなたの思いは」
「!!」
――違う、と思う。
ほんとうは――、(ほんとうは? なんだと言うのか。殺さなければならないのに、殺したくない、とでも言うのか?)
抱えきれなくて、やがて溢れてしまう。
コップに少しずつ少しずついれた水が、やがては必ず溢れてしまうように。
たぶん、そのときだろう。
自身が死ぬのは。




