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蝉の声さえしない。
足がだらしなく震えている。
怖い。
半端なく怖い。
鳥居をくぐって数分。
数分、とはいっても、本当はどれくらいたったのかわからない。
まだ数秒かもしれない。だが、本当に長い時間、歩いている気がする。
暗闇だ。
腕時計さえ、暗くて見えない。
虫の声だけが響くなか、砂利の音が耳朶をとおりすぎてゆく。
神社特有の、ひんやりとした温度。
鳥肌がたつ。
じゃり、じゃり。
「うぅ……。怖い……。寒い……」
おかしい。夏だというのに、なぜこんなに寒いのだろう。
半そでのティーシャツが、とても恨めしい。長そでを着たいくらいだ。
――じゃり。
「……ん?」
自分のほかに誰かいる?分からない。そんな気がするだけだ。いや、いない。誰もいない。
誰もいないはずだ。
こつ、こつ、こつ、スニーカーをわざと鳴らせて、その足音をなかったことにしようとする。
しかし、いる。自分以外のなにかが。
総毛立った。
「……!?」
首すじに、冷たい風が通り過ぎてゆく。
その直後に足が動かなくなった。否、動かないのではない。動こうとしないのだ。
みずからの、意思で。
ほんとうの恐怖の前では、声など出ないのだ。
初めて知った。
靴音――いや、草履が道をすべる音だ。
つっと背中に冷たい汗がとおってゆく。
動けない。
動けない。
だが、声が出ない。助けをよぶこともできない。
ここで、――死ぬのだろうか。
死、というものが、今、たった今、初めて身近に感じた。
自分――大神永劫という大層な名前をもって生まれて早19年。
父親と母親はいない。しかし、祖父がいる。
祖父はひどく信心深くて、神社によく連れて行っていてくれた。
神社。
――そうだ。
神社。ここは、神社だ。
神の社。
それがこんなに恐ろしくて怖い場所だとは思わなかった。
あの日までは。
どこかの神社か――わすれてしまったが、その神社の禰宜に言われたのだ。
怖い場所だよ――と。
それが異様に怖くて、それ以来、祖父と一緒に神社に行くことはしなくなってしまった。
走馬灯のようにそれが頭のなかを走りぬけてゆく。
死ぬのか。
なにか得体の知らないものに殺されて。
――いやだ。
まだ、死ねない。
はぁー、という、冷たい息が頬をなぜる。
まるで足元から氷が張られてゆく感覚。
それでも、冷や汗というものは出るものなのだ。こめかみから汗がにじみでて、参道にしみこんでゆく。
――意識が――。
「おいおい、なーんでこんな場所にいるんだ?」
第一印象は、チャラい。だった。
夢をみた。
なつかしい夢を。
「じいちゃん、なんで、この道のまんなかを歩いちゃいけないの?」
「この参道のまんなかはね、神様が通る道なんだよ。だから、通っちゃいけないんだ」
「そうなんだ。ねえ、神様は、なんで偉いの?」
「ははは。永劫はおもしろいことを言うねえ。ああ、――さん。こんにちは。ほら、永劫、おまえを挨拶をおし」
「こんにちは!」
「こんにちは。今日はいい天気で。掃除のしがいもありますよ」
逆光――。
逆光で、顔がみえない。
ただ、真っ白な着物と、勿忘草色の袴だけが色彩をはなっている。
たしか、そうだ。
この会話のあと、自分は神社に行くことが怖くなってしまったのだ。
でも、その話をした禰宜の名前が思い出せない。
あんなに何回も何回もあの神社に足を運んだのに。
あんなに何回も、その人に会ったのに。
声も、顔さえも、思い出せない。
ただ、言葉だけが頭のなかにこびりついているのだ。
「ふんふんふ~ん」
テンポはずれな鼻歌の声で目が覚めた。
頭が痛い。ずきずきとする。
「う……っ」
「んー?」
体が重く、動けない。ただ、チャラチャラしてる、としか言えない声色が頭の上から聞こえる。
ずいっ、と目の前に突き出された顔。
――薄い。
いや、髪の毛が、じゃなく。
髪の色が。
茶髪、というか、ベージュだ。色が。
僅かにある目のしわが、年を感じさせる。
たぶん、30代半ばだろう。
目は細いが、顔だちはなんだか優男風に見える。
それほどじっくり見るひまがあった。
「おお、目ェさめたか」
「あ……あんた、は?」
「俺? 俺はただのおっさんだよ」
「いや、名前……」
すっと顔がひかれ、畳に座る音がすぐ近くで聞こえる。
ようやく開かれた視界は、木でできた天井が見え、それからわずかな香のにおいがただよっていた。
自称「おっさん」は煙草を吸いながら、にんまりとわらう。
「ああ、なんだ、名前か。珊瑚明宜だよ」
「珊瑚……さん?あの、俺、いったい……」
「そりゃー、話せば長くなんな。ちぃっとばかし、待ってな」
ぼさぼさの髪をがしがしと遠慮なく掻いて、奥の間へ行ってしまった。
珊瑚明宜。
変わった苗字だ。
ようやく頭の回転ができるようになってきた。
体もすこしだけ軽い。布団からぬけだす。
きょろきょろと部屋のなかを見渡すと、ただの和室のようだ。
「……?」
しかし、気になるもの――。見てはいけないものが貼ってあることに気づく。
札だった。
入口という入口に札が無遠慮に貼ってあるのだ。