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いちゞくの花  作者: イヲ
第二花
10/68

-3-

花、だった。


桔梗、紫苑、菫。

紫色の、季節を無視した花が置かれていた。


「これは……?」

「うん。花に野良神を移すんだよ。まあ、野良神の依代、ってところかな」


当たり前だが、聞いたことがない。

畳に規則正しく並べられている花のうえに座れと言われたので、恐る恐るその花のうえに座った。


「よし。それじゃ、始めようか。目を閉じて、深呼吸をして」


言われるまま、深呼吸をゆっくりする。

しん、とした部屋のなかに、畳の上を歩く音が響いた。


「――高天原に神留坐す神漏岐神漏美の命以ちて

皇親神伊邪那岐の大神筑紫日向の橘の小門の阿波岐原に

禊祓ひ給ふ時に生坐せる祓戸の大神等

諸々禍事罪穢を祓へ給ひ清め給ふと申す事の由を

天つ神地つ神八百万神等共に天の斑駒の耳振立て聞食せと畏み畏みも白す」


今までのチャラチャラとした言葉ではない、背筋が冷たくなるほどの真剣さがあった。

思わず背がぴんと伸びる。


「……」


それから、畳の上を歩く音が聞こえたと同時に――百合のような、むせるほどの花のにおいが鼻をつく。


「ぅ、ごほ……っ」


思わずむせる。

背中を丸めて、口に手を当てた。せき込んでいるとそうっと背に手を当てられ、さすられる。


「う……っぐ」

「大丈夫」


耳もとでささやかれ、背筋が思わず震えた。

――なんだか、ひどく、きもちが悪い。

げほっ、げほっ、と咳込んでも、それはなくならない。百合のにおいが余計きつくなって、涙がにじむ。

気を失いそうだ。

この人は――明宜は、大丈夫なのだろうか。百合のにおいがこんなにひどいなか、咳き込みもしない。

涙が滲んで、頬を滑ってゆく。

情けない。喉がひきつって、まるで泣いているような声が出てしまった。


「――ちっ」


明宜の舌打ちの声が聞こえる。

どこか、焦っているようだ。思わず目を開けようとするが、「開けるな」という、鋭い声であわてて閉じた。


それから、明宜の何かを呟くような声が聞こえるが、何を言っているのか分からない。

しかし――百合のにおいが徐々に消えてゆくのは分かる。


そして、どれくらいたっただろうか。

数分たったあと、何の音も、百合のにおいもしなくなった。


「目を開けていいよ」


静かに目を開け、下を見ると信じられないものが存在していた。

――無残に黒こげになった花たち。

花弁もぼろぼろになってしまっている。


「こ、これは……」

「野良神さんの力を少しずつ花に移すことはできたけど、本体はまだきみから離れないようだね。これは、長期戦になりそうだ」


顔が青白い。

今にも倒れそうなくらいに。

それでもへらへらと笑っている。

――ずきりとした痛みが、ふいに胸にうまれた。


(……なんだよ、ずきり、って)


意味が分からないこの痛みに、すこしだけ呆然とする。


「さて、お腹すいたなぁ。永劫くん。おねがいしていい?」

「あ、はい。もちろん」

「じゃあ俺はここ、片付けているから朝飯お願い」

「はい」


青白い顔で、何事もなかったかのように笑っている。

それがなんだか――とても、辛かった。

この場にいることがすこしだけ苦しくて、逃げるように台所にむかった。



台所で、目玉焼きをつくりながら呆然とする。

なんだ。

なんだ、これは。


「……」


なんで、あんなに青白い顔をしても笑えるんだ。

不思議だ、と思うよりも、なんだか――むかむかとする。

腹がたつ。

この意味がまったく分からなくて、ぷつぷつと音をたてている目玉焼きを見下ろす。


「なんだよ……。って、うわっ!!」


ぼうっとしすぎたのか、目玉焼きが大変なことになってしまっていた。

まわりが黒焦げ、白身の部分もすこし焦げてしまっている。

あわてて火を止めても、もう遅い。


「はあ……」


――これは自分の分にしよう。

もう一つ、卵を割って、今度は慎重に焼く。


野良神。

ほんとうに、野良神って何なのだろう。

どうして、ほかの先輩たちじゃなく、自分に憑いたのだろうか。

ほかの先輩たちのほうが、先に入っていったのに。

タイミングの問題なのかもしれないが、どうもひっかかる。


「……」


はっ、とする。また、ぼんやりとしてしまったが、目玉焼きは無事だった。

あとは昨日の残りの麻婆茄子と、きゅうりとキャベツ、トマトを切ってサラダを作る。

それから昨日の夜予約しておいたご飯を盛って、お盆に載せた。


「もう、本当……分かんないことばっかだ」


それでも、明宜に突き詰めて聞くことができない。

あんな、――あんな、青白い顔で笑われては、きつく問うこともできないじゃないか――。


昨日、夕飯を食べた部屋に行くと、すでに明宜は座って待っていた。


「おまたせしました」

「ありがとう、永劫くん」

「……いえ」

「じゃあ、いただこうかな」


嬉しそうに箸をつける明宜の顔色は、先刻よりはいいものの、まだ悪い。

それを見たくない――見たくないが、そうさせているのは自分(・・)だ。

辛い思いをさせているのも、全部永劫のせいだ。


そうおもうと、ずきりと胸が痛んだ。


「あの、珊瑚さん」

「ん?」

「その、……ごめんなさい」


頭を下げて謝ると、気の抜けた返事が聞こえてくる。

彼の顔は、ぽかん、としていて、すこしだけ間抜けに見えた。


「なに、間抜けな顔をしているんですか」

「ひ、ひどっ! きみがおかしなことを言うからいけないんだぜ」

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