第8話:帰還、そして甘い処方箋
「体外帰還、完了。――全ユニット、等身大への復元を確認」
システム音声が響き、ダイブ・ポッドのハッチからプシュッという音と共に白い蒸気が噴き出した。
重力から解放された独特の浮遊感を抱えながら、あかりはポッドから這い出した。ダイブ・スーツの表面は媒介液で濡れ、全身から湯気が上がるほど体温が上昇している。
「あかりちゃん、お疲れ様! はい、タオル。よく頑張ったわね!」
ポッドの前で待っていた結衣が、弾けるような笑顔で厚手のタオルを差し出した。
「ありがとうございます……。あ、あの、患者さんは……?」
「大丈夫よ。心拍も血圧も安定して、今は一般病棟に運ばれたわ。あかりちゃんがコアを叩き壊してくれたおかげ。本当に、初陣とは思えないくらいお見事!」
結衣に肩を叩かれ、あかりは初めて深く息を吐いた。極限の緊張から解放され、足に力が入りそうになる。
隣のポッドから出てきた沙也加と美穂も、それぞれ疲労の色を浮かべながらも、どこか満足げな表情だった。
「初オペレーションにしては、合格点よ、あかりさん。私の計算外の動きをしてくれたおかげで、助かった部分もあったわ」
「ふふ、あかりちゃんの突進、後ろから見ていてとても頼もしかったわよ」
リーダーの労いと、美穂の穏やかな微笑み。あかりの胸に、ようやく「命を救った」という実感が、じんわりとした熱を持って広がっていく。
「……あー。終わったか。うるさいぞ、お前ら。……寝かせろ」
部屋の隅で、声の主――凪宗一郎は、すでに簡易ベッドに潜り込んでいた。オペレーション中のあの研ぎ澄まされた冷徹さはどこへやら、今はただの「睡眠を愛する怠惰な医師」に戻っている。
「先生、もう寝ちゃうんですか? 新人のあかりちゃんに、何か一言くらい……」
結衣の言葉も虚しく、返ってきたのは規則正しい寝息だけだった。
「全く、あの人は……」
沙也加が溜息をついた。
「あら? テーブルの上に何か置いてあるわよ」
美穂が、いつものティーテーブルを指差した。
そこには、オペレーション前にはなかったものが三つ並んでいた。
一本ずつ丁寧に置かれた三本の羊羹。そして、その下に敷かれた一枚のメモ書き。
あかりたちが恐る恐る近づいて覗き込むと、そこには凪の、殴り書きのような、だが迷いのない筆跡でこう記されていた。
【第13班:初オペレーション評価】
・沙也加: マニュアル読みすぎだ。私の演算速度に追いつきたいなら、あと3秒判断を早めろ。
・美穂: 音響兵器の指向性が甘い。血管壁を削りすぎだ。お茶の飲みすぎで手が震えているんじゃないか?
・あかり: 三等身の割には動けていた。だが、突っ込むタイミングが0.02秒遅い。次もこれなら、患者の脂肪に埋もれて死ぬぞ。
追記:糖分が足りないと脳が腐る。それを食って、さっさと反省会でもしろ。
「……。相変わらず、一言多いわね、あの先生」
沙也加が苦笑いしながらも、自分の分の羊羹を手に取った。
「ふふ、でも先生なりの『お疲れ様』なんですね、これ」
美穂も楽しそうに栗色の髪を揺らし、羊羹を愛おしそうに見つめる。
あかりは、自分の分の羊羹を両手で受け取った。
酷評に近い評価。けれど、そこには自分たちの動きを、凪が誰よりも細かく「見ていた」という証が刻まれていた。
「……はい! 次は、0.02秒、もっと早く動けるようになります!」
あかりはベッドで眠る「天才」の背中に向かって、小さく、けれど力強く宣言した。
地下4階、第13オペレーションルーム。
桜の見えないこの場所で、第13微細医療班の初めての祝杯は、甘い羊羹と熱い紅茶で幕を開けた。




