外伝 鉄火場の赤、戦場の福音――極限の双翼
国立バルス研究センター附属病院の最深部、地下四階の清潔な「聖域」とは対照的に、陸上自衛隊木更津駐屯地の格納庫には、常に猛々しいエンジンの咆哮と、焦げたオイルの匂いが立ち込めていた。
そこには、微細医療局が誇る「空飛ぶオペレーションルーム」――大型輸送ヘリ『CH-47J・メディカル・カスタム』が鎮座している。
本来、巨大な冷却装置と演算サーバー、電力源を必要とするミクロダイブ・システムを、この限られた機内スペースに押し込み、かつ激しい振動や電磁ノイズの中でも安定稼働させるという難題。それを成し遂げたのは、やはりあの男、凪宗一郎の偏執的なまでの天才ぶりだった。
「ふん、現場で泥を啜る筋肉バカ共にも、最低限の玩具は必要だろう」
そう毒を吐きながら凪が設計したシステムは、極限まで簡略化され、頑強な耐震フレームに収められている。しかし、物理的な制約は残った。機内に搭載できるダイブ・ポッドは、どうしても「二基」が限界だったのである。
1. 熟練の双翼
木更津駐屯地の一角に間借りしている、NBRC附属病院微細医療局の航空救命班『レッド・ラッシング』。
単に航空班とも呼ばれている。
CH-47J・メディカル・カスタムを運用(機体の操縦、整備などは自衛隊に委託している)して、指定病院への搬送が間に合いそうもない僻地へ飛んで治療を行うチームで、コマンドドクター、オペレーター二人、看護師一名からなる。
微細医療の原則は「三人一組(アタッカー、ガンナー、ディフェンダー)」。
だが、ポッドが二台しかないこの『CH-47J・メディカル・カスタム』を運用している航空班に、未熟な新人の居場所はない。
ここに配属されるのは、経験五年以上、その他の厳しい条件をクリアし、一人が複数の役割を兼任できる、精神的にも肉体的にも完成された「ベテラン」のみだった。
「野郎どもッ! 準備はいいか! 奥多摩の林業現場で、作業員の兄ちゃんがバルス変異種に血管をズタズタにされてる。病院に運ぶ時間はねえ。雲の上で、サクッと片付けるぞ!」
カーゴランプで吼えるのは、航空班のコマンドドクター、剛田健一。
凪宗一郎とは正反対の熱血漢。もともとスポーツドクターを志望、人類の敵バルスとの戦いの前線指揮官であるコマンドドクターになった今も時間があればラグビーを楽しむ体育会系だ。
そんな彼が愛用するコンソールは、凪が「バカでも使えるように」とユーザーインターフェースを極限まで最適化した逸品だった。
「剛田先生……。もう一度言いますけど、私たちは三人とも女性です。野郎呼ばわりはセクハラで訴えますよ」
アタッカー兼ディフェンダーを務めるサキが、NLSの接続部を確認しながら、冷徹に言い放つ。
「そうですよ、先生。筋肉で記憶回路までショートしてるんですか?」
ガンナー兼サブアタッカーのハルカが、愛銃『ジャッジメント』の照準を調整しながら追い打ちをかける。
「ああ、そうだったな! だが気合は野郎以上だ、行くぞッ!」
「……話、聞いてました?」
看護師のマキが呆れ顔でコクピットのパイロットにサインを送ると、二基の巨大なローターが木更津の空を切り裂いた。
2. 荒ぶる空のオペ室
「バイタル急落! 血圧、上が六十を切ったわ!」
機体が乱気流に揉まれ、激しく上下に揺さぶられる中、マキが叫ぶ。ストレッチャーに固定された患者は、森林地帯特有の変異種『ブラッド・イーター』に侵されていた。
通常の三人体制なら、一人が防御、一人が索敵、一人が攻撃と役割を分担できる。だが、この二人だけの戦場では、一人が受け持つ「精神負荷」は通常の1.5倍に達する。
「サキ、ハルカ! 凪の野郎が作ったこの『メディカル・カスタム』の性能を信じろ。インターフェースは簡略化されてるが、中身は化け物だ。……潜れッ!」
「航空班、ダイブ・エントリー!」
二人の身体が、不安定な電圧の火花を散らすポッドを介して、激流と化した大動脈へと射出された。
3. 擬態崩壊と二人の信頼
ダイブした先は、ヘリのエンジンの振動が、まるで大地震のような共鳴となって襲いかかる地獄だった。
『サキ、NLSの擬態システムが……振動で同期ズレを起こしてる! 免疫系にバレるぞ!』
ハルカの声に、サキは舌打ちした。
ポッドの小型化の代償として、ノイズ耐性は ICU の据え置き型に劣る。サキの周囲に、彼女を「異物」と認識したマクロファージが巨大な壁となって迫る。
『ハルカ、防御はいい! 私が強引にこじ開ける! あなたは『ブラッド・イーター』の核だけに集中して!』
サキは『ハミングバード』を盾代わりに回転させ、押し寄せる白血球を衝撃波で弾き飛ばした。本来、ディフェンダーが行うべき役割を、アタッカーである彼女が同時にこなす。
「剛田先生、出力が不安定です! エンジンの回転数とダイブ・システムの位相が干渉してます!」
マキが懸命にコンソールを叩く。
「マキ! 凪の説明を思い出せ。バイパスを三番回路に繋ぎ替えろ。……サキ、ハルカ! 落ちるなよ! お前ら二人がいれば、そこは最高のオペ室だッ!」
剛田がコンソールを拳で叩くと、凪の組み込んだ緊急用スクリプトが起動した。ノイズが一時的に相殺され、ハルカの視界が晴れる。
『……捉えた。ジャッジメント、論理弾……最大出力!』
ハルカの放った一撃が、血管壁を食い破ろうとしていたバルスの神経系を強制フリーズさせる。その一瞬の隙を、サキは見逃さなかった。
『これで……終わりよッ!!』
熱を帯びたブレードが、バルスの核を両断。同時に、止血用の凝固因子が血管の破断部を覆い尽くした。
4. 鉄火場の福音
数十分後。センターに隣接したヘリポートに滑り込んだ CH-47J から、泥と汗にまみれた二人のオペレーターが降りてきた。
「患者、バイタル復帰。……危なかったわね」
サキがヘルメットを脱ぐと、二十三歳とは思えないほど、使い込まれた戦士の顔があった。
「本当。凪先生の『小型化』には感謝するけど、あの振動の中で二人ダイブは、やっぱり寿命が縮まるわ」
ハルカも、ベテランらしい余裕の笑みを浮かべる。
そこへ、剛田が満面の笑みで駆け寄ってきた。
「よくやった野郎ども! 完璧なオペだ。さあ、帰って祝杯を……」
「「「だから、女だって言ってるでしょ!!」」」
三人の怒号が夕焼けのヘリポートに響き渡る。
凪宗一郎のような洗練された美しさも、第十三班のような潤沢な人員もない。
けれど、そこには「空の上という名の限界」で戦う、二人の熟練オペレーターと一人の熱血漢、冷静なベテラン看護師による、泥臭くも尊い救命の福音があった。
木更津へ戻る機内。
剛田は、凪から送られてきたばかりの「改善アップデート」という名の毒舌メールを読みながら、不器用な笑みを浮かべていた。




