第59話 受け継がれる血
銃声の残響が消えぬ廊下に、凪宗一郎の冷徹な声がスピーカー越しに響き渡った。
「――そこまでだ、国家の犬共。今の無様な『処置』の一部始終は、俺のプライベート・サーバーに高画質で保存させてもらった。ついでに、厚生労働省の利権汚職のリストと抱き合わせで、報道機関と国際微細医療機構へ送信する準備も整っている」
特命部隊の指揮官が、ぎりりと歯を噛み鳴らした。凪の言葉はハッタリではない。彼がこれまで握り潰してきた数々の「切り札」が、今この瞬間、少女の抹殺を阻む最強の楯となっていた。
「……作戦、中止。撤収だ」
指揮官は苦渋の決断を下し、部隊を率いて去っていった。彼らにとって、少女の命よりも恐ろしいのは、自分たちの組織が社会的に消滅することだった。
「あかりさん! 」
「あかりちゃん!!」
沙也加と美穂が駆け寄るが、あかりの意識は遠のくばかりだ。
幸いだったのは、ここが病院であること。そして、金沢から駆けつけた井口美也子らが、すでに入り口で特命部隊を押し退けていたことだ。
「すぐにオペ室へ! 私が執刀するわ! 凪先生、あなたはあかりのダイブ・スーツの生体情報をモニターして!」
井口の怒号に近い指示で、あかりは緊急手術室へと運び込まれた。
腹部を貫通した弾丸は、幸いにも主要な臓器を僅かに逸れていた。しかし、傷口から噴出した血液の量は、致死量に達しようとしていた。
「血が足りない……! 血液バンクもパンデミックの混乱で機能していないわ!」
看護師の悲鳴に、一人の女性が迷いなく腕を差し出した。
「私の血を使いなさい。……私の型は、あかりと同じ。それに……」
氷室礼だった。
彼女は処置台の横に座り、あかりをじっと見つめた。
「私の体には、二十年前、静香さんから受け継いだ『命』が流れている。……あかり、あなたにこれを託すわ。静香さんが私を救ったように、今度はあなたが、あの子を救いなさい」
そして、輸血が開始される。
管を通って、礼の体内からあかりの体内へと、赤く輝く「命」が移動していく。
それは単なる血液ではなかった。
二十年前、静香が礼の体内で消滅した際に遺した「意志」と、奇跡の「同調因子」の濃縮されたエッセンス。
意識の混濁するあかりの脳裏に、不思議な感覚が広がった。
それは、かつて一度も会ったことのないはずの、優しい少女の微笑み。
『大丈夫。……あなたは、一人じゃないから』
静香の声が、細胞の一つ一つに染み渡るように響いた。
数十分後。出血は止まり、あかりの顔に僅かな赤みが戻った。
井口は汗を拭い、凪に向かって力強く頷いた。
「処置は終わったわ。……でも、凪先生。あかりさんの身体はまだボロボロよ。普通なら絶対安静、ダイブなんて正気の沙汰じゃない」
「……わかっている。だが、あいつは止まらん。そして、俺もあいつを止める気はない」
凪は、眠るあかりの傍らに立ち、その手を握った。
あかりの脈動は、先ほどまでとは明らかに違っていた。礼から受け継いだ血が、彼女の中にある「同調因子」を劇的に活性化させている。
「礼……。すまないな」
「礼は不要です。……私は、あかりに私自身の『義務』を託したに過ぎませんから」
礼は立ち上がり、ダイブ・スーツを再び整えた。その瞳には、かつてない決意の炎が宿っている。
「先生。準備を。クイーンが、あの子の体内で最後の羽化を始めようとしています。……第十三班と、私で、決着をつけましょう」
礼の力強い言葉に、凪は冷徹な表情のままうなずいた。
静香から礼へ。礼からあかりへ。
二十年の時を経て繋がれた「命のバトン」が、今、パンデミックを終わらせるための唯一の希望へと変わろうとしていた。




