外伝 静謐なる献花
それは、最強と謳われる第1班との過酷な合同訓練が幕を閉じた直後のことだった。
トレーニングルームに漂う熱気がまだ冷めやらぬ中、あかりは意を決して、去りゆく氷室礼の背中に声をかけた。
「氷室さん。……もし、お時間が許すなら、私たちの部屋へ寄っていただけませんか?」
礼は足を止め、氷のような瞳で振り返った。しかし、あかりが続けた「静香さんのための場所を作ったんです」という言葉を聞いた瞬間、その瞳に微かな動揺が走るのを、あかりは見逃さなかった。
微細医療局第13班のオペレーションルーム。
普段は電子音と凪の毒舌が支配するこの場所に、第一班リーダーという「異物」が足を踏み入れたことで、独特の緊張感が漂っていた。
「……ここです」
あかりが案内したのは、部屋の北側の壁際。最新鋭のホログラム端末やサーバーラックに囲まれた無機質な空間の中で、そこだけが陽だまりのように温かな光を放っていた。
白い布が敷かれた小机。
中央には、二十年前のあの日から時が止まったような、穏やかな笑顔を浮かべる凪静香の遺影。
その傍らには、あかりたちが選んだ季節の花と、あの日地下室で見つけた「押し花」のレプリカが、大切に額装されて置かれていた。
「…………」
礼は、遺影の前に立つと、吸い込まれるようにその写真を見つめた。
沙也加、美穂、結衣、そしてあかりの四人は、数歩後ろで息を潜め、彼女の背中をそっと見守る。
いつも凛として、一分の隙もない礼の肩が、わずかに震えているように見えた。
「……しず姉。お久しぶりです」
礼の声は、これまで聞いたことのないほど柔らかく、そして幼い少女のような響きを帯びていた。彼女の視線は、遺影の隣にある押し花のレプリカに釘付けになっている。
「覚えていますか。この花を渡したかった日のことを。……私は、あなたに救われたこの命で、ようやくここまで来ました。あなたが守りたかったこの技術で、今度は私が誰かを守っています。……でも、まだ、足りない。あなたの隣に並べるような私には、なれていない」
礼は、そっと手袋を外し、震える指先で写真の縁に触れた。
二十年前、礼の体内に溶けて消えた静香。
礼が呼吸をするたび、礼の心臓が鼓動を打つたび、そこには常に静香の犠牲が同居していた。最強であり続けなければならないという彼女の呪縛は、この笑顔の少女への、あまりに重すぎる感謝の裏返しだったのだ。
「氷室さん……」
結衣が思わず一歩踏み出そうとしましたが、凪がデスクから視線を上げることなく、短く「放っておけ」と制した。
凪は相変わらず不機嫌そうにタブレットを操作していたが、その画面には、静香の生前のバイタルデータ……礼を救う直前の、最も輝いていた瞬間の記録が表示されていた。
「ふん。泣くなら他所で泣けと言いたいところだが、今日だけは電気代の無駄遣いを見逃してやる」
凪の不器用な言葉に、礼は小さく鼻を鳴らした。
涙を拭い、振り返った彼女の表情は、いつもの「最強のオペレーター」に戻っていたが、その瞳の奥には確かな温もりが宿っていた。
「……ありがとう、皆さん。静香さんも、きっと喜んでいるわ。こんな騒がしい子供たちに囲まれて、退屈しなくて済むと」
「……礼さん。私たち、もっと強くなります」
あかりが真っ直ぐに礼を見つめて言った。あえて名字ではなく下の名前で呼びかけた。
「静香さんが命を懸けて守った礼さんが、今、こうして私たちを導いてくれている。その意味を、私たちは無駄にしたくないんです」
礼は、あかりの瞳に静香の面影を重ねたのか、一瞬だけ優しく目を細めた。
「ええ。期待しているわ、あかり。……次に戦場で会う時は、私を追い越してみなさい。それが、静香さんへの何よりの手向けになるのだから」
礼がオペレーションルームを去ったあと、静香の遺影の前には、彼女が密かに置いていった一輪の白バラが残されていた。
無機質な機械音だけが響く部屋で、その花びらだけが、二十年の時を超えて繋がった「姉妹」の絆を静かに語っていた。
第十三班のメンバーは、その花の香りを胸に、来たるべき嵐の予感を感じながら、再び自らの装備を手に取るのだった。




