第55話 胎動
平穏という名の仮面が、無慈悲に剥がれ落ちる時が来た。
地下四階、第13班オペレーションルームに鳴り響く警報音は、かつての絶望を呼び覚ます不吉な旋律だった。
「患者搬送! 急げ、オペレーターは即座に換装だ!」
スピーカーから医療局スタッフの鋭い声が響く。
モニターに映し出されたのは、かつて精鋭揃いの第二班を壊滅に追い込み、あかりたちをも死の淵へと引きずり込んだ「見えない死神」――インビジブルの波形だった。
「ふん、ようやくお出ましだな。『透明』か。今のガキ共にゃ、丁度いい準備運動だ」
凪はベッドに横たわったまま、欠伸混じりにそう吐き捨てた。だが、その瞳には獲物を待つ獣のような冷徹な光が宿っている。
「……行きましょう。私たちは、あの日の私たちじゃない」
リーダー沙也加の号令に、あかりと美穂が力強く頷く。
ダイブ・カプセルが閉鎖され、三人の意識は加速する。
仮想戦場:血流の迷宮
「ダイブ・エントリー! 敵影、未確認。……来ます、インびじぶるです!」
結衣の声がインカムに響く。だが、今回の結衣はただ叫ぶだけではない。彼女の手元のコンソールでは、あかりたちの脳波と脈動をミリ秒単位で解析し、バルスに悟られる前の「迷い」を打ち消す逆位相の信号が送り込まれていた。
「……捉えたわ」
あかりが静かに呟く。視覚的には何も存在しない空間。しかし、あかりの放つ『ハミング・ソナー』は、空間の僅かな密度の揺らぎを、黄金色の等高線として脳内に描き出していた。
「左前方十五度、距離二〇〇。……美穂さん!」
「任せて! アイギス・リフレクション!」
美穂が盾を構える。透明な衝撃が盾を叩いた瞬間、美穂はそのエネルギーを吸収し、倍の指向性衝撃波として正面に叩き返した。
――ギィィィィィィン!
虚空から、バルスの苦悶に満ちた高周波が漏れる。姿を露わにする強敵。
「ターゲット、固定。……呼吸を、銃身に」
沙也加の『ジャッジメント』が火を吹いた。
かつての沙也加なら、見えない敵に焦り、弾丸を無駄に散らしていただろう。だが今の彼女は、桜井詩音から学んだ「殺気の制御」を体得していた。引き金を引くその一瞬まで、彼女の精神波形は凪のように静まり返っている。
――ドォォォォォン!
ナノマシン弾はインビジブルの核を、吸い込まれるように撃ち抜いた。
かつては数時間の死闘を強いた強敵が、わずか数分の連携で、塵となって消滅していく。
「オールクリア。……驚いた、一発も外さないなんて」
結衣の感嘆の声。三人のシンクロ率は、バルスが入り込む隙すら与えないほど完璧に調律されていた。
静寂の予兆
帰還した三人を迎えたのは、作戦室に漂う奇妙な達成感だった。
「……私たち、強くなったんですね」
美穂が自分の手を見つめる。かつては恐怖の象徴だったインビジブルを、これほどまでに圧倒できるとは。
「浮かれるな、マヌケ共」
凪の冷たい声が、熱気を一瞬で凍りつかせた。
「今のインびじぶる……。動きが単調すぎたとは思わなかったか?」
「え……?」
凪はメインモニターに、先ほどの戦闘データを引き出した。そこには、バルスが消滅する直前、不自然に「自身のデータを外部へ送信」していたログが残されていた。
「こいつは偵察機だ。お前たちの進化を、あいつら(バルバルス)は『学習』していやがる。……小康状態は、あいつらにとっても脱皮の時間だったってわけだ」
凪の指先が、東京湾沿岸の地図を指す。そこには、既存のどのカテゴリーにも属さない、巨大で禍々しい反応が急激に膨れ上がっていた。
「来るぞ。これまでの『野蛮人』が、お遊びに見えるほどの怪物がな」
作戦室の隅、静香の遺影の前に置かれた「押し花」が、警報の赤い光を受けて血のような色に染まっていた。




