第48話 再会、そして宿命
「――あとは電車で勝手に帰れ。切符代くらいは持っているだろう」
丘陵の麓、最寄り駅へと続く一本道の入り口で、凪はぶっきらぼうにそう告げた。
あかりたちが何かを言いかける前に、彼は踵を返し、夕闇に沈みゆく廃病院の方角へと歩き出す。その背中は、寄せ付けない拒絶の意志と、触れれば壊れてしまいそうな危うさを同時に孕んでいた。
四人が去り、完全な静寂が戻った廃墟のロビー。
凪は埃の舞う長椅子に腰を下ろし、音のない空間に身を浸していた。ここは、彼にとっての聖域であり、同時に自分を縛り付ける呪いの祭壇でもある。
その時、重い玄関の扉が、微かな、けれど確かな音を立てて開いた。
迷いのない、凛とした靴音が廊下に響く。規則正しく刻まれるそのリズムを、凪は20年前から知っていた。
「……また、一人で傷を舐めにきたの? 宗兄」
冷ややかで、透き通るような声。
暗がりの向こうから現れたのは、白いコートを完璧に着こなした一人の女性だった。
第一微細医療班のリーダー、氷室礼。
最強のオペレーターと謳われる彼女の瞳には、かつて静香に向けられていた無邪気な光はない。代わりに、数多の戦場を潜り抜けてきた者だけが持つ、鋭利な刃のような輝きが宿っていた。
「お前こそ。毎月欠かさず、よく飽きもせずに通い詰めるものだな。一班のリーダーともあれば、死ぬほど暇というわけでもなかろうに」
凪は顔を上げず、皮肉を投げ返す。礼は彼の隣に座ることもなく、ただ一定の距離を保ったまま、月明かりが差し込む廊下の奥を見つめた。
「暇などではありません。……ただ、私の体内に残る『彼女』の欠片が、ここへ導くのです。血が、騒ぐのですよ。感謝を忘れるなと、私に命じるために」
礼は、手袋を嵌めた指先で、自分の左胸のあたりをそっと押さえた。その仕草は冷淡でありながら、どこか慈しむような女性的な優雅さを湛えている。
「天宮さんたちを連れてきたそうですね。……残酷な人。あの子たちに、地獄の種明かしをするなんて」
「遅かれ早かれ知ることだ。自分たちの命が、どれほどの犠牲の上に立脚しているかをな。……それを知らずに振るうメスは、ただの暴力だ」
「……相変わらず、可愛げのない言葉。でも、そんな不器用な正義感も、しず姉から受け継いだものなのでしょうね」
礼がふっと、微かな、あまりに微かな微笑を漏らした。それは、氷の彫刻が月光に溶けるような、儚い美しさだった。
「宗兄。私は、あの日から一度も、自分が救われたことを後悔したことはありません。……この体は、しず姉が私に託してくださった、人類の希望そのもの。だからこそ、私は最強であり続けなければならない。彼女の選択が、間違いではなかったと証明するために」
礼は一歩、凪に近づき、その冷たい視線を彼に重ねた。
「あなたも、そうでしょう? 毒を吐き、嫌われ、孤独を選んでまで、十三班を……天宮さんたちを守り抜こうとしている。……私にはわかります。あなたの冷徹さは、誰よりも『生』を愛した人の、裏返しの祈りなのだということが」
「……買い被りだ」
凪は吐き捨て、ようやく立ち上がった。二人の影が、月の光に長く伸びて重なる。
20年前、運命を分け合った少年と少女。一人は最愛の姉を失い、一人は姉のように慕う少女の血肉と魂を得て生き永らえた。
「行くぞ。ここに長居をすれば、死人の声が聞こえるようになる。……仕事が待っている」
「ええ。……次に出会う時は、戦場ですね。凪先生」
礼は、静かに背を向けた。その歩みに迷いはない。彼女の背負う宿命は、あまりに重く、けれどあまりに誇り高い。
廃病院を去る二人の背後で、かつての凪病院は再び静寂へと帰っていった。
地下室のデスクに残された押し花は、今も変わらず、届かなかった感謝の言葉を胸に、暗闇の中で咲き続けている。
バルスとの戦いーー微細医療の歴史。
それは、一人の医師の狂気と執念に始まって、一人の少女の献身と自己犠牲によって完成し、今、二人の孤独な守護者によって、新たな命の物語へと紡がれていく。




