第47話 遺されたメッセージ
「……話はこれでおしまいだ。さっさと帰るぞ。こんな湿気臭い場所に長居しても、カビが脳に回るだけだ」
凪は、いつもの冷徹なトーンでそう言い捨てると、四人に背を向けて階段へと歩き出した。その足取りは、まるで過去を無理やり振り切ろうとするかのように速い。
「先生……」
あかりは、凪の背中を呼び止めることができなかった。
沙也加は唇を噛み締め、美穂は結衣に支えられながら、力なく立ち上がった。
23年前の狂気、そして20年前の「奇跡」という名の残酷な別れ。自分たちが手にしている技術の正体を知った今、空気さえも重く、冷たく感じられた。
だが、部屋を出ようとしたその時。あかりの視線の端に、部屋の隅に置かれた古いデスクが映った。
それは、凪宗治のものではない。背が低く、小さな学習机を改造したような、静香が使っていたと思われる研究用デスク。
「……あ」
あかりは吸い寄せられるように、そのデスクへと歩み寄った。
厚く積もった埃の中に、そこだけが真空から取り出されたかのように、不自然に鮮やかな色が残っていた。
埃を被ったデスクの上に、そこだけ埃を払われてそれは置かれていた。
「これ……」
あかりが震える指でそれを手に取ると、透明なラミネートで保護された、一輪の押し花だった。
20年の歳月が流れているはずなのに、その花びらは、まるで時が止まったかのように淡い紫色の輝きを保っている。
「押し花……? 誰が……」
沙也加たちが覗き込む。押し花の台紙の隅には、幼い、けれど一生懸命に書かれた文字が記されていた。
『しずかお姉ちゃんへ。 いつもたすけてくれてありがとう。 お花をあげます。 こんどいっしょに、お外にあそびにいこうね。 ひむろれい』
「……っ」
結衣が思わず口元を押さえた。
それは、20年前のあの日、氷室礼が静香に渡すはずだったものだ。
オペが成功し、静香が笑顔でポッドから出てきたら、手渡そうとしていた感謝の印。
だが、静香が戻ることはなかった。
礼が目を覚ました時、そこにはもう、彼女を抱きしめてくれる大好きな「お姉ちゃん」はいなかったのだ。
デスクの横には、凪の手作業によるものだろうか、花を湿気から守るための防湿剤が何度も交換された跡があった。
毒舌で、冷酷で、人間味がないと言われた男が、20年もの間、この「届かなかった贈り物」を、姉の魂が宿る場所として守り続けてきたのだ。
「……あかり、何をしている。置いていくぞ」
階段の途中で足を止めた凪の声が響く。
あかりは、押し花をそっとデスクに戻した。その隣には、凪が今朝置いたのだろうか、一滴の雫のような跡が埃の上に残っていた。
「……行きましょう」
沙也加に促され、あかりは涙を拭い、一礼して部屋を後にした。
出口へ向かう廊下で、あかりは確信した。
凪宗一郎という男は、あの日からずっと、12歳の少年のまま、姉との約束を守り続けているのだと。
「生きて帰る」という、最高に難解なオペを、自分たちに強いることで。
地下室の扉が閉まる音が、弔鐘のように静かに響いた。
埃を被った押し花だけが、暗闇の中で、二人の少女が交わした永遠の約束を語り続けていた。




