第44話 被験体・静香
「……親父が行き着いた結論は、残酷なものだった」
凪は、色褪せた研究データのファイルをめくった。そこには、数千人分の血液データと、たった一つの項目にだけ赤丸がつけられた解析結果が記されている。
「ミクロ化と等身大への復元。その際、肉体の崩壊を繋ぎ止めるには、特定の生体エネルギーに対する『同調因子』が不可欠だったんだ。細胞の再構成を安定させるための、いわば『錨』のようなものだ」
あかりが自分の手を見つめる。第13班のオペレーターとして、自分たちが当然のように持っている資質。
「その因子は、10代半ばから20代のごく一部の女性にしか現れない。あかり、沙也加、美穂。お前たちがオペレーターをしていられるのは、その稀少な才能があったからだ。……だが、結衣。お前にはそれがない。だからお前は、こちら側のコンソールに座っている。……わかるか? 適性がなければ、ダイブした瞬間に肉体は霧散する」
結衣は、静かに頷いた。自分と彼女たちの間にある、決して越えられない決定的な境界線。
「23年前。世界で最初にその因子が確認されたのが、俺の姉……凪静香だった。当時、彼女は14歳。……親父の絶望と、救えなかった患者たちの末路を一番近くで見ていた少女だ」
凪は、壁に投影された古い映像を再生した。
粗いノイズの向こう側に、長い髪を後ろで束ねた、凛とした瞳の少女が映し出される。あかりにどこか似た、生命力に溢れる笑顔。
『お父さん。私がやるわ。この力で、お父さんが救いたかった人たちを助けられるなら』
映像の中の静香は、まだ未完成で、巨大な高圧釜のような初期型ダイブ・ポッドを前にして、迷いなく言い放った。
「そこから、地獄が始まった」
凪の拳が、震えながら机を叩いた。
「当時の技術は、今の比じゃない。ミクロ化のシステムは荒削りで、復元のたびに姉貴の細胞は悲鳴を上げた。一回のダイブごとに、彼女の視力は落ち、味覚は消え、内臓は熱に焼かれたように衰弱していった。……親父は、医者に戻りたかったはずだ。だが、姉貴を被験体にすることで、彼は『神』になろうとする狂った科学者へと成り果てていった」
映像の中の静香が、次第に痩せ細っていくのがわかる。頬はこけ、肌は透き通るように白くなり、ダイブ・ポッドから出てくるたびに、彼女は自分の足で立つことさえできなくなっていった。
「当時10歳程度の俺は、ただ見てることしかできなかった。……毎日、姉貴のダイブ・スーツのヘルメットから、血の混じった汗を拭うことしか……。姉貴は笑っていたよ。『大丈夫、宗ちゃん。これでまた一人、救えるんだから』ってな」
あかりたちは言葉を失った。自分たちが享受しているこの技術が、一人の少女の、文字通り削り取られた命の上に成立しているという事実に。
「……姉貴の心身が限界を迎えようとしていた時。運命の歯車が、最悪の形で回り始めた。20年前の夏。病院に、一人の小さな女の子が運ばれてきたんだ」
凪の視線が、部屋の片隅に置かれた、色褪せた向日葵の造花に向けられた。




