第36話 NBRC技術局の受難
「――拒否する。そう言ったはずだぞ、凪君」
ホログラム越しに吠えたのは、国立バルス研究センター(NBRC)の技術局長、鷹司。バルスに対抗する技術開発を支えるエリート技術者たちの頂点に立つ男だ。
「対甲擲弾のプロトタイプはまだ研究段階だ。ナノ粒子の充填率、炸薬の安定性、そしてジャッジメントへの負荷……どれをとっても実戦投入など正気の沙汰じゃない。完成には最低でも半年はかかる」
凪が技術局に要求した対甲擲弾。
文字通りに装甲貫徹能力を持つ、人体というデリケートな世界で使用できる限界ギリギリの強力な装備だ。今回出現した新型バルスと戦うにこそ必要な装備なのだが、鷹司の言うとおりにまだ研究段階なのだ。だからこそ、彼は拒否したのだが……
「半年? あんたの頭は、冬眠中のクマより回転が遅いらしいな」
凪はベッドに寝そべったまま、手元の羊羹を無造作に放り投げた。羊羹は正確にゴミ箱へと吸い込まれる。
「患者の肺は今この瞬間も黒い結晶に食い破られている。三日だ。三日以内に、あの要塞を消し飛ばす『牙』を用意しろ」
「無茶を言うな! 物理的に不可能だ!」
凪の要求に鷹司は机を叩きながら声を荒げた。鷹司からすれば、まだ試作品すら出来ていない装備を三日で仕上げて実戦化するなど無茶振りもいいところだった。
「……そうか。なら、物理的な話をしよう」
凪が指先で空中に円を描くと、鷹司の背後のモニターが強制的に切り替わった。
そこに表示されたのは、複雑な暗号が並ぶ海外口座の送金履歴と、ある高級クラブでの鷹司と微細医療用装備を製造している大手工業メーカーの重役、厚労省の役人たちの密会写真だった。当然のように傍らに美女たちを侍らせている。
「これは……! 貴様、どこで……!?」
鷹司はそのまま言葉を詰まらせた。
「厚生労働省の利権派閥と、次世代デバイスの独占供給に関する密約。……ほう、随分と景気のいい数字が並んでいるじゃないか、局長。これが今すぐマスコミの各社へ送信されたら、あんたの『物理的な立場』はどうなるかな?」
鷹司の顔から血の気が引いていく。凪の表情は変わらない。ただ、冷徹な捕食者の瞳がホログラム越しに獲物を射抜いていた。
「あんたらが私腹を肥やすために研究費を削ったせいで、今日、うちのガキ共が負けた。……そのツケを払え。三日後の同時刻までに、擲弾を形にしろ。できなければ、あんたは明日の朝刊の主役だ」
「……っ。凪……貴様、いつか地獄に落ちるぞ……」
「地獄だぁ? そんなの毎日あんたらの足の下にある地獄(地下四階)へ落ちてるな。……切るぞ」
通信が途絶え、静寂が戻ったオペレーションルーム。結衣は青ざめた顔で震えていた。
「せ、先生……今の、本当に送信するつもりだったんですか?」
「さあな。だが、奴はやる。自分の保身がかかった時の役人の仕事効率は、光より速い」
そう言って凪は不敵に笑った。
翌日から、技術局は阿鼻叫喚の地獄へと化した。
凪はオペレーションルームから一歩も動かず、技術局から送られてくる設計図をリアルタイムで添削していく。
「この配合比率じゃ、撃った瞬間に患者の血管が蒸発する。再計算しろ、無能」
「回路のバイパスが甘い。コンマ一ミリ単位で詰めろ。指が動かないならペンチで固定してやろうか?」
罵倒に近い指示が、24時間絶え間なく技術局へ飛ぶ。
一方、その様子を離れた場所で見つめていたあかりたちは、凪の「別の姿」を目にすることになる。
深夜二時。
モニターの明かりだけが灯る部屋で、凪は技術局から無理やり取り寄せたナノマシンの原液を、自らマイクロインジェクターで調整していた。
「先生……それ、ご自分で?」
あかりの問いに、凪は振り返りもしない。
「あいつら(技術局)に任せると、最後の最後で『安全マージン』という名の妥協を混ぜやがる。……沙也加が撃つんだ。一発の誤差で死なせるわけにはいかないだろう」
凪の指先は、ミリ単位以下の精度で薬液を調合していく。その背中には、毒舌の裏に隠された、現場を預かる医師としての凄まじい執念が宿っていた。
「……あかり、美穂、沙也加。お前たちは寝ておけ。三日後、お前たちが泥のように眠い眼をしていたら、その瞬間にクビにするからな」
その言葉に従い、三人は部屋を後にした。
天才が文字通り血を削って作り上げる、五発の希望。
「……負けられない。絶対に」
そう呟いた沙也加は、誰もいない訓練シミュレーターに向かい、新装備の反動を制御するためのイメージトレーニングを開始した。
暗い廊下に、ジャッジメントの起動音だけが静かに響いていた。




