外伝:戦場のバレンタイン
今日は2月14日なので、本編の時系列から外れた外伝になります。
2月14日。
地上では雪が舞い、恋人たちが甘い香りに包まれる中、国立バルス研究センター附属病院の地下4階にある第13班オペレーションルームは……相変わらず、無機質な機械音と「不機嫌」に支配されていた。
「……おい。お前ら、さっきから何の騒ぎだ。演算クロックが下がるから、その浮ついた空気ごと排気ダクトに吸い込まれろ」
メインモニターの前に陣取る凪宗一郎は、一度も振り返ることなく吐き捨てた。
その背後では、あかり、沙也加、美穂のオペレーター3人組、そして看護師の結衣が、作戦会議さながらの緊迫感で円陣を組んでいた。
「いい、みんな。ターゲットは極めて警戒心が強く、かつ『非論理的な贈り物』を最も嫌う難敵よ。普通に渡しても『資源の無駄だ』って言われて終わるわ」
沙也加がタブレットを掲げる。そこには凪の糖分摂取パターンと、過去の「甘味に対する毒舌」のログが解析されていた。
「でも、先生、最近ずっと徹夜続きで……。糖分補給は必要だと思うんです。これは、医療従事者としての……そう、救済です!」
あかりが、可愛らしくラッピングされた箱を両手で握りしめる。中身は、四人で仕事の合間に(凪にバレないよう細心の注意を払って)選び抜いた、老舗和菓子店の羊羹……ではなく、最高級のベルギー産ビターチョコレートだ。
「大丈夫よ、あかりちゃん。美穂さんが用意してくれた『アイギス(防壁)』がありますから」
結衣が微笑みながら、トレイに乗った湯気の立つ紅茶を指し示す。
「ええ。先生の好きな、少し渋めのダージリンを淹れました。これと一緒なら、甘いものが苦手な先生でも、きっと……」
美穂がふわりと微笑む。彼女の用意した紅茶は、あらゆる拒絶を溶かす「魔法の溶剤」だ。
「……よし。第13班、バレンタイン・オペレーション、開始!」
沙也加の号令とともに、四人は一斉に凪のデスクへと肉薄した。
「先生! お疲れ様です!」
あかりが勢いよく箱を差し出した。凪は不機嫌そうに眉を寄せ、ようやく椅子を回転させる。
「……なんだ、それは。爆弾か?」
「違います! チョコレートです! 今日はバレンタインですから、日頃の感謝を込めて、私たち四人から……その、差し入れです!」
あかりの言葉に、凪は鼻で笑った。
「バレンタイン? 聖ウァレンティヌスの殉教を祝う行事が、なぜ極東の地下室でカカオ豆の加工品を贈呈する非効率なイベントに変換される。論理的説明を求む」
「理屈はいいんです! 先生、顔色が悪いですよ。これは『脳内報酬系を刺激し、セロトニンの分泌を促すための生体用補助燃料』です! さあ、食べてください!」
沙也加が畳みかけるように理屈を被せ、美穂が絶妙なタイミングで紅茶をデスクに置く。
「先生、お茶も入りましたよ。少し落ち着いて休憩しませんか?」
「……フン。お前たちの『お節介』は、バルスより侵食スピードが速いな」
凪は毒づきながらも、結衣がそっと箱から取り出した一粒のチョコレートを、ため息混じりに口へと運んだ。
一瞬、凪の眉間の皺が、わずかに解けた。
「……カカオの含有率が高いな。……悪くない。……だが、これで俺の機嫌が取れると思うなら、計算をやり直してこい」
そう言いながらも、凪の手は二粒目へと伸びていた。
「よかった……! 先生、美味しいですか?」
あかりが顔を輝かせて覗き込むと、凪は再びモニターに向き直り、キーボードを叩き始めた。
「……味覚の電気信号に過ぎん。それよりあかり、お前たちの分のチョコは無いのか。脳を動かさないオペレーターは、ただの肉塊だぞ」
その言葉に、四人は顔を見合わせた。
「えへへ、実は……私たちも、自分たち用に奮発しちゃったんです。美穂さん、あっちでお茶にしましょう!」
「あー、でも先生が言った悪くないって言葉、録音しとけばよかったですね」
「あかり、今日は残業するか……?」
地下四階に、いつものような、けれど今日だけは少しだけ甘い香りが混じった笑い声が響く。
モニターの隅、凪は誰にも見えない位置で、一粒のチョコを大切そうに噛みしめていた。その表情は、どんな難オペを成功させた時よりも、穏やかで「人間らしい」ものだった。
地上で降る雪は冷たいが、地下四階のバレンタインは、救済という名の温もりに満ちていた。




