第10話:絶対零度の残像
第13班発足から早くも2週間が経とうとしていたある日。
オペレーションルームでは、沙也加による熱の入った「座学講習」が行われていた。
「いい、あかりさん。微細医療において最も恐ろしいのは、バルスそのものじゃないわ。『同調乖離』よ」
沙也加がホログラム上に、複雑な波形グラフを映し出す。
ダイブ中の精神状態: 恐怖や焦燥は、ダイブ・スーツと脳のシンクロ率を乱す。
物理的フィードバック: 体内でのダメージは脳が「自分の怪我」と誤認する。乖離が激しすぎると、最悪の場合、精神崩壊を招く。
黄金律: 「冷徹な計算」と「熱い救命意志」の完璧なバランス。
「私たちの命は、この細い波形の上に成り立っているの。分かった?」
「は、はい! つまり……熱くなりすぎても、冷めすぎてもダメってことですね」
あかりが必死にメモを取っていると、重い防音扉が蹴破るようにして開いた。
「あー、クソ。どいつもこいつも、金と効率の話ばかりだ。BDが増えたら金なんぞなんの価値も無くなるってんだ」
不機嫌そうに毒を吐きながら戻ってきたのは、ドクター・ミーティングを終えた凪だった。
「お帰りなさい、先生。会議、お疲れ様でした」
「疲れた。結衣、すまんが糖分をくれ。……おい、あかり」
凪は椅子に深く沈み込むと、あかりを指差した。
「今からメインモニターを第1班の回線に繋ぐ。……最強の仕事を見ておけ」
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メインモニターに映し出されたのは、第13班のそれとは比較にならないほど整然とした、第1微細医療班のオペレーションルームだった。
そこに立つのは、あかりが訓練学校の卒業式で仰ぎ見た「生ける伝説」、氷室礼。
「第1班、ミクロ・ダイブ。ターゲット、大動脈弓のバルス・ゲートを封鎖する」
礼の声は、一切の感情を削ぎ落とした氷のつぶてのようだった。第1班の担当医もよほど礼を信頼しているのか、メンバーへの指示を彼女に任せている様子だ。
モニターの中で、専用のダイブ・スーツ『スノー・ホワイト』を着た礼が、濁流のような血流の中を踊るように進む。
無駄のない機動:敵の攻撃をミリ単位で回避し、最短ルートを突き進む。
一撃必殺:彼女の専用装備、氷結分子剣『アブソリュート』が閃くたび、巨大なバルス・クラスターが文字通り「凍結粉砕」されていく。
圧倒的静寂:通信機から聞こえるのは、彼女の規則正しく、微塵の乱れもない呼吸音だけ。
「……速い。速すぎる……」
あかりは息を呑んだ。第13班の初陣が「泥臭い死闘」だったとしたら、これはもはや「神業(芸術)」だ。
礼は群がる数百のバルスを単独で蹂躙し、わずか180秒でオペレーションを完遂。患者のバイタルは、ダイブ前よりも安定しているようにさえ見えた。
「……これが、第1班。そして、氷室礼よ」
沙也加の声に、いつもの快活さはない。尊敬と、そして遠すぎる背中への羨望が混じっていた。
「彼女は、感情というノイズを完全に遮断している。だからシンクロ率は常に95%を維持できる。……人間業じゃないわ」
凪は、空になった羊羹の袋を丸めてゴミ箱へ放り投げた。
「どうだ、あかり。あんなサイボーグみたいな真似、お前にできるか?」
あかりは、モニターの中で冷たい瞳をしたまま帰還する礼を見つめ、自分の震える拳をぎゅっと握りしめた。
圧倒的な格差。けれど、その恐怖以上に、あかりの胸を焦がしたのは、自分の中に芽生えた「負けたくない」という、無謀なまでの熱量だった。
「……今は、無理です。でも」
あかりは、凪を真っ直ぐに見返した。
「私は、私のやり方で、あの背中に追いついてみせます。羊羹を食べて、もっと脳を働かせて!」
「……ふん。新人の分際で、言うようになったな」
凪の口角が、ほんのわずかに上がったのを、あかりは見逃さなかった。
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■ 氷室 礼 専用装備
1. 超高機動型ダイブ・スーツ:【スノー・ホワイト】
通常のオペレーターが着用するダイブ・スーツはグレーを基調とする中、眩いまでの純白に塗装されたワンオフ・モデル。
* 特殊機能:熱排気ゼロ(ステルス・サーマル)
通常、ダイブ中のオペレーターは極度の脳負荷により高熱を発しますが、このスーツは発生した熱を即座に「疑似冷却エネルギー」へと変換・再利用します。バルスの熱源感知に一切引っかからず、標的が気づいた時には背後に立っているという「幽霊機動」を可能にします。
* 深層シンクロ・インターフェース
同調因子が極めて高い礼のために、脳波をダイレクトにスーツの駆動系にリンクさせています。思考速度と機動が完全に一致するため、物理的な「予備動作」が一切存在しません。
2. 特殊氷結分子剣:【アブソリュート(Absolute)】
あかりの『ハミングバード』が「高周波振動」による破壊なら、この剣は真逆の「極低温停止」をコンセプトにしています。
* 絶対零度事象の局所展開
刃先が接触した瞬間に、バルスの構成分子の運動を強制停止させます。バルスの硬い外殻を「砕く」のではなく、結合力を失わせて「砂のように崩壊」させます。
* 論理冷却振動
刀身から放たれる特殊な波動は、周囲の熱を奪い去ります。これにより、バルスの活動エネルギーそのものを枯渇させ、再生能力を無効化します。
■ なぜ氷室 礼だけが「ワンオフ装備」を与えられているのか
これには、国立バルス研究センターによる「最強オペレーターの神格化」という政治的・戦略的理由があります。
理由①:同調因子の「特異点」
礼の同調因子は、数値上「測定不能」に近い領域にあります。量産型の装備では彼女の脳が発する強大な出力を受け止めきれず、ポッドや回路が物理的に焼き切れてしまうため、彼女専用の「受け皿」を用意せざるを得なかったのです。
理由②:バルス対策の「広告塔」
国立バルス研究センターにとって、氷室礼は「人類はバルスに完全勝利できる」という象徴でなければなりません。他を寄せ付けない圧倒的な美しさと強さを強調するため、視認性の高い「純白の装備」を与え、士気高揚(と予算獲得)のためのアイコンとして利用されています。
理由③:実験機としての役割
「スノー・ホワイト」と「アブソリュート」は、次世代オペレーター装備の試作機でもあります。しかし、その要求スペックがあまりに高すぎて、礼以外のオペレーターが着用すると即座に精神崩壊を起こすリスクがあるため、事実上の「礼専用機」として封印されています。
凪の独り言
「……あの白いスーツか。見た目は綺麗だが、中身はただの『拷問器具』だ。あいつの高い同調因子を無理やり引き出すために、神経を針で刺し続けるような負荷がかかる。……それを顔に出さずに着こなすんだから、あの女も大概バケモノだよ」




