プロローグ:境界線上の処方箋
「――心拍数上昇、血圧140の90。宿主の免疫系が活性化し始めてる。凪先生、このままじゃ彼女たちが『異物』として食われちゃう!」
第13微細医療班、オペレーションルーム。
看護師、佐藤結衣の切迫した声が、電子音が鳴り響く室内に響いた。
部屋の中央、ホログラフィック・アナトミーが赤く点滅している。投影されているのは、バルス罹患者である12歳の少女の体内マップだ。その毛細血管の奥深く、神経節の分岐点に、三つの小さな光点が張り付いている。
「……うるさいよ、結衣。計算は終わってる」
指揮席に座るコマンドドクターの凪宗一郎は、寝癖のついた頭をボリボリと掻きながら、片手で練り羊羹を口に放り込んだ。
彼の瞳には、数百の数値が滝のように流れるホログラムウィンドウが映り込んでいる。
「あかり、そこから左に30マイクロメートルだ。ターゲットの『バルバロ・クラスター』が神経細胞を盾にしている。強引に突っ込めば、患者の後遺症は免れないぞ」
『わかってるって、凪先生! ……でも、この子の“声”が聞こえるんだ。痛い、助けてって!』
通信機から返ってきたのは、新人オペレーター・天宮あかりの、汗の滴るような荒い息遣いだった。
この少女の命を救えなければ、彼女を待っているのは死ではない。ある意味、死よりも残酷な末路を迎えることになる。
西暦20XX年。人類を襲ったのは、肉眼では見えないミクロサイズの侵略者だった。
細菌、ウィルス、ナノマシンでもない未知の極小物体。ラテン語で野蛮、異邦人を意味する「バルバルス」略してバルスと名付けられたその侵略者を一度体内へ侵入を許せば、既存医学のあらゆる薬品もメスも届かない。そして体内の深淵で、彼らは宿主を内側から食い破り、やがて「バルバルスデッド(BD)」と呼ばれる凶暴な化け物へと変えてしまう。
この脅威に対し、人類は物体を分子レベルまで縮小する「ミクロ・ダイブ技術」を確立。ミクロ・ダイブ技術により縮小した人間と装備を体内へ送り込んで内部からバルバルスを駆除する微細治療が開発された。
この微細医療に携わるのはバルス医療専門の医師に指揮されるオペレーターと呼ばれる特別な適性を持ち訓練を受けた10代後半〜20代の女性たちだ。
『沙也加さん、美穂さん! 私が突っ込むから、道を空けて!』
『……了解。あかり、無茶は承知の上よ。マニュアル外の挙動は私がカバーするわ!』
第13班のオペレートリーダー早乙女沙也加が、長距離ハッキングライフル「ジャッジメント」のトリガーを引く。論理弾がバルスの防壁プログラムを一時的にフリーズさせ、電子の火花が散った。
『あらあら、元気ねぇ。じゃあ、お姉さんがちょっとお掃除しておきましょうか』
如月美穂が、巨大な盾「アイギス」を前面に展開する。次の瞬間、盾の中央部から指向性の超音波が放たれ、群がるバルスの雑兵たちを霧散させた。
「……代謝限界まで、あと120秒。0.02%の細い道だ。行け、あかり」
凪が羊羹を飲み込み、エンターキーを叩く。
『ハミングバード、最大出力! ――消えなさい、バルスッ!』
あかりが振るう高周波ブレードが、宿主の神経を傷つける寸前、バルスの中枢核だけを正確に貫いた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、ホログラムの赤色が鮮やかな緑へと上書きされていく。
「オペレーション完遂。……全員、体外帰還だ」
凪が椅子に深く背もたれを預けると、オペレーションルームには安堵の溜息と、モニターの冷却ファンの音だけが残った。
これが第13微細医療班。
天才的な変人に率いられ、後に最高のリーダー、最強のオペレーター、最恐の盾となっていく3人のオペレーターを擁する、この病院の「切り札」たちの日常だ。
「……あー、結衣。終わったから寝る。次の患者が来たら、羊羹と一緒に起こしてくれ」
凪はそう言うとオペレーションルームの片隅に置いた簡易ベッドで早々に横になってしまった。
人体の小宇宙を舞台にした、極小の戦士たちの戦争は、まだ始まったばかりだった。




