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2.変化した日常

ダンジョンが現れてから、気づけば数年が経っていた。


正確に言えば、「経ってしまった」という感覚の方が近い。

最初の混乱や騒ぎは、思っていたよりも早く日常に溶け込んだ。


ニュースは今もダンジョンを追い続けている。侵略論や陰謀論は特番の定番になり、街頭インタビューでは探索者が当たり前のようにマイクを向けられている。

誰もが慣れたふりをしているだけで、慣れきったわけじゃない。だが、驚き続けるには生活が忙しすぎた。それでも、生活は続く。


「……まあ、そうなるよな」


久遠は小さく呟いた。

変わったのは世界だが、変わらない部分の方が圧倒的に多い。


初期の探索者の多くは、元アクイムプレイヤーだった。

だが今では、第二世代と呼ばれる者たちも珍しくない。アクイムを知らないままゲートをくぐり、この世界で初めてスキルを得た人間たちだ。


ダンジョンは、誰にでも門戸を開く。

足を踏み入れた者に、一定の確率で“何か”を与える。レベルを上げ、同じ行動を繰り返せば、それに紐づいたスキルを覚えることがある。少なくとも現時点では、それが最も現実的な説明とされていた。


ただし、アクイムとは決定的に違う点がある。

ゲームにはスキルポイントがあった。使うか、使わないか。欲しいスキルがあれば、条件を満たして選び取ることができた。


現実に現れたダンジョンには、それがない。

行動するしかない。積み上げるしかない。選べるようでいて、選べない。


「……分かりやすく不親切だな」


第二世代にとっては、それが当たり前になっている。


第一世代と第二世代の間には、はっきりとした差がある。

初期ステータスの素の差もあるが、それ以上に大きい違いがあった。


第一世代は、誰もが一つだけ、最初からスキルを持っている。

ゲーム内で最も育っていたものがそのまま表に出た者もいれば、本人にしか噛み合わないような固有のものを得ている者もいる。共通しているのは、そのスキルが後から覚えるものとは明らかに質が違う、という点だった。


シオンの場合、それが鑑定だった。


この世界で鑑定は貴重だ。

第一、第二世代でも、才能と訓練次第で身につける者はいるが、多くは表面的で、レベルを上げるまでは本人の知識を超えない。シオンの鑑定は違う。本人が知らない情報にまで、最初から自然と手が届く。


便利ではある。

同時に、厄介でもあった。


(見なくていいところまで見える、ってのは……なかなか性格悪い)


もちろん声には出さない。

見えなくていいものまで見えてしまう。隠したいものがある相手に対して不用意に踏み込めば、どういう反応が返ってくるかは分からない。便利なようで、不便なスキルだ。


だから久遠は、鑑定を公言しない。

第一世代であること自体は、今となっては隠しようがない。ならば、見せる情報を絞る。


周囲に話しているプレイヤースキルは『索敵』。

嘘ではない。索敵は鑑定の次に高い技能で、探索者としての立ち回りにも無理がない。プレイヤースキルはユニークスキルと違い、同じものを持つ人間がいても不自然ではない。余計な注目を集める理由はなかった。


ゲートは今も各地に存在している。

立ち入り禁止のフェンス。その奥に、門の形をした空間がある。装飾のない枠の中に濃い靄が漂い、裏へ回っても同じ作りがそこに立っている。扉はない。奥行きもない。それでも、くぐれば確かに向こう側へ繋がる。


不自然さが消えたわけじゃない。

人間の側が慣れただけだ。


駅前のガラスに映った自分の姿を、久遠は何とはなしに見ていた。

外見は変わらない。少なくとも、そう見える。


実年齢は三十代も半ばだ。それなのに、映る顔はどう見ても二十代のままだ。肌に張りがあり、疲れが表に出にくい。白髪も、しわも見当たらない。身長はいつの間にか百八十二センチになっていた。


「……まあ、今さらだな」


覚醒者にとって、それは珍しいことではない。

ダンジョンに潜り、魔力に触れ、身体が変わる。老化が遅くなり、回復が早くなる。一定以上のレベルに達した者の多くが、実年齢より若く見えるようになる。


逆に、覚醒していない人間は分かりやすい。

傷が治りにくく、疲労も抜けにくい。年相応に身体が衰えていく。誰も口にはしないが、街を歩けば一目で分かった。


久遠の視線は、自然と周囲を拾っていた。

動きが軽く、姿勢のいい学生。人混みの中でも無駄のない歩き方をするサラリーマン。何気ない顔をしているのに、どこか空気の違う男女。

そういう人間が、今は街の中に当たり前のように混じっている。

あれらは皆、探索者だ。


探索者は、今や職業として成立している。

政府認可の組織、民間ギルド、企業が抱える専属チーム。形式はいくつもある。潜って、回収して、討伐して。それが仕事として回っている。


久遠は、そのどれにも属していなかった。


個人契約で単発の依頼を受ける。必要な時にだけ潜る。

やっていることは、かつてのアクイムと変わらない。ただ、相手がNPCから現実の人間に変わっただけだ。


「……こっちの方が楽だ」


息が詰まらない。

それだけで、十分だった。


改札を抜け、ホームに滑り込んできた電車に乗り込む。

つり革を掴みながら、久遠は無意識に視界の端を意識した。


名前:シオン

職業:スカウト

レベル:34


【★鑑定】【索敵】【アイテムストレージ(使用制限)】


電車が揺れる。半透明のウィンドウ越しに見えた窓の外には、いつもと変わらない街並みが流れていく。

そのすぐ傍に、向こう側へ続く門があることを、誰も意識しないふりをして生きている。


世界は変わった。

だが、人は驚くほど器用に、元の生活を続けている。


――そして、その裏で。


確実に何かが進んでいる。

久遠には、そんな予感だけが、ずっと消えずに残っていた。





東京ダンジョンへ向かう道は、もうすっかり日常になっていた。


電車に揺られながら、久遠は窓の外を眺める。再開発された街並みと、手が入っていない区域がまだらに混ざり合い、落ち着かない景色を作っている。ダンジョンが現れてから、都市は確実に形を変えた。露骨ではないが、意図を持って組み替えられているのが分かる。


(……よくここまで揃えたもんだ)


改札を抜けると、人の流れの質が変わった。


探索者向けの装備を身につけた者。作業着姿の回収業者。ギルド職員の腕章を付けた人間。観光地のように人は多いが、空気はどこか張り詰めている。東京ダンジョン周辺は、すでに一つの区画として成立していた。


探索者ギルド。装備のショップ。修理工房。換金所。簡易診療所。

門を中心に、必要なものが一通り揃っている。


初期の混沌は、ほとんど残っていない。


装飾のない枠は変わらないが、周囲は高い囲いで隔離され、入場管理が行われている。時間帯ごとの区切り、同時入場数の制限、簡易的な身分確認。完全に制御できているわけではないが、少なくとも「放置」ではなくなっていた。


受付の前で、腕章を付けた職員が顔を上げた。


「シオンさん、ですね。帰還予定は?」

「未定。昼には切り上げます」

「了解です。無理はしないでください」


形式的なやり取り。それで十分だった。


門を前にしても、もう立ち止まる者はいない。


久遠は列に並び、順番を待つ。

探索者の出入りは日常になり、誰もが淡々としている。門を前にしても、以前のような緊張や高揚はない。ただ、仕事場へ向かう感覚に近い。


一歩、踏み込む。


空気が切り替わる。

重力の向きは変わらないのに、世界の手触りだけが変わる。足裏に伝わる感触が、現実よりもはっきりしている。呼吸が自然と深くなり、視界が冴えていく。


久遠は、静かに息を吐いた。


(やっぱり、こっちの方が楽だ)


ここに入ると、身体が正しく動く。


視界の端に、半透明の表示が固定される。外では“意識すれば見える”程度だったものが、ダンジョンの中でははっきりと存在感を持つ。


名前:シオン(久遠 玲司)

種族:人間

職業:スカウト

レベル:34


STR:42

DEX:78

AGI:91

VIT:38

INT:55

LUK:64


スキル:【★鑑定 Lv.5】【索敵 Lv.4】【隠密 Lv.2】【奇襲 Lv.2】【危機察知 Lv.3】【罠感知 Lv.3】【軽業 Lv.3】【水魔術 Lv.1】【火魔術 Lv.2】【アイテムストレージ】


数字は、もう見慣れている。

前線に立つには少し足りないが、無理をしなければ十分すぎる。久遠はこの立ち位置を崩すつもりはなかった。


感覚が研ぎ澄まされる。

距離、速度、音の反射。意識する前に、情報が整理されて流れ込んでくる。外の世界では、ここまで明確にはならない。


ダンジョン内部は広い。

通路は規則的に伸び、時折、開けた空間が現れる。壁の質感、光源の位置、音の響き方。そのすべてが、妙に整っている。雑さがなく、人の手が入っていないはずなのに、管理されているような感覚があった。


現れるのは、モンスターと呼ばれる存在だ。


浅い層では、種類も限られる。

角を曲がった先で、久遠は足を止めるほどでもない気配を拾った。


ゴブリン。

小柄な体格、粗雑な武器。こちらに気づくより先に、動きの癖が見えている。


(そっちは通り道だな)


久遠は歩調を緩めない。

間合いに入った瞬間、視線が一度だけ走る。数は三。配置は悪くないが、連携は取れていない。


一歩、踏み込む。


刃が横に走った。振り抜いたというより、通しただけに近い。


一体目が倒れ、二体目が反応する前に距離が詰まる。

骨の軽い感触。手応えは薄い。三体目は動く前に崩れた。


「邪魔だ」


ゴブリンの身体は、血を撒き散らすこともなく、表面からひび割れるように崩れた。輪郭が細かな面に分解され、次の瞬間には形を保てなくなる。ポリゴンが剥がれるように、実体のない欠片となって空中でほどけ、やがて消える。


あとには、地面に落ちた小さな袋と、くすんだ魔石だけが残った。


久遠は一瞥し、拾い上げてストレージに放り込む。

動作は止まらない。


姿は現実離れしているが、動きは理解できる。攻撃の前兆、間合い、踏み込みの癖。考えるより先に、身体が反応する。覚えているというより、かつてのアクイムでの動きを、そのままなぞっている感覚に近い。


久遠は無駄に戦わない。

最前線と呼ばれる階層では、攻略を目的とした集団が動いている。効率、討伐数、記録。そういったものを重視する空気がある。


ソロで活動をしていると、他の探索者に声をかけられることもある。


「一緒にどうだ」

「ソロじゃ効率悪いぞ」


けれど久遠は首を振る。

一人で動く方が楽だ。誰かの判断を待つ必要もなく、誰かの背中を気にする必要もない。何より、久遠が向かいたい場所は、彼らとは少し違っていた。


(攻略したいわけじゃない)


強さを誇りたいわけでもない。


ただ、見たいだけだ。


人の少ない通路。行き止まりに見える空間。意味のなさそうな分岐。そういった場所に、自然と足が向く。だが、どれだけ探しても限界がある。


ダンジョンは広い。だが、無限ではない。


隠し部屋を見つけても、その先は続かない。宝を見つけても、世界は広がらない。どこまで行っても、「ここまでだ」と告げられているようだった。


久遠は、静かな空間で立ち止まる。

モンスターの気配も、人の気配もない。ただ、人工的な静寂だけがある。


(……足りない)


ダンジョンに潜るたび、その感覚は強くなる。


アークヘイムの世界は、もっと広かった。地平線の先に街があり、街の先に道があった。寄り道をしても、戻らなくても、世界は続いていた。


ここには、それがない。


探索を終えて門を抜けると、現実の空気が肌に触れた。

囲いの向こうには、整備された施設と人の流れがある。管理され、秩序立ち、便利になった世界。


久遠は、ふと足を止める。


この世界は、確かに変わった。力を得て、道は増えた。

だが同時に、どこかで閉じている。

その感覚を抱えたまま、久遠はダンジョン区画を後にした。人の流れに紛れ、再開発された街へ戻っていく。


まだこの時の久遠は知らない。

この“足りなさ”に、真正面から触れることになる日が、すぐそこまで来ていることを。

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