コウガンの真実・6
「急に妊娠しているなどと言われて信じられない気持ちはわかります。でも、多田さんはもう10週目。もうすぐ3か月に入ります。睾丸も、普通の下着やスラックスが着用できないくらいに膨れてくるでしょう。そうなると日常生活にも支障をきたしますし、人の目につけば事情を察した国に連れて行かれる可能性も出てきます」
なかなか妊娠の事実を受け止められない、というか信じない勝臣に楢崎たちはいったん帰宅することを許した。だが、口酸っぱく釘を刺す。
「くれぐれもセカンドオピニオンを受けようなどと考えないでください。多田さんが最初に受診した病院は私たちの協力機関でした。ですがほとんどの病院には国の手が回っています。病院から直接国の手に渡ってしまっては、私たちではもうどうにも多田さんを助け出すことはできません。どうか、1日でも早く決断して、ここへ戻って来てください」
物々しい言われようにも、そうは言われても……としか勝臣は思えなかった。
「良い話ではないかも知れませんが、男性から生まれて来た子供はあまり身体が強くはないんです」
勝臣は断ったのだが松室に押し切られ、家まで車で送ってもらうことになった。
「近親相姦が良くないという話はご存知ですか?」
「ああ、まあ、なんとなく。血が近いと奇形が生まれるとか?そういう?」
「多様性が無ければ遺伝子はウイルスや環境の変化に弱くなるんです。だから単為生殖ができる生物は、あくまで緊急的に種の保存をする場合にその特性を生かすことが多い。人間の男性に起きる単為生殖もその可能性が高いと研究者は見ています」
「じゃ、僕もなんか緊急的に?そんなすぐに子孫残さなきゃーなんて焦ってませんけど」
松室は前を見たまま破顔する。
「多田さん個人の問題ではありませんよ。人類的に、生物的に、少子化の現在を遺伝子が焦ってるんでしょう」
「え~……」
そんな地球規模の焦りを一介の独身サラリーマンに背負わせないで欲しい。信じてないけどうんざりしている勝臣は、ふと気づいた。
「じゃあ、男性同士のご夫夫の子供も病気に弱いんですか?」
「いえ。あくまで遺伝子の話なので、血統さえ遠ければ異常が見つかったという話は聞きません」
「へ~……」
じゃあますます勝臣は何のために命がけで出産を強要されているのか意味がわからなくなる。いや、信じてないけど。窓の外を流れる景色を見ながら、勝臣は憮然とする。病気になってすぐ死ぬかもしれない子供を、なんで産んだらすぐ死ぬかもしれない俺が産まなければいけないのか。いや、信じてないけど。
無意識に下唇がやや突き出している勝臣の顔をバックミラーで見た松室は穏やかに言う。
「多田さん」
「はい?」
バックミラーに映る松室の前髪あたりを勝臣は見る。
「私も父の単為生殖から生まれたんですよ」
あ、そうだったと勝臣は思い出す。目を開いた勝臣に、ミラー越しに松室はほほ笑む。
「私も子供の頃は身体が弱かったんですけど、家族や研究所の人たちのおかげで37歳の現在まで元気にやってます」
勝臣はシート越しに松室の背中を見る。勝臣より背も高く肩幅も広かった。無精ひげも生えてて、なんだか医者にしてはワイルドな雰囲気だった。ひ弱とか病弱とかそんなイメージは湧かない。
「どうせすぐ死ぬからとか、病気で弱いからとか。男が妊娠したら社会活動に影響するとか。そんなことで生む生まないを決めるのはどうなんでしょうね。妊娠出産誕生は生物に与えられた権利なんですから」
あれから1週間。心なし大きくなったように思える睾丸のせいでスーツのスラックスが若干恥ずかしい膨らみ方をしている。ような気がする。まだ誰に指摘されたわけでもないが、勝臣自身が睾丸が腫れていることを自覚しているので、勝手に周りの目を意識して恥ずかしい。かといって診断された妊娠をやはり信じられるわけもなく、いい加減別の病院に行こうと勝臣は決心した。
国に拉致されどうのこうのと件の医者たちは言っていたが、正直法治国家のこの国でそんなことが起こるわけがない。家に着くまで徹底して真面目な顔で松室は騙してきたが、本当に何が狙いだったのか、日が経つにつれ余計わからなくなってきた。もしかしたらあれは何かの前振りで、これからもっと大きなドッキリでも起きるのだろうか。ドッキリならまだいい。なんらかの詐欺とか闇バイト的なやつに巻き込まれていたらどうすればいいのか。睾丸妊娠からどうやって詐欺行為を働くのか皆目見当もつかないが、とりあえずこれは、病院に行くより先に警察に駆け込んだ方がいいかもしれない。いや、警察が聞いてくれるか?睾丸で妊娠してますって言ってくる人たちがいるんですよ~なんて話。ウソってわかるんだから信じなきゃいいでしょって笑われて終わりだろ。
腫れた上に少し痒くなってきた睾丸をスラックスの上から押さえ、勝臣は最初に行った病院とは違う泌尿器科に予約を取った。
診察内容は最初に行った泌尿器科と変わらなかった。問診・触診・エコー。そして尿検査と血液検査。以前の病院より少し大きな市立の病院だったせいか、ずいぶん診察まで待たされた。やっと名前を呼ばれ案内の看護師に付いて進むと、多くの患者が待っている診察室の前は通り過ぎた。これはいよいよヤバい病気だったのか?と焦りが出てきた頃には、診察を待つ人もいない、立ち働く看護師もいないやけに静かな廊下を歩かされていた。……なんか変だな、と思ったときには突き当りの扉へと誘導されていた。
開かれた扉の向こうには救急車が待っていて、出入り口の両側には顔もマスクで隠した白衣の男たちが立っていた。
『必ずここに戻って来てくださいね』
『他の病院へ行ってはいけませんよ』
楢崎の言葉を思い出す。咄嗟に後ろを振り返った勝臣の腕を白衣の男たちが捕らえた。
『捕まったら、私たちではどうにも助けることはできません』
嘘だろー!?と勝臣は叫びたかったが、口を塞がれた。別の男に足を捕らえられ持ち上げられた。必死に身体を捩ろうとするが多勢に無勢、どうにもならない。それでも必死にもがいたが、救急車の中に身体を半分押し込まれていた。が。
勝臣の足を掴んでいた男が鈍い音と共に吹っ飛んだ。
勝臣も、勝臣を抑えていた男たちも驚く間もなく黒ずくめの男がふたり車内に侵入して来た。そして白衣の男たちを引きずり出し、何発か蹴って殴って動けなくすると勝臣に向かって叫んだ。
「来い!」
自分を救急車に無理矢理乗せようとした白衣の男たち。それを殴って黙らせた黒ずくめの男たち。どっちを信じろと言われても、正直どっちも信じられない。だがより白衣の男たち方がなんとなく怪しかったと勝臣の勘が言っている。
勝臣は救急車から飛び降りると一目散に黒ずくめの男たちの後を追って走り出した。
少し離れたところにグレーのワゴン車が停まっている。必死になって走ったが、普段からデスクワークしかやっていないインドアな勝臣である。なかなか追いつけず息も絶え絶えになる。そうこうしているうちに倒れていた白衣の男たちが這う這うの体で追って来た。
立ち止まってしまい息を整えようとする勝臣を、黒づくめのひとりが振り返る。即座に戻って来ると、ひょいと勝臣を横抱きにした。
「!?」
そんなに大きくない身体とはいえ男である。まさかお姫様抱っこされる未来が来るとは思ってもいなかった勝臣は瞠目して男をみつめてしまった。そしてなぜだろう。人は抱っこされると自然と腕を相手の首に回してしまうものなのか。
男は勝臣を抱えたままワゴン車に乗り込み、座席へと下ろす。
「身重なのに無理させてすまなかった。身体、大丈夫か?」
身重と言われたことにも驚いたし、マスクを取って現れた美貌にも驚いた。柔らかくウエーブのかかった栗色の髪に鼻筋の通った高い鼻。切れ長の目から流される視線を受けたら、そこら辺の女子は腰が抜けるのではなかろうかというイケメンっぷりである。驚くというより、半分見とれて声を失っている勝臣の後ろの席から笑いを含んだ低い声がした。
「パートナーの前で他の男に優しくするなよ。妬くぞ?」
イケメンはたちまち破顔して勝臣の後ろに身を乗り出した。釣られて勝臣も後ろを向くと、これまたきりりとした美丈夫が座っている。イケメンとはまた違う精悍な顔つき。イケメンはかがんだまま美丈夫の片頬に手を添えると顔を寄せた。美丈夫も顔を寄せる。そしてふたりは唇を重ねる。
さっきからずっと開かれている勝臣の目はさらに大きく目ん玉が飛び出そうになっていた。




