第8話
※当話に関しまして、多少の暴力描写が含まれます。
予めご了承のうえ、閲覧ください。
それは冬のある日のこと。貴女と出会って、少しだけ世界が変わって見え始めたころ。時の流れや季節の移ろいが二つほど経過して、それまでの間に彼女との時間をそれなりに過ごしてきたと思う。
彼女は、私の住んでいる世界と違う人。芯がまっすぐにあって、その信念を強く抱いている背中は、誰よりも頼もしいと思えるだろう。
だけどその実、私と同じくらい――ううん、きっと私以上に難儀な人。
それは私が彼女と初めて出会ったあの日から変わらず、時折見せる虚空を見つめる彼女は、きっと亡き友人を思っているのだろう。
それを知るのはきっとごく限られた人で、私は偶然にもそれを見つけることができただけのこと。
似ているから傍にいたかった。独りたくさんの荷物を抱え、それをなんとも思わない顔をしながらその実脆く弱い彼女の傍にいたいと願った。だからあんな無茶な要求をして、今日まで陰ながらの逢瀬を日々の楽しみの一つにしていた。
だけど私は、彼女の力になるなんてできる存在じゃなかった。
「ふ……っ!?」
黄昏時の、薄闇が包み込み始めた時間。家路へと着く頃、突然背後からの気配に振り向こうとして、その間もなく口と手が抑え込まれた。背後の影は一人ではなく、複数人の、それぞれ恰幅がいい人たちばかりで、深く考えずとも腕っぷしなど力で勝てないのは明白だった。
なぜーーとまで考えて浮かんだ顔は、酷く寂しそうに、泣きそうな顔をするあの子で。
そうか。私は貴女の支えには、なれないのね。
そう考えようとして、強い衝撃が首に走り、私の意識はそっと遠ざかって行った。
***
次に意識を取り戻したのは、薄暗い空間。薄目をあけて辺りを見回してみれば、複数人が周囲で見張っていて、見上げたそれは私が横たわっていることを理解させるのには十分だった。同時に感じた床の硬さと冷たさ、身じろぎをしようにも固定された手首は動かすことは難しいのだろうと悟る。
捕まった。そう結論付けるのは簡単だったが、この状況はかなりまずいと認識するのもまた早かった。
だからと言って、私に何ができるのかと問われても答えは出てこないわけだけど。
「目が覚めたのか」
起きていることがばれないようにと息を殺していたけれど、これだけ何人もに囲まれていれば気づかれるのも時間の問題だった。近くに居た一人が私の意識を確認すると、他の誰かが別の部屋へと移っていく。
起き上がろう、と試みたけれど、どうやら手首だけでなく足首も縛られているらしい。身体の自由のそれはどこにもないようで、身体を縮めることしかできないことを理解して、行動することを諦める。
「に、しても綺麗だよな」
「おいやめろ、馬場さんに手荒なことするなって言われてるだろ」
「だったとしてもだよ。っていうか、思ったこと言っただけだし」
残った数人で聞こえる会話から読み取れる声色や表情、空気から下心はあけすけで、きっと彼らも隠す気はどこにもないのだろうとさえ思う。むしろあえて私に理解させて絶望感を煽っているのかもしれないとさえ思う。本当に品のない人たちだ、とさえ思ったが、そんなことを口にしたらどうなるのかなんて、深く考える間でもないだろう。
下手な刺激はしてはいけない。黙っている方がきっといい。
「にしても、織田さんってこっちの人だったのか」
「いや、意外と誘惑されただけかもしれないぜ?」
「そういうもんかね……」
「だってほら、馬場さんも言ってたけど金融資してんだろ? 金持ちだっていうし」
暇なのか、見張っている二人から聞こえる会話は、どうやら私たちの関係は知っているらしい。まぁそもそも知っていなかったら私をこんなところで捕まえる理由も理解できないのだろう。どこまで知っているのかは推察程度だが、身体と金の関係があること、私自身がある程度の資産家であることくらいか。
ぐるぐると思考を巡らせて、この場をどう乗り切るべきかと考える。下手に刺激をして自分の命にかかわってくるとなると、聖はもちろん本家の人間にも伝わって、彼女に迷惑も掛かる。正しい素性を明かしていない今、聖に本家に関わる迷惑はかけたくない。
理想は私がこの場から逃げ出すこと。貴重品はきっと他の場所にあるのだろうけれど、それらはともかく一番は私の身の安全。命あっての、とはよく言ったものだが、この人生でそれを体現する場面に出ぐわすとは夢にも思わなかった。
とはいえ、手足もまともに使えない今、まともな手段をとることはできないわけだが。
「……にしても、こいつ何の反応もないな。死んでねぇよな」
「さすがにないっしょ。ねぇお嬢さん」
私の安否を気にしつつ、下心を乗せた男性の顔に覗き込まれる。私のことを綺麗だ、とにやけ顔で言っていた男性のようで、私の身体に手を伸ばしてくる。
「……触らないで」
だから、思わず声が出てしまった。気絶した振りをしていればいいものを、伸ばされた手から逃れるように身じろぎをして、開いた目をそのまま目の前の相手ににらみつけた。
「随分強気なお嬢さんだな。聞いていた話じゃ箱入りのお嬢様だって聞いてたんだが」
「本当に箱入りのお嬢様だったら、護衛の一つもないなんておかしいと思わなかったのかしら?」
きっと彼らの目的は私の家ではなく、織田聖という暴力団の組長で、もっと言えば『織田組』という組織に関するところが一番の目的だろう。そうなのであれば、ただ萎れて待っているだけなんてしたくない。こうして捕まってしまっている次点で迷惑をかけているのは自覚しているけれど、これ以上聖に迷惑をかけたくないし、少しでも時間稼ぎができればいいと思った。
――助けてきてくれるかなんて、わからないのに。
「たまたま偶然、ってやつなんじゃなかったのか?」
「本当にそう思っているなら随分おめでたい頭をしてるのね。もしそうならもう少し考えを巡らせることをおすすめするわ。――あぁ、そういう考えを巡らせる頭もないのかしらね」
「っ! てめぇ!」
「おいおい、落ち着けよ少しは。そんな安い挑発に乗るなって」
わかりやすく頭に血を昇らせてくれた男に、別の男が止めに入る。冷静そうな顔をしているその男の方にも目を向けて、私はゆっくり微笑んだ。
「貴方も落ち着いているように見えるけど、随分青筋立ててるんじゃない? それに、拳まで握って震えてるなんて、わかりやすく我慢してるのね」
自分の言葉が彼らの気を逆撫でている自覚はある。非力な私がそんなことをすれば彼らが手を上げてくるのも時間の問題だろうし、暴力なんて振るわれたことのない私にとって、その痛みを想像することもできやしない。気絶を伴う程かもしれないし、世羅のように刃物を取り出されて切り付けられでもしたら、本当に命すら危ういだろう。
そこまでしても、果たして聖がここに来てくれるかの保証は、どこにもないというのに。
「……あんまりでかい口を叩くと、後悔するのはお嬢さんの方だと思うんだがな」
「そうだったとしても、あなたたちのような能無しにそのままされるがままだなんて、それこそ性に合わないの」
彼らの虫の居所の悪い言葉を並べて、怒りを買う。それがどれだけの代償になるかは想像もつかないけれど、僅かでもこの身体に彼女以外触れてほしくないのだ。
暴力ならまだいい。私の心を、身体に触れていいのはあの人だけ。
私の言葉がどうやら彼らにとってかなり効いたのだろう。先に手を出してきたのは私の近くに居た、顔を覗き込んできた男の方だった。
私の頬に思い切り拳を振りかざす。頬に感じる衝撃と傷み、そしてそのまま打ち付けられた頭にも強い衝撃が走って、思わず痛みに目を閉じた。
「言わせておけば長々と……お前、今自分が縛られてる自覚ないのか?」
「やろうと思えば犯すことだってできるんだぞ」
「……だったら何? 逆にそれもすぐできないくらいの情けない人たち、って笑ったらいいかしら」
ここで怯んでしまったら意味がない。それに、ここで怯んで萎れてしまったら、織田聖という人の品格にも関わる。こんな女と関係を持っていた、なんて思われたくない。
彼らの言葉に呆れたように嘲笑を向ける。心の奥で大丈夫、と何度も繰り返す。
それでも震える身体は止められない。不安は、恐怖という本能はどうしたってつきまとって、それらは身体に反映されてしまう。声が震えていないのだけが救いだったけれど、そういう変化を彼らが逃してくれるはずもない。
「口ではいくら言っても、やっぱり怖いもんは怖えよなぁ」
「だったらどうするつもり? 貴方たちの目的の人が来る前に私を殺したら、何の意味もないと思うのだけれど」
「それはこの後、馬場さんがどう決めるか次第だな。――それ次第じゃ、ある程度手を出してもいいって話だからよ」
にたり、と厭らしい笑みを浮かべる彼らに背筋に寒気がよぎる。そもそも人質に先に手を出すような人たちだ、ある程度の倫理観すらないのだろうし、おそらくリーダーの指示次第では本当に手を出されてもおかしくない。
助けて、といえたらどれだけよかっただろう。
命乞いをしたら変わるのかもしれない、とよぎったのは弱気な心が顔を出した証拠だ。
自分をどれだけごまかしてみたところで、こんな場面に遭遇するなんて思わなかったし、わかっていたとしても恐怖が消えるわけじゃない。
だからといって、こんな人たちに手を出される前に舌を噛み切って死ぬ、なんて決断もできない。
――そういう弱さが招いた結果が、今なのだろうから。
不意に、扉が開く音がした。そちらの方に目を向けてみると、さっき退室してきた男と一緒に、別の人物も目に入った。
見た目だけ見れば、ただの好青年。他の人たちに比べても力があるようには見えないが、その分頭がよく切れるタイプ、といったところだろうか。いわゆる参謀のような雰囲気の彼は、私のことを見るなり目を細めて笑いかける。
「いやはや初めまして金杉由良さん。馬場恭太郎と申します。うちのが少し手荒な歓迎をしてしまったようで」
「そう思うならこれ、外してもらえないかしら?」
そう言って手首と足首についた枷を動かしてみるけれど、彼はにこりと微笑むだけ。
「人質をおいそれと解放するようなことはできませんよ。それに、勝手に死なれても困ります。……まぁ、そういう度胸はさすがにないとは思いますけどね」
「そうね、さすがにそんな度胸は私にはないわ」
「お噂通りの方ですね。身体では怯えているけれど、口は一切減らないようだ」
「あら、噂になるほどだったかしら。いつの間に私も有名になっていたのね」
私のことを見下ろす馬場の視線に、彼の言う噂通りひるまずににらむ。少しでも納得できるような理由があるのなら先につかんでおきたかった。
誰が私たちの関係を知ったのか。
私がどんな人間なのか。
そして彼らは、聖に何を望むのか。
これは私という弱い人間に課せられた、初めての交渉だ。
一歩間違えれば交渉決裂。その代償は、自分の命。




