第7話
「そう言えば、どうしてあんな提案をしたんだ」
夜も更け、事が済んだ後のこと。聖がぽつりと私に尋ねた。
「提案? ……あぁ、この関係のこと?」
「あぁ。由良はアタシの身元のことも知っていたようだし、そうであるならリスクでしかないだろ、こんなこと」
「あの時も言ったでしょ? 貴女を気に入ったからよ」
彼女がそれで納得するとは思えなかったが、私にとってはそれ以上ない理由だった。必死になるほどに、この人との関係を切りたくなかった。それが私の紛れもない本心だから。
「正直、気に入られる理由もわからないんだよ。見たところ、かなりの金持ちのお嬢さんじゃないか」
聖は私の身体を撫でながら問いかける。あれだけ優しく抱いていても体の負担を考えてくれる彼女の気遣いは、きっと彼女の性格からなのだろう。
それでも消えない疑問は私に向けられているわけだが。
「そこそこな金額を提示したつもりだったが、難なくクリアしてる。しかも毎月、っていう制約も加味したら相当だろう。それなのに、そこまでしてアタシと繋がりたい理由が浮かばない」
「そうねぇ……」
確かに聖の言うことには一理ある。好き好んで極道の人間と金銭の関係を結びたい、なんて言うのはかなり酔狂なのだろう。しかもその見返りがこの時間だけ。聖を従えたいわけでも、上納金として納めるためのものでもない。だけど相応の金額が定期的に入ってくるというのは、もしかしたら気持ち悪いのかもしれない。
聖の疑問に、うーんと頭を巡らせる。彼女が納得できるような理由を、どういったら伝わってくれるのか、と。
「下手をすればこれからの由良の人生にも大きくかかわってくる可能性だってある。アタシという存在は、それほどの影響力もあるしな」
「そういうところは自覚してるのね」
「当然だ。この世界に生まれ、育ったんだからな」
きっと彼女からしたら、私という存在がそもそも異分子で、だからどう扱っていいか決めあぐねている。自分で考えるよりも、本人に聞いた方が早いと判断したのかもしれない。
「聖を気に入ったのは本当。あの日の貴女をあのままおいていけなかったし、噂に聞いていたような人とは違ったから」
「そんなもんかね。大体の人間はアタシのことを知っていれば近寄りもしないんだが」
「そりゃね。極道の当主で、恐慌、なんて言われてる人を目の前にしたら逃げるのが当然ね」
「わかってるならなおさらだよ。どうして、とアタシは聞いているんだが」
のらりくらりと話をそらそうとする私に、聖は少しだけ機嫌を損ねたような声を出す。暴力こそ出さないけれど、これ以上していたら拗ねてしまいそうだ、と苦笑いを一つ。
「しいて言うなら、興味本位、なのかも」
「お前、なぁ……」
「貴女が納得してもらえるような理由をあげるなら、これが妥当よ。聖の言う通り、私の人生において極道の人間とつながりを得る機会なんて、考えもしてなかった。きっとこれからも想定された人生のレールを歩くんだろな、って思ってたの」
思い浮かべるのは、婚約者の顔。のらりくらりと時間を潰して伸ばしている人生の寿命も、そろそろ終わりを迎えるんだと思っていたのは間違いない。あと数年もすれば私の人生は終わって、あの人の駒としての人生を残り過ごしていくんだと考え始めていた矢先のことだったのだ、聖と出会ったのは。
「でも、貴女と出会った。神様が私の人生のレールに敷いてくれた、珍しい道筋だと思ったの」
織田聖という存在は、私にとっても異分子だった。
「せっかくの人生なのだから、結果同じところに到着するって言ったって寄り道はしてもいいと思わない?」
どうせ、私の人生の終着点は決まってる。私一人の意志なんて一切反映されない本家に戻されて、真斗さんと結婚して、残りの余生を過ごす。この確固たる結末がわかっているのだから、せめてその寄り道くらいは私に選ぶ権利があって、神様はそんな私に聖と言う面白そうな寄り道を提示してくれたのだと思ったのだ。
「ふむ……」
「どう? これで少しは納得してくれたかしら」
「まぁ……もし私の存在のせいで由良の言うレールが壊れるかもしれない、ってリスクは考えなかったのか?」
「考えたわよ。そのうえでいい、って思ったの。……それにね、そんな簡単に壊れるようなレールでもないのよ」
むしろ、聖にそのレールを壊してほしい、とさえ思ったことは口にしない。彼女に求めるものをこれ以上増やしてはいけない。
「お嬢様、って言うのは一癖も二癖もあるんだな」
「そうよ。聖たちが考えてるようなきらきらした世界じゃないの」
「まぁ……知らない世界はいくらでもある。由良だってこちらの世界を理解していないのと似たような感覚だろうしな」
「そうね。私も聖の世界は本当なのかって考えちゃうかも。映画とか小説とか、そういうフィクションの世界だけだと思ってたから」
噂には聞いたことがあったとしても、まさかこんな近くにいるとは夢にも思わなかった。事実は小説より奇なり、なんてのは本当によくできた話だ。
「だからそんなフィクションの世界だけでしか存在しないと思ってた人と繋がれるチャンスだったの。興味本位、って言うのが近いでしょう?」
「なるほどな……それこそ好奇心は猫をも殺すとは言ったものだが、殺されるなよ」
「そうならないように立ち回るつもりよ。それに、聖は私を殺したい?」
「……冗談でも言っていいことと悪いことがある」
聖の表情が途端に曇った。眉を潜め、声色が下がる。冷え込んだ空気のそれは、もしかしなくても彼女の触ってほしくない部分だったのだろう。
「ごめんなさいね、そんなつもりで言ったつもりじゃなかったの」
「軽々しくそんなことを言うもんじゃない。ったく……」
声色はすぐに戻って、視線の鋭さもなくなった。空気を一新しようとしたのか、ベッドから出て飲み物をとってくる背中は相変わらず綺麗で、昇り龍の刻まれた背中に見惚れてしまう。
「この間も思ったが……刺青に驚かないんだな」
こちらに戻ってくる聖と目が合って、そんなことを言われてうーん、と考える。
「そんなものなの?」
「まぁ……普通は多少なりとも驚かれるからな。この頬のカバーアップタトゥーもそうだし、背中のなんてもっとだ」
「知り合いにね、似たような人がいるのよ」
思い浮かべるのは世羅のこと。左の目元に刻まれた蝶のタトゥーと、右目にかなり深い一本の傷をつけたもう一人の幼馴染を見ていれば、聖のそれらに驚かなかったのも無理はない。
「カジノのディーラーでね。新人のころにお客さんを怒らせて目元に傷を作ったり、それとは別に顔にタトゥーを彫ってもらったりってしてた子なの。そういう人が近くに居たから、タトゥーに関して驚かないのかも。それより綺麗、って思う方が強いともいうわね」
「……お嬢さんの知り合いの広さには少し脱帽した」
「その子に関しては少し特殊なだけよ」
きっと、世羅の話をしたってすべては信じてくれない。分家の人間で、私の幼馴染で、家出してお嬢様をやめた人、なんて話はきっと信じちゃくれない。
「だからね私、聖の背中も頬も好きよ」
綺麗な人が飾られてその美しさに拍車をかけている。もちろん威厳だってあるし、そういう世界はいくら見ていても飽きないから。
そんな私の言葉に、聖は黙り込んでしまう。目をそらして、ごまかす様に水を手渡す。以前よりも場所の勝手がわかっていたのか、そのまま再び彼女はベッドの中へと潜り込む。
「ねぇ、聖」
「……なんだ」
「また、会ってくれる?」
「それが契約だろ。約束は違えない」
「ありがと。それじゃあ、これ」
サイドチェストから取り出したのは、一本の鍵とメモ帳。差し出されたそれに目を丸くした聖は、これは、と私に尋ねた。
「この家の鍵よ。それとメモ帳は、私の連絡先」
「なんで、」
「何かがあった時の連絡は必要でしょう? それに、ノックも場合によってはインターホンより目立つこともあるわ。でも鍵だったら自然に入ってこれるでしょ」
「……甘すぎないか」
「私ね、ここに人を呼んだのは聖が初めてなの。それくらいのセキュリティ意識はあるわよ」
「だったとしても、アタシは」
「暴力団のリーダーである前に、私にとって投資するに値する人よ。これも投資の一種、って捉えてもらっても構わないわ」
実際、今日も彼女が来るかどうか不安でたまらなかった。約束を守れない日だってないわけじゃないし、そういう意味でも交換するだけで私の不安は一つ減る。
「いいんだな、本当に」
「えぇ、もちろん」
聖なら大丈夫。まったく根拠のないことだが、やけに自信があった。
聖は私と鍵たちを何度か見やってから――ため息を一つついて、スマホに連絡先を入力した。ほどなくすれば私のスマホも鳴って、今のがアタシのだ、と一言。
「こんなメモを持って帰ったら万が一もある。ここに置いていくよ」
「そうね、確かにそうだったかも」
「鍵は……ありがたく借りていく。こっちの方が何かと楽であることも事実だしな」
何かもの言いたげではあったが、突き返されることはなかった。突き返されなかったことに安堵して、ほっと一息をつけば少しだけ聖と目が合った。
「そんな不安そうな顔でこちらをみられたら、さすがに困る」
「そんな顔してたかしら」
「結構わかりやすいぞ」
表情を作るのはうまい方だと思っていたけれど、どうやら聖の前ではそういうわけでもないらしい。自分に対する新たな発見をしたわね、と心の片隅で思いながら彼女の方を見やれば、そのまま聖からキスを贈られた。
「色々心配してくれてありがとう。助かるよ」
「えぇ、もちろんでしょう? 出資先の当主の心配だってさせてもらうわよ」
「そう、だな」
私と聖は投資家と出資先。決して、履き違えてはいけない。ビジネスの関係で、その見返りに今の時間があるだけなのだから。
こんな密会をするだけで十分。あと数年とない僅かな余暇を、こんな刺激的な人と過ごせるだけでも幸せだと思うしかない。
私の人生の終着点は、金杉財閥の繁栄のために。
そこに私の意志は介在せず、男性である真斗さんに仕える駒になる宿命。
そんな決まっている運命の最後に、彼女との時間をできるだけ長く、長く痛いと願った。
たとえ相手が極道であっても、織田聖と言うただ一人の女性を、私は――――




