第11話
悲鳴、崩れる音、荒い呼吸音。
閉じられた視界では音を鮮明に拾い上げ、この場所での惨状を想像させるのは容易かった。
それもこれも、最初に見たあの一閃がすべてだろう。
あまりにも一瞬の出来事に、誰しもそこから動けなかった。着物の内側に隠された杖から取り出された鈍く輝くそれは、あっという間に朱に染まる。解放された手で頬に触れれば、先程飛び散った血がベッタリと着いているだろう。鉄の匂いを帯びたそれは今やこの部屋を十分すぎるほど満たし、鉄の匂いに反比例するように人の声が減っていく。
『大丈夫、お前はなにがあっても、生きて帰すから』
あの時私にみせた柔らかく優しい笑顔のその人と、あの鈍い光を放つ刃を振りかざす人が同じだとは思えない。
だがこれがきっと、聖の本来の姿なのかもしれない。
「や、やだ……す、みませ……」
「命乞いは聞かん。聞き飽いた」
時々聞こえる聖の声は聞いたこともないほど冷徹で、その後間髪入れずに悲鳴へと変わる。複数人が動く気配があるのに、聞こえてくるのは聖ではない人達の悲鳴だけだ。
取り抑えろ、とか周りこめ、などと指示をする声も聞こえてくるが、それらが成功しているような気配はない。次々と聞こえる悲鳴にまじるように何かが飛び散る音がこの部屋を満たし続けていた。
きっと目の前には凄惨な景色が広がっているのだろう。それはきっと、私のような何も知らない人が見たら卒倒してしまうような、そんな場面になっているのかもしれない。だから聖も私に目を閉じろと言ったのだろうし、その気持ちがわからないわけじゃない。事実想像しただけで僅かに身体は震えていて、それを誤魔化すように自分の肩をだいて縮こまった。
ぴたり、と音が止む。獰猛な獣が息を整える呼吸音が私の耳に届き、終わったのかーーと胸をなでおろそうとしたその時、だった。
「ーー由良!」
聖の声が先だったか、それとも。と、判別のつかないほど刹那の音の応酬だった。
かわいた銃声音と聖の叫び声。ことの状況を把握できぬまま、次の瞬間には誰かに強く抱きしめられたのだ。
誰か、なんて考えるまでもない。鉄の匂いに支配されてもなおわかる、聖の香りだ。
「う、っぐ……」
「聖!? あなたもしかして、」
「目を開けるな。まだいいと、言っ、て、ない」
明らかに苦しそうな声なのに、返ってくるのは気にするなと言う言葉だけ。そんなことを聞いていられないと開こうとする目元を、そっと覆われた。
「あと、少し……待ってろ」
そうとだけ言い残すと再び立ち上がる気配。先程よりもゆっくりとした足音は引きずっているようで、何が起きているのかを想像することもしたくなかった。
「餓鬼」
「ひっ……お、おかしいだろ! なんで動け、て」
「生きてるのはお前だけだ。……まぁ、外に応援がいるのなら話は別だが?」
「な、ぜそれを、」
「あぁ、カマかけたつもりだったが図星なんだねぇ」
「……そうさ、この惨状を見たらきっと」
「そりゃあいい。ここが餌場になるわけだ」
「な、にいって……」
少しの間。声色からして、話をしているのは聖を騙した人なのだろう。
「うちの贔屓に連絡させてもらった。お前もせっかくだ、生かしてやる……もっとも、死んだ方がマシかもしれないがな」
「ひ……っ」
突き立てた音に混じる悲鳴が止んだ。そして少しの間を置いてから大きな音が部屋に響き渡る。まるで何かを壊したような音で、思わず目を開けてーー唖然とした。
一面が真っ赤な世界だった。所狭しと血飛沫が飛び散り、無惨な格好で伏せている人で埋まっている。さっきの声の主は泡を吹いて倒れていて、その他の人たちはもはや息はないのが明白だった。
そして先程の音がする方へ視線を向けてーー体は思わず駆け出していた。
聖が倒れている。すぐそこには先ほどまで壁だった場所に人が通れるほどの穴を作ったのだ。
「聖!」
「……ま、だ言ってなぃ、だろ」
「あんな音まで聞いて、閉じてる方が我慢できないわよーー、ってあなた、それ……!」
駆け寄って直ぐにわかったのは、彼女の腹部の異常だ。明らかに染み込んだ着物の一部から覗き込む弾丸と血液は、先程の大きな銃声のものだと考えるのが当然で。浅い呼吸を繰り返す彼女は、今もそこから出血をしていたのである。
「こ、こから逃げな。多分、外に出れる」
「あなたは」
「さて……どうするか、な。一緒になって逃げるべき、だが」
聖の視線が、彼女の入ってきた扉の方へと向けられる。じっと見つめているから同じように視線を向けてーー微かに足音のような何かが、耳をかすめた。
「利口な手段とは言えないねぇ。こんな身体、だ。もうひと踏ん張り、しない、と」
「その身体でどうする気なのよ!」
「……お前を逃がす、時間稼ぎさ」
「……あなたねぇ」
どこまでもお人好し。……いや、自分の責任を果たすための労力は、どちらかと言えば犠牲的なのだろう。己の命と引き換えに、私を助けようなどと考えるのは、そこまでの物があるのだから。
ーーただ、それを私が許容するかは、別問題だけれど。
「っ……由良!?」
「強情なのはね、お互い様なの」
立ち上がった彼女の腕を引く。この人を置いて一人で帰るなんてできるわけがないからと引っ張る手に力を込めれば、困惑の声が聖の方から聞こえるけれど、そんな声は聞こえないふりをした。
とはいえ、この人を連れて完全に外に出るのは難しい。百歩譲って引きずることは出来たとしても、腹部の傷の出血は目を逸らせないだろう。事実聖の呼吸は徐々に浅く早くなっているのは聞こえているし、先にするべきはこの止血だ。
だがこのまま無防備でいれば先程聞こえた足音が到着したら逃げられる気がしない。せめて何か、一時的にでも隠れられる場所に……と当たりを見回していると、隣の彼女がまったく、と笑い混じりの声で強く腕を引かれた。
「こっちだ」
そういう彼女が見つけたのは瓦礫の山。どうやらこの惨状に乗じて壊れた一角で、ちょうど人の死角に入りそうな位置にあった。幸運なことにちょうど二人分がギリギリ入るくらいの大きさの穴になっていて、そこに引かれるがまま連れ込まれた。
やはり穴の中は二人入るにはかなりキツく、聖を先に押し込んでその空白に私が入ろうとしてーー聖が私を強く抱き締めた。
「ちょ、ひじ……」
「シッ。来たみたいだ。息を殺せ」
片膝を立てた聖にそのまま抱きしめられてすっぽりおさまる腕の中。腹部からは未だ出血の止まらないのが見えて、耐えられなくて思い切りそこに自分の体を押し付け合う。聖の歪んだ表情に申し訳なくはなるけれど、これ以上彼女の生命を減らすのは得策とはとても言えない。
強く抱き締め、腹部を圧迫する。互いに隙間を作らぬように必死に、どうか私で少しでも可能性を増やしたい、ただその一心で。
外での声は、やはりと言うかここの仲間だったようで、耳を澄ませるとそこにいる人達は酷く動揺しているのが聞こえた。少なくとも今見付かってしまったら聖の命は間違いなくないだろうし、探さないでと強く願う。
ふと、顔を上げる。冷や汗の止まらない聖がこちらを見ていて、目が合うとふわりと微笑まれた。
それはまるで、最期だと悟ったような、そんな顔で。
「勝手に死のうとしないで」
「はは、だといいんだが」
「貴女ね……」
次の言葉を言いかけて、ただその言葉は彼女の唇に奪われてしまう。頬を包まれ、寄せられた唇からは鉄の味がして眉をひそめてしまうが、それ以上に愛おしげに見つめる視線と目が合って、そんな顔もできるのねと思ってしまった。
人の気配は未だ続く。緊迫した状態を緩和させようとしてくれたのかしら、と重ねられた唇を離して見つめようとしてーーその顔色は、明らかに悪くなっていた。
「っ……!」
「シッ。……へー、きさ」
私を抱き寄せる力だって普段と比べ物にならないくせに。貴女はそうやって我慢してしまうのだ。
支えになりたいとこれほどまでに、願うのに。
ゆっくり目を閉じていく。抱きしめていた腕の力が抜けていく。呼吸の音が、小さくなっていく。
ーー貴女の生命が、散ってしまう。
そんな不安に駆られる私を置いて、貴女は私を腕の中に閉じ込めたまま意識を手放していた。




