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第10話

※今話は流血描写、及び暴力描写が一部ございます。予めご了承ください。

 自分がしてきたことは、果たして正しかったのか。

 いや、きっと正しくなかった。そんなことは始めからわかっていた。あの日に声をかけたこと、関係を持ったこと。それらが引き起こす事象の予測まで立てられないほど、私は馬鹿じゃない。

 わかった上で、それでも関係を持つことを選んだのは、紛れもない私自身だ。

 聖には繰り返し言われていたことだ。自分と関わっていたらいつか私に被害が及ぶ日が来ると。だからそうなる前に自分との関係なんて絶った方がいいと。それが私自身のためにもなると。

 そんな彼女の意見を全部振り切った結果、こんなことになったのだ。

――貴女が始めた、エゴとプライドが招いた結末でしょう?

 馬場が声がリフレインする。これらはすべて、私が蒔いた種であり、聖はそれに巻き込まれただけなのだ。

 いつか終わりは来るから、それまでの余興だ、というエゴ。そして私がこんな人たちに屈したくないという情けないプライド。それらがないまぜになった結果生まれたのが、今の現状なのだ。

 聖にも迷惑をかけている。彼女の心はとても優しくて、こんな私でも助けようとしてくれるだろう。そしてあの男はもちろんただでは引き渡してくれない。考えられる交渉条件の中でも自分に有意な条件を差し出すのは明白だ。そして聖はそれを飲まなければならない。

 自惚れでなければ、私という存在が邪魔をした結末だ。

 どうしたらよかったのか、なんて愚問だ。聖と関係を築かなければよかった。

 でも、私がそれをしたくなかった。だって――



***



「ほら、起きてください。あなたの王子様がお迎えにいらっしゃいましたよ」


 頬を叩かれるような感覚が襲う。先ほどまでの暴行による痛みも相まって身体は思うように動かないし、手首の感覚は相変わらず不自由なことをすぐに理解させた。

 次いで、馬場の言葉の意味を理解するのに時間がかかった。迎え? そんなの――と顔を上げた先にいたのは、聖だった。

 視線にこもるのは明らかな殺意。私に向けられたものではなくて、周囲にいる人たちへのもの。意識しているかは定かではないけれど、聖の握っている杖はわずかに震えているような気さえした。

 誰が見てもわかる、怒りの表情だ。

――あぁ、貴女は本当に。

 自分を助けに来てくれた、と喜ぶ気持ちも反面、こんなことに巻き込んでしまったのは間違いなく私の失態で、聖はそんな私のために心を砕きに来てくれたのだ。

 お人よしね、と言いたかった。だけどそれ以上に浮かんだのは、罪悪感だった。


「ごめん、なさい……」

「っ……!!!」


 感謝と謝罪は心だけないまぜになって、ぐちゃぐちゃと心の中で潰されていく感覚を覚える。

 私なんていなければ、こんな目に遭わなかったのに、と。


「あぁその顔! たまりませんねぇ!」


 きん、と響いた馬場の声は、顔なんて見るまでもなく楽しそうだ。きっと顔なんて見たら反吐が出てしまいそうなほど嫌味な顔をしているのだろう。


「さて、織田さんの素敵なお顔は見れましたし、彼女の安否もわかったでしょう? 改めてお話合いと洒落こみましょう」

「……何が望みだ」


 聖の声が、一段と低い。優しさを置いてきた、きっと彼女の仕事中の様子だ。背筋に僅かな寒気を催したのは、彼女が隠そうとしても隠し切れていない怒りの感情からくるものだろう。


「なに、僕らの願いはそんなに難しくありませんよ。僕らはまだ、組織としては未熟です。領土ももちろんですが、特に資金面においてはなかなかなんです。ご融資いただけるようなコネクションもありませんし、そもそもここはあなた達織田組さんの領分です。無策にしてしまってあなたの逆鱗に触れてしまえば、あっという間に壊滅してしまいます」


 ですので、彼女を僕らに譲ってもらえませんか?


「もちろん、身柄はお返ししますとも。金杉さんの出資金は僕らにとってこんなにいいものはありません。なんて言ったって、彼女はあの有名な財閥のご子女なんですから」


 表情は変えず――いや、嫌味たらしい笑みを浮かべたまま、馬場の条件に出されたのは私だ。意識を失う前に話していた、出資を回せ、という話と同じ。ある程度のことは調べているようだが、果たしてそのある程度、がどこまでなのかは正直まだわからない。


「それと、この辺一帯のシマを分けてくださいよ。この辺、結構資金集めしやすくて」

「……条件は、それだけか」

「えぇ。十分すぎるでしょう。この条件を飲んでいただけるのであれば、合意の握手としませんか?」


 馬場は聖に向かって手を差し出す。合意の握手、なんて身勝手だ。彼のやっていることは一方的な押し付けで、交渉にすらなっていない。

 それでも聖は何も言わない。反論も、合意の声もあげない。いらだちを抑えるための中、何度か目を閉じて深呼吸をわずかに繰り返している。彼女をそうさせているのは間違いなく私という存在のせいで、私がいなければこんな交渉に乗ってやる必要はどこにもない。

 私という一人の人間が、彼女の足を引っ張っている事実は、変えようがない。


「一つ、尋ねたい」


 一歩近づいてから、聖が顔を上げて声をかける。馬場も表情を変えずに首を傾げた。


「なんでしょう?」

「お前はどうして、由良のことを知っている。その様子では、ただの出資者に対する対応でないことは理解しているのだろう」


 冷静を貫こうとする聖の声には、僅かだが震えがある。怒りに震えているのを隠せていないが、怒りに任せてはいけないと自分を律している彼女に、私の心はさらに締め付けられた。

 そんな彼女の質問に馬場は少し黙って――くつくつ、と笑ってから愚問ですねぇ、と一言だけ。


「あなたが蒼汰を招いてくれたからですよ。彼はうちきってのスパイですから、情報を抜き取るなど、造作もありませんよ……懐に入れてくれれば、ね」


 馬場から出た名前を聞いた聖は大きく目を見開いて、そのまま周囲の男たちのうち、一人をにらみつけた。きっと視線の先にいるのが蒼汰、と呼ばれた人なのだろう。


「あなたの先代はとても聡明で、慧眼な方でした。素性など聞かずとも受け入れるかどうか、その人間の本質を見抜くことができた方だ。だからこそ僕らもあまり出張ったことはできなかったんですよ。しかし、先代が亡くなってからは怖くありません。素性を聞かず受け入れるところは真似たのかもしれませんが、精査できない人間がやるのはただの愚行ですよ。自らの仲間に不和をもたらす、疫病神だ」

「……」

「加えてあなたの傍にいた相方も亡くなったときた。――これを好機と捉えず、なんと言いましょう!」


 馬場は高らかな声を上げ、喜びを両手いっぱいに広げて表した。それだけ彼にとって喜ばしいことで仕方ないのだろうが、聖の表情は俯いてうまく読み取れない。

 そんな聖なんて見えていないのか、馬場は自らの勝利に酔いしれるように言葉をつづけた。


「あなたは所詮、先代の紛い物ですよ。半端なことをしたから、こんな事になるんです」

「……」

「そのいい教訓になるでしょう? 彼女の出資と、一部のシマの譲渡で全て丸く収まる。貴女の失態を、こうして和解交渉しようという話なんですよ」


 悪い話じゃないでしょう? 織田聖さん。

 和解交渉、なんていう馬場に物申してやろうかと思った。あなたが言うべき言葉ではない、と異論を唱えたかった。けれど聖の俯いた顔からは何もわからなくて、声を出そうにも本能が恐怖におびえているのがわかって、自分の身体はどうしたって思った通りに動かない。

 聖は一歩、馬場に近づく。表情の見えない聖と、勝利を確信してこれ以上ないほど誇った顔をする馬場。対照的な二人の表情の原因は、間違いなく自分のせい。


「……蒼汰」


 聖の足が止まって、声をかけたのは先ほどの男性だ。自分を裏切った人間相手に出すにはかなり優しい気がする。まるで聖なりに、今の彼を気遣っているようなそんな声。

 裏切られたとはいえ、一度は自分の組員だった、そんな身内への優しさのような――


「な、んでしょう?」

「アタシを化かして、どんな気分だい?」


 視線は彼には向けずに、私と馬場の方を見る。ただ質問は、先ほどの彼に向けられていた。

 何かを期待していたのだろうか。彼の質問の答えで、変わる未来はあるのだろうか。


「……最高の気分です。あなたなんて、怖くなかった」

「そう、かい」


 彼の言葉を聖はどう受け取ったのだろう。少しの間があって、彼女はゆっくりと、確実にこちらに近づいてきた。

 カツ、カツ。コンクリートを踏みしめる音が部屋に響く。緊張の走る二人の間に流れる空気は、しかし馬場の勝ち誇った表情で了承したのだと思っているのだろう。

 馬場の前に来た聖と、また目が合う。一瞬眉を下げた彼女の目からは、謝罪をするときと同じだった。


「さて、覚悟はお決まりですかね?」

「あぁ。――そうだ、ひとついいことを教えてやろう」


 聖は顔を上げて、馬場の方を見る。何をいまさら、と言いたげな彼の表情と裏腹に、聖の口角もまた少し上がっていて。


「なんでしょうか? せっかく織田さんからご教示いただけるなんて、光栄で――」


 す。と言いかけた声は、次の言葉にはならなかった。

 代わりに音になったのは、ゴロリ、と何かが落ちる音。それの存在を一瞬理解できなかった。

 恐怖と困惑に満ちた馬場の顔。さっきまで勝ちを確信していた表情から一変したそれは、首から下を一太刀で切り離された姿だった。

 ついで間もなく、強い血飛沫が舞い上がる。それは動けない私の頬にもぴっしりついて、今目の前で起こった一瞬の出来事をすべて現実のものだと語っていた。




「――三下ほど、よく喋るもんだ」




 ただ一人、この場においてのすべての理解者であり、事の発端である聖を除いて。

 動けない私の傍に、馬場の首が転がる。死んだ彼のことなんて見向きもせず、聖はその周囲を取り囲む男たちに視線を向けた。


「久しく使っていなかったから切れ味は少々気になっていたが……杞憂だったようだ」

「ど、こからそんなもの……!?」

「あぁ、お前たちはこれを見るのは初めてかい。仕方がないね、特別に教えてやるよ――仕込み杖さ」


 彼女の持つ刀身にべったりとついた血痕を払うように軽くひと振り、ふた振りと繰り返す。すると飛び散る血の痕は、彼女の足元に様々な斑点を描いた。


「まさか、アタシが敵陣に、単身で、丸腰で来るとでも思ってたのかい? ……ははは! 冗談はよしてくれよ。笑いが止まらなくなるじゃないか」


 聖の鋭い視線が周囲を凍り付かせる。私も見たことのない、彼女の確かな怒りと、明確な殺意を向けられた彼らは、様々な表情を浮かべていたがそれはどれも聖に対する恐怖であることは間違いないだろう。


「人が黙ってれば散々の言いよう。どこまで人をこけにすれば気が済むのかとばかり思っていたが、これ以上は我慢の限界だったよ」


 彼女の動きは近くに居た人間――私の傍で見張っていた人へと向かう。目が合って逃げようとするよりも先に彼女が間合いに入って、次の瞬間には背中から血飛沫が舞う。悲鳴にさらに慄く周囲の気配を感じながら、聖の方を見れば、彼女と目が合った。

 怒りの中に確かに向けられた、私への優しさ。理性は彼女の中にきちんとあるようだ。

 そのまま素早く私の方に向かってきたかと思うと、手首の拘束を素早く解く。縄の痕を見た彼女は顔をゆがめてしまった。


「由良、すまない。こんな目に遭わせて」

「……貴女」


 言いたいことはいくらでもあるのに、ちっとも出てこない次の言葉は、聖の一言にかぶせられてしまった。


「一つ、言うことを聞いてくれ」


 私がいいと言うまで、その目を開くな。何があっても、だ。

 まっすぐ見据えた彼女の決意は、確かに伝わった。これから何をしようとしているのかも、私が怖くて体が思うように動かないでいることもわかった上できっと、彼女なりの決断をしたのだ。目を見開いた私にそっと唇に指を添え、首を小さく横に振った。


「大丈夫。お前は何があっても、生きて帰すから」

「そんなの、まるで――!!」

「いいから閉じるんだ。これは願いじゃない、命令だ。――目を閉じろ、由良」


 聖の意志は固い。そしてこんなところで口論をしていたってこの状況が変わるわけでもない。聖に託すことしかできない私にできることは、彼女に言われたとおりにするだけだ。

 ゆっくり目を閉じて、困惑はきっと彼女にも伝わっていたのだろう。――肩を抱かれ、大丈夫だ、と耳元であやす様に告げてから、聖のぬくもりが遠くなる。


「蒼汰の言葉によっては少し情状酌量の余地はあるかと思ったが……気が変わった」


 その声は温度を持たない、冷酷な一言。




「お前たちは生きて帰さん。――アタシを怒らせたことを、地獄で後悔しろ」

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