第9話
ある程度の交渉の場、というのは慣れている。自分の家柄も、真斗さんの補佐とはいえ、会社の経営にも携わっているという立場から、交渉自体はいくつもの場面で重ねてきたつもりだ。
だけど、それがまさかこんな命の危機を感じながらする日が来るとは夢にも思わなかったわけだが。
「威勢のよさはさすがと言うべきですか。お噂以上のお方だ」
私の見上げる先にいる馬場は、私のことを上から下へと品定めするように視線を動かす。居心地の悪い視線に嫌悪を示すけれど、彼はむしろそれを嬉々として受け取っているようで、何の意味もないと理解する。
「それは嬉しいわね。私をどう認識しているのかは定かではないけれど」
「ある程度のこと、とだけ申しておきましょうか。金杉さんのご実家と、織田さんとの関係のあらましくらい、といえばいいでしょうか?」
「随分調べられているのね。達者なこと」
ぼかした言い方はどうやらあいまいに返されて終わってしまう。核心的なことを問いかけたらきっと彼はそこについて逆に言及してくることだろう。むしろその質問を待っているような気さえする。
あくまでも、私の口から聞くことに意味があるのだといわんばかりに。
「むしろ調べていらっしゃるのなら、こんな扱いしたら貴方たちが無事な保証はどこにもないと思うのだけれど?」
「それはご実家に関してですか? それとも、織田さんのことで?」
「そうねぇ……どちらも、かしら」
我ながら苦しいとは思う。先ほど殴られて打ち付けた頭の痛みも相まって、この状況が限りなく絶望的なことも理解している脳は、これ以上の最悪な可能性が頭によぎって、うまく言葉を繋げられない。我ながら普段通りにはいかないわね、と苦笑いをしてしまい、それはどうやら馬場には伝わっていたようで、にたりと笑みがこぼれる。
「本当に、口は達者ですね。でも、こういう場には慣れていないようだ」
「こんな場所になれている方がどうかしているけれどね」
「それはそれでとても興味深いことですよ。お話を詳しく聞かせてほしいくらいだ」
見定めるような視線は変わらない。自分の居心地の悪さは、きっと彼の視線も相まってのことだろう。
「それで? 私をこんな風にして、貴方たちは何がしたいのかしら」
下手な回り道では聞き出すことは難しい。それならば、いっそ直接聞いた方がいいに決まってる。
隠せない震えはいっそそのままに、本題を切り出せば待ってました、と言わんばかりに馬場の口角はにんまりと引きあがった。
「僕たちは織田さんの取り仕切る『織田組』という大きな組織とは別の組織でして。いわゆる敵対関係、にあるわけなんですが。それにしても『織田組』とは雲泥の差のある組織構図ですから、真っ向から立ち向かったところで歯が立たないんですよ」
それはまるで夢を語る少年のような表情で。きらきらと、純粋な声色で。
「だからね、これは織田組の現当主、織田聖さんとの交渉なんですよ。織田さんとね、“対等”に渡り合うためにはこのくらいしないとなので」
「その”対等”を求めるために、どうして私なのかしら?」
きらきらと話す馬場は、私の質問にもにこやかに続けた。
「貴女が、織田さんと密な関係だからでしょう?」
「そんな話を信じているの? 財閥の娘が、暴力団の組長と関係があるなんて、それこそ夢物語の類だと思うけれど」
言葉にして、自分の心が静に傷つく。
旗から見れば私と彼女の関係は、夢物語のようなものだ。あり得るわけがないと切り捨てられても仕方がないような関係。フィクションの方がもっとましだ、と思わずにはいられないほどに。
「まんざらでもないのでは? 少なくとも、金杉さんは織田さんにお金の融資をしていることは事実でしょう?」
目を細めて話す彼の視線は鋭い。どうやらそこに関係があることは認知しているようだ。
「関連会社だったんじゃない? 私もいろんなところに投資しているから」
「金杉さんは案外、ごまかすのは苦手ですかね。動揺が声に出てますよ」
彼の指摘に眉間に皴が寄る。そんな反応にいやはや、と嬉しそうに笑う馬場はそのまま話をつづけた。
「どっちにしろ、僕たちには織田さんとの交渉できる場が必要で、そこに貴女をお呼びするのが一番効果的だ、と思ったわけです」
「随分飛躍した話ね。仮に私が融資をしていたとして、それだけで関係を疑うのも」
「それについては、別の筋から情報をいただいておりますので。ある程度確証はありますよ」
笑みを絶やさない彼に、思わず背筋に寒気が走る。
どこからの情報だ。少なくとも通常の手段で得られるようなところからは私たちの関係が理解できるようなことはない。仮に私の自宅に聖が来るところを目撃した人がいたとしても、それだけで関係を確証に結び付けるのはあまりにも難しい。あのいい方は、もっと本質的なところを理解していて、そこに確信があるからこそこのように笑みを浮かべているのだと理解できる。
「案外近いところから情報というのは漏れるんですよ」
「……身に覚えがないから、お答えいたしかねるわね」
思わず返事に時間がかかってしまった。それがいけなかったのか、馬場は大層嬉しそうに上がりっぱなしの口角に手を添える。
「本当に、噂通りのお方だ。一筋も二筋もある、それでいて臆病な女」
「随分評価してくれているようで嬉しいのだけれど、喜ばしく思えないわね」
「いいんですよ。それでね、僕らから貴女に求めるものは一つだけです」
――織田さんに融資している金額を、そのまま僕らに流してください。
突きつけてきた条件に、私は思わず鼻で笑ってしまった。
「……こういう状況で冗談を言えるなんて、さすがね」
「むしろこの状況で、これを冗談と受け取れる貴女に驚きましたよ」
「融資には相応に見合った条件が必要なの」
「条件を提示できる立場にいるとでも?」
私の返事が気に食わなかったのか、彼の蹴り上げた足が私の腹部に思い切り沈み込む。強い痛みを伴ったそれに身を縮めるが、彼の言葉は止まらない。
「むしろそれを飲めばその痛みから解放されるんですよ? 拘束もありませんし、むしろ織田さんとの関係を切れるチャンスでもあると思いますけど」
「……だ、ったとしても、よ。冗談じゃないわ。私は私の意志で、選んだ投資先なの。そして貴方たちは私にとって、投資するに値しないの」
痛みにこらえながら、それでもそこは譲ってはいけないところだとにらみつける。
「脅迫でお金を引き出せると思うなら、それこそめでたいわよね。一時のために継続的な支出をするなんて条件にもならないわ」
「……金杉さん、今ご自身の立場は理解してます?」
「もちろんよ。むしろ貴方の方が理解してないんじゃない? 私というパトロンをこうして傷つけている時点で融資には値しないっていうことが理解できないのかしら?」
自分の言葉が彼らの怒りを買うことは理解している。このままで居れば自分の身が危険であることだって考える間でもない。
そうだとしても、自分の信念を曲げてまで生き残るのはまた違う。
「私は私の目で、耳で、頭で理解した上で、投資先を選ぶの。少なくとも、こんなことをされてお金を渡すわけもないし、仮にあなたたちの活動を知ったとしても、貴方たちのような人間に払うお金は一銭もないわ」
これは紛れもない私の本音だ。仮にこの場で私が死んでしまったとしても、命乞いでお金を渡すなんて私のプライドが許さない。むしろこの場で私が死んだ方が彼らには都合が悪いのだろうし、聖との交渉が終わったとしてもその後私の実家のが黙っているわけもない。
なんて言っても、たった一人の本家の娘が殺されたのだから。
「……死にたいんですか?」
「死にたくはないわ。でも、貴方たちは私を殺せない。というか、それだけの度胸はない」
「!!」
さすがに私の一言は彼の癪に障ったのか、表情が先ほどと打って変わって怒りがあらわになる。そういうわかりやすいところも私が彼らに投資する気になれない理由の一つだということにも、きっと気づいていないのだろう。
「一般人……いや、お嬢様の貴女にそんなことを言われる筋合いはありませんよ。我々の世界なんて知らないくせに」
「教えるつもりもない、と言う方が正しいでしょう? 素性の知れない団体には払いたくないわ。パトロンにも手を上げるんですもの、私じゃなくても融資なんてとてもじゃないけどしてもらえないと思うわよ」
「言わせておけば……!!」
馬場の怒りが再び私に降ってくる。腹めがけて飛んできた足を身体をよじれば先ほどより幾分か痛みは減ったがそれでも蹴られた部分と先ほどの痛みが交互にやってきて、蹲りたくなる。
「金杉さんは、ご自身の立場がまだ理解できていないようだ。生殺与奪の権利はこちらにあって、今僕たちに振りかざしているプライドだってどうにでもできることをお分かりでない」
「は?」
「下手に濁しても仕方ありませんしね。――今回の一件であなた達の関係について情報をくださったのは、他でもない貴女の身内の方ですよ」
「……は?」
馬場の言葉に、思わず言葉を失う。彼はそのまま、言葉を続けた。
「正直来た時は驚きましたよ。まさか天下の金杉財閥のご令嬢が暴力団と、それもそのリーダーである織田聖さんと関係があるなんてってね」
「誰、よそれ」
「それはさすがに守秘義務がありますから控えますよ。ただ、女性同士でっていうのも驚きですよね。昨今では当たり前かもしれませんが、お二人の立場でありながら、というのはさすがにね」
私の動揺に少しだけ余裕を取り戻したのか、馬場はにたりと笑みを浮かべた。
「貴女は過ちを犯して、それでもなお聖さんとの関係を続けようなんて。それこそ虫のいい話ですよ。婚約者もいらっしゃるというのに」
「それは関係ないでしょう」
「ご冗談を。そもそも、織田さんとの関係がなければ、貴女が攫われることもなかった。織田さんがご自身の立場を危うくすることもなく、僕らのような小さな組織に狙われることもなかった。――これらすべては貴女が始めた、エゴとプライドが招いた結末でしょう?」
馬場のその言葉を最後に、三度私に向けられた蹴りが鳩尾をえぐる。あまりの痛みに視界が明滅して、息が浅くなる。
それを合図と捉えたのか、私の背後にいた人からの別の衝撃がいくつも起こって、それが殴られたのだと理解したときには、私の意識はぷつり、と途切れてしまった。
――貴女が始めた、エゴとプライドが招いた結末でしょう?
私と聖の出会いは、果たしてそうだったのだろうか。
私が彼女に声をかけてしまったから、始まってしまった結末だったのだろうか。
何も知らないままでいたら、平和に過ごせたことなのか。
その問いに、私の答えは―――――




